いい匂いで始まる朝は、いい一日の合図だ。
「……ん」
ハンは夢の中にまで侵入してきた饅頭を蒸すいい匂いで、目が覚めた。窓を見るとまだ夜が明けたばかりで、自分が寝坊したわけではないことを知る。が、どのみちこの匂いを嗅いでは寝ている訳にはいかない……色んな意味で。
「ふわぁ」
身体を起こしたハンは大きなあくびを一つして布団から立ち上がる。隣に並べられていた布団は綺麗に畳まれており、思わず苦笑しながらハンはいい匂いの元に歩いていった。
「おはようございます、老師」
ハンの挨拶に振り返った老師は、柔らかく微笑む。
「おはよう、ハン」
「今朝はまた一段と早いですね」
「なんだか湿度が丁度良い気がしたからな。夜明け前に生地を練りたかった」
「なるほど。さすが老師です」
そう言いながらハンは後ろから老師を抱き締める。早朝から動いていただけあって、体が少し冷えていた。
「……ハンはあったかいな」
「さっきまでゆっくりさせてもらいましたから。老師はちょっと冷えちゃいましたね。早めにあったかいかきたま汁でも作りましょう」
「ああ頼む。お前のかきたま汁は絶品だからな」
そう言って老師は寄せてきたハンの頬に軽く口づけする。唇と鼻先も冷えていたが、その冷たさが心地良かった。
「老師はなんでも絶品って言うじゃないですか」
「お前の作る物全てが絶品なのが悪い」
鼻先をこすり合うように軽くじゃれ合って、ハンは台所へと向かった。玉ねぎとキノコをごま油でじっくり炒め、しっかり沸騰させた調味料をじゅわっと注ぐと水溶き片栗粉でとろみをつけ、仕上げに溶き卵を優しく流し入れ、最後に薬味を飾る。
そうしている間に老師が蒸したての饅頭を持ってやってきた。
「饅頭できたぞ」
「こっちもかきたま汁ができました」
そうして狭い机に向かい合うようにして食卓に着く。机の上には饅頭とかきたま汁にお茶だけ。簡素な食事だが、二人の腹と心を満たすには丁度良かった。
「「いただきます」」
手を合わせて挨拶を済ませると、ハンは饅頭を、老師はかきたま汁を口に運んだ。
「熱っ! はは、やっぱり老師の饅頭は美味いですね……今日のは特に皮の弾力が最高です」
「ふー……やはりハンのかきたま汁は絶品だな。この卵のふわふわ感と汁のコクが堪らん」
二人して相手の手料理を称え合い、柔らかな笑みのまま完食する。
「「ごちそうさまでした」」
手を合わせて挨拶した瞬間、表の扉がガタンと乱暴に開けられた。
「「「「たのもーう!!」」」」
聞き覚えのある4つの声が道場に併設された老師の小さな家に響く。
「老師ー……っておいユン! 俺が先だぞ!」
「チャンの方が遅かっただろうが! 俺の後に並べよ。老師、ちょっと聞きたいことあんだけど!」
「おーいハン! みかじめ料代わりに今日店貸し切りにさせろよー! ちょっくら会合があって人数集まんだよ」
「ラーメン屋、ラーメン出せ。饅頭老師、饅頭よこせ」
チャンとユン、シンと赤龍が何故か揃って家の前でこちらを読んでいる。そして相手に気付いて歯を剥き出しにした。
「なんでシンと赤龍がいんだよ?!」
「ここにはもうなんもねえって知らねえの?」
「うるせえガキども! 俺は単なる客として来てるっつの。つか赤龍もここに来んなら、俺来た意味なくね?」
「なんでもいいから朝飯よこせ。ついでに腹ごなしに全員かかってこい」
玄関前でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる4人に、ハンは苦笑する。
「朝から賑やかだな……」
「人気者だな、ハン」
「いえ、半分は老師に用事だと思いますけど」
そう言いつつハンはパンパンと手を叩きながら事態の収拾にあたった。
「はいはい、近所迷惑になるからそこまでな。チャンとユンは老師に修行つけてもらいにきたのか? とりあえず中に蒸したての饅頭あるから、食べておいで。あと訪問時間は守ること。ご近所さんの迷惑になったら困るだろ。シンは店の貸し切りだな。みかじめ料代わりにしないから代金はキッチリ請求するけど分かったよ。でもできたら事前に相談してほしいな。さすがに当日は色々仕込みが間に合わなかったりするし。赤龍はラーメンと饅頭な。とりあえず饅頭は老師のところにあるから、欲しかったら自分でちゃんと頼めよ。ラーメンはちょっと時間貰うけど、ここに届けていいか?」
「ごめんハン兄貴! あと饅頭いっただきまーす!」
「あ、チャン抜け駆けすんな! ハン兄貴ごめん、今度は静かに来るから!」
