◇
「……うん、いい感じっ!」
そうしてリハーサルを終えて、一連の演奏技術を振り返ってきょんちーにそう声をかける。それに彼女も「はいっ!」と元気よく返事をしながら、にこっと笑みを見せてくれた。
感覚としてはいい感じ。まあ、昨日練習した時よりも若干のぎこちなさがきょんちーにあるような気がするけれど、それでも本番当日という緊張感を鑑みれば、ちょうどいい塩梅なのかもしれない。
心臓がどくどく鳴っている。まだ練習をしているだけなのに、本番というだけでここまでの緊張が心の中に走るのだな、という実感。
きょんちーもぎこちなさがあったし、私も一瞬だけテンポを遅らせてしまうタイミングはあったけれど、それでも最後まで楽曲をゴールできたことに安堵をする。
「ま、とりあえずビデオ確認と行きますか!」
私はそう言って、ステージ前のテーブルで固定していたスマートフォンをとるために壇上から降りていく。大きく感じる段差に少しだけ躓きそうになって冷や汗をかくけれど、それでも特に問題なく下りられた。
そして実際の確認。当事者だけの感覚じゃわからない部分もあるから、適切に客観的に。今の時代、スマートフォンがあれば容易く客観的な確認もできるのだから、便利だなぁ、と思いながら再生する。
「……うん、ぜんぜん大丈夫じゃん」
「そ、そうですね……。……あっ、私、顔上げてない……」
「そんなもんだよ」
私はきょんちーの言葉に苦笑しながら、それでも大丈夫だよ、と声をかける。
高校生当時組んでいたