――伏見は、カンパニーでも指折りの面倒見の良さがあり、腕のいいカメラマンだ。役者としても立派な体格とアクションセンスを持った逸材で、体力づくりを継続できる努力家で、サッカー部でも頼りになる守護神。性格も常に穏やかで気配りができ……本当にしっかりしている奴なんだが……
「……なんだか心配だ」
俺が思わず呟くと、一緒にサッカーのパス練を付き合ってくれていた皆木に聞き取られて、「なにか心配ごとですか?」と首を傾げられた。
俺は思わず口を手で塞いだが、不思議そうに俺を見つめるうちの劇作家の前ではそんな行為が無意味なのはわかっている。何より、俺が皆木の顔を見た瞬間に話したいと思ってしまった。
「いや、大した話じゃないし、俺が心配することでもないんだが……伏見のことが、少しな」
俺がそう言うと、皆木は「伏見さん?」と意外そうな顔をした。
「てっきり、俺は万里と十座の役作りで色々大変なのかなーと思ったんですが……」
「ああ、あそこも大変そうだけどな……というか、分かっててあのWキャストにしたのか?」
俺がそう言うと、皆木は「そういう訳じゃないですけど」と人のよさそうな笑顔の頬をかきながら答えた。
「今回、監督と配役を決めていく上で、まずはなるべく体格が近い団員同士で組もうかって話になったんです。キャストが変わった時に、あんまり体格差があり過ぎると違和感があるかなって。それはそれで面白いかもですが、今回Wキャストが初めての試みだったので、それ以外ではまだ冒険しない方がいいかってなって。それでまあ……特にウヌス国は武勇に秀でてるってなったら、やっぱり筋肉がついている方が説得力がありますし、自然と今のメンツに……」
「まあ、そうだろうな」
「あとは、役と役者がそれぞれの良さを引き出せる組み合わせとか色々考えた結果なんですけど……まあ、万里と十座って組み合わせの時点で、あの二人が最初から素直に互いの良さを引き出すよう稽古するとは思ってなかったですから、大変なのかなーって」
「まあ、そこも皆木の予想通りだな」
「で、高遠さんは伏見さんの何が心配なんですか?」
きちんと話を戻して尋ねた皆木に、俺は少し考えながら話し出す。
「心配というほどでもないんだが……伏見は、なんであんなに自分に自信がないんだ?」
「あー……そこですか」
俺の言葉に、皆木は驚くことなく苦笑した。ということは、同じ大学で時間を過ごした皆木にも思い当たる節があるということだ。
「あいつは最初、俺が理想的なジークフリートだと思って、筋トレから食事まで、全て俺と同じメニューをこなすことで自分を俺に埋没させてジークフリートを演じようとした。別にそのやり方が間違っているとは思わないが、それにしたってあまりに盲目的すぎるし、何より俺と共にジークフリート役に選ばれた自分に対しての自信がなさすぎる。あいつは俺の代役じゃないんだ。もう一人のジークフリートとして、ちゃんと舞台に立つべきだし、立てる役者なのに……」
そう。俺は自分の演じるジークフリートの解釈に自信を持っているが、同時に伏見独自のジークフリートの解釈を見たいと思った。それがWキャストの醍醐味の一つでもあるから。
例えば兄としての顔は、やはり俺より伏見の方がすんなり演じられている。堅物という点では俺より柔和そうで、(なるほどそういう解釈もあるのか)と感心したものだ。
全員で話し合ってからは伏見もそうした醍醐味を理解してちゃんと自分の色を出すようになったが、初っ端の、あの躊躇いなく自分の個性を殺す伏見を見てしまっては、どうしても心配になる。
「あいつはもっと、自分の役者としての価値というか、良さを理解した方がいいと思うんだが……」
「うーん、そうですね……」
皆木はなにか考えながら言葉を捜している。
「『駆け巡る』の時も少し話しましたが、伏見さんも俺も、小さい頃から自分より家族を優先して生きてきたんですよ。だから、伏見さんが俺の気持ちを分かってくれたように、俺も伏見さんの気持ちがなんとなく分かるんです。伏見さんは、自分を押し通すことに多分まだ慣れてないんですよ。過去にも色々あったみたいだし、自分を殺すことに馴れているというか……それが役を演じる上で障害になってしまうこともあるのかもしれませんね」
「……なるほどな。確かに、そういう環境の影響はでかいのかもな」
皆木が奥歯に物が挟まったような話し方をするのには、何か理由があるのだろう。俺が何かを察したことに気付いた皆木は、にこっと笑って告げた。
「だから、折角のWキャストですし、高遠さんがそういう舞台の上での自我の通し方、みたいなのも伏見さんに伝えてもらえると嬉しいです。高遠さんは、役になりきる時もちゃんと自我を通しているというか、高遠丞という存在の上に役を乗せている、って感じがして、俺、好きなんです」
「……皆木にそう客観的に言われると、少し照れるな。分かった、努力してみる。俺も、伏見の演技は好きだからな。今皆木が伝えてくれたみたいに、伏見にも伝えてやりたい」
時には驚くほど観察眼の鋭い劇作家の言葉に、俺は小さく笑って頷いた。
――後日。ペア練習の際に伏見という役者への俺の感想をなるべく客観的に伝えたら、伏見に「どうしたんですか? 熱でもありますか?」と激しく心配された。
やはり、人を褒める、というのは難しいぞ、皆木――……。
◇
――丞さんは、カンパニーでもトップクラスの実力者で、役者としての大先輩で、サッカー部でも頼りになるエースストライカーで、性格も常に冷静沈着でストイックで……本当にしっかりしている人なんだが……
「……なんだか心配だ」
俺が思わず呟くと、食器を返しに来ていた紬さんに聞き取られて、「なにが心配なの?」と首を傾げられた。俺は思わず口を手で塞いだが、にこにこと微笑む紬さんの前ではそんな行為が無意味なのはわかっている。何より、俺が紬さんの顔を見た瞬間に話したいと思ってしまったのだから、仕方ない。
「いえ、大した話じゃないし、俺なんかが心配することもないんですが……」
俺がそう言うと、紬さんはくすりと微笑んで一言。
「丞のことかな?」
「! なんで分かったんですか?」
「うーん、なんとなく? 最近、ニヒルの役作りで一緒にいることが多いし、臣くんは面倒見が良い分よく目端が利くから、丞が気になるかな、と思って……」
「……さすがです」
あまりにその通りなので、俺は苦笑するしかなかった。紬さんは微笑みながら「俺で良ければ話を聞くけど……」と言われ、俺は「じゃあ、お言葉に甘えて。コーヒー淹れましょうか」と提案した。
折角なので中庭のベンチでコーヒーと卵サンドをお供に話すことにした。
「……それで? 丞、また役作りに夢中になってるの?」
「そう、ですね……夢中というか、憑依というか……」
もうニヒル公演は目の前に迫っていて、それぞれの練習も最終段階に入っている。
最初は悩んだ俺の役作りも、丞さんやウヌス国のみんなのアドバイスのお陰で丞さんとも少し味の違う、俺なりのジークフリート像が出来上がったと自負している。ただ、ここにきて、丞さんの役作りが最終段階に入った所為か、以前より遥かに役作りに没頭して憑依状態のようになってしまうことが増えた。
「……昨日も、通し稽古が終わった後も役が抜けきらなかったらしくて、万里相手に即興で殺陣稽古、というか、剣の練習みたいなことを始めてしまったらしく……あまりの迫力に太一が慌てて俺たちを呼びに来て……」
「ああー……その節は、うちの丞がご迷惑を……」
紬さんが苦笑しながら、慣れた様子で頭を下げる。
「以前悪魔公演で丞さんと一緒になりましたが、あの時も時々サタンになりきってる時もあったし、その前の駆け巡るの公演でも役名と自分の名前が分からなくなる時もありましたし……冬組公演の時はあんまり思わないんですが……」
役に没頭する丞さんは、とても格好良いと思う反面、どこか危うい。
普段の丞さんの持っている個性というものが消えて、まるで役に乗っ取られてしまったかのように感じる場面が多々ある。それが不安になる。それだけ役になりきれるのは才能だし憧れるところもあるのだが……俺は普段の丞さんが好きだから、丞さんがどこか手の届かない場所に行ってしまいそうな感覚は、何度経験しても慣れない。
俺の表情をじっと観察しながら、紬さんはゆっくり言葉を紡ぐ。
「……冬組の時も客演でやってる時も、多かれ少なかれ同じようなことはあるよ。ただ、俺は昔から慣れているし、冬組のみんなも慣れてきたから、臣くんが気付く前に対処しちゃうのかもしれないね」
「どうやって対処しているんですか?」
「うーん……人によるかな? 東さんや誉さんは役になりきった丞の話に乗ってあげることが多いし、ガイさんは冷静に淡々と状況を諭すことで丞を正気に返してる。密くんは……スルーしてることが多いかな。丞の好きなようにさせてるんだと思う」
「なるほど……」
誰の態度も目に浮かぶようだし、それぞれ効果があるということなのだろう。俺は頷きながら、肝心の紬さんへと視線を向ける。
「……紬さんは、どうやってるんですか?」
多分、付き合いの長さや同室という点からも、紬さんが一番対処が上手なのだと思う。紬さんは少し首を傾げて、「うーん」と考えていた。
「時と場合によるから一概に言えないけど、冬組みんなと同じようなこともするよ。あとは……」
「あとは?」
「――丞に向き合う。全身、全霊で」
その瞳の真剣さに、俺は思わずぞくりとした。吸い込まれそうな瞳は、この中庭の緑と空を閉じ込めたかのような美しい碧色をしていた。
「全身、全霊で、向き合う……」
「そう。俺が会いたいのは、役じゃなくて高遠丞っていう人間だと……じっと呼びかける。やっぱり、そういう憑依状態は、自分で解いてこそだと思うからね。今じゃ、ただじっと見つめるだけで気付いてくれるから、俺としてはそんなに苦労してないけど」
「なるほど……」
正直、そんなことができるのは二人の絆があってこそだと思うが、なんとなくのヒントにはなった。
「……今度、やってみます」
俺の言葉に、紬さんはいつもの笑顔で頷いた。
「うん、頑張って。そして、丞をよろしくね」
「はい!」
――それから数日後。また憑依状態になってしまった丞さんに、俺は思い切って全身でベアハッグをかました。丞さんはすぐに正気に戻ってくれたが、それからちょっと距離を取られるようになってしまったから……失敗してしまったのかもしれない。
やはり全身全霊で向き合う、というのは、難しいです、紬さん――……。【終】