「仕方ねーだろ、昨日の夜中に赤龍にこの話聞かされたんだから。あと代金は常連客割りにしといてくれよな。じゃ、昼に30人で頼んだぞ」
「ラーメン、ここでいい」
バタバタと家の奥に入っていくチャンとユン。用事が済んだとばかりにヒラヒラと手を振って去っていくシン。ゆったりとした足取りでチャンとユンの背中を追う赤龍。それらを見送り、ふうとハンは息を吐いて笑った。
「今日も忙しそうだな」
そうしてそのまま台所へと引き返す。先程老師と二人で朝食を食べた食卓にチャン・ユン・赤龍が着いてもぐもぐと無心に饅頭を頬張っている姿が妙に微笑ましい。そのまま持ってきていた秘伝のかえしで簡単なラーメンを作って赤龍に出してやると、チャンとユン、そして老師にまでねだられてしまった。
「老師はさっき饅頭とかきたま汁を食べたばかりじゃ……」
「饅頭とお前のラーメンならいくらでも食べられる」
そう断言した老師はその後小さく唇を尖らせて、小声で告げた。
「それに……お前の料理で他人が満腹になっているのを横で見せつけられるのは面白くない」
「! ふっ……ありがとうございます」
普段見れない老師の可愛い嫉妬に、ハンは零れる笑みをこらえられないままラーメンを作った。
その日の日中。老師はチャンとユンの修行を見てやり、ハンはシンからの依頼で会食用の食事を作りながら時々入る赤龍の無茶ぶりをかわし、互いにせわしなく過ごした。
そして夜になり、食事時には少し遅い時間……
「こんばんは、老師。夜食、お届けにあがりました」
「ハン、ちょうどよかった。饅頭ができてるぞ」
なんの約束もしていなかったはずなのに、2人は互いに同じ食卓に着くことを疑いもせず互いへの料理を用意していた。
「「いただきます」」
朝と同じように向かい合って食卓に着く。机の上には饅頭とラーメンと水だけ。
「熱っ! うーん、やっぱり饅頭は老師のお手製に限りますね……これは特に肉汁溢れる餡が最高です」
「ずずっ……ハンの料理はどれも絶品だが、やはり一番はラーメンだな。この鶏白湯ラーメンも最高だ」
「はは、良かった。朝出したラーメン、ずっと気になってたんですよ」
ホッと胸を撫で下ろすハンに、老師は目をぱちくりとさせた。
「? あのみんなと一緒に出してくれた醬油ラーメンか? あれも美味かったぞ」
「そりゃ、下手なものは出してないつもりですけど……それでも老師に食べてもらうのに、あんな簡単なラーメンで済ませちゃうのは嫌だったので……」
小さく口を尖らせたハンは、「だって、老師はいつも『ハンのラーメンが一番だ』って言ってくれてるのに、その価値を下げることをしたくなくて……」と続けた。老師はもう一度目をぱちくりとさせ、それから花が綻ぶように微笑む。
「ふっ……それで私においしいラーメンを食べて欲しくてここに来たという訳か。ハンは本当に可愛いな」
「……老師の方が可愛いです」
ハンは少し顔を赤くしながらそう反論した。老師はふふっと微笑むと、「そうだ」と唐突に何かを思い出し、ハンの唇を人差し指でむにっと強く押した。
「!?」
ビックリするハンに、老師はからかうように笑いながら注意する。
「先程、挨拶が間違っていたぞ。ここに帰って来る時は、こんばんはではなく……」
「……ただいま、です」
顔を赤くして小さな声で答えたハンに、老師は「正解だ」と笑って人差し指を離した。そして、とろけるような笑顔でハンを見つめ、返事をする。
「おかえり、ハン」
「老師……!」
自分にしか見せないその笑顔に、ハンは思わず老師を抱き寄せた。狭い食卓がガタッと揺れるが構っている場合ではない。
「ふふふ……ハン。気持ちは嬉しいが食事がまだだ」
そう言ってハンからゆっくり離れた老師は、今度は人差し指を唇に当ててにこりと微笑んだ。微かに小首を傾げたその微笑は、妖艶そのもの。
「……楽しみは食後、だろう」
「!! はい……!」
いい匂いで終わる夜は、いい一日の証拠だ。それが恋人のかぐわしい香りならば、なおのこと――……。
甘美に暮れる二人の夜を、美しい月が照らしていた。【終】
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【ハン老】薫香相愛【11/13臣左真ん中BD】 ★
初公開日: 2025年11月15日
最終更新日: 2025年11月12日
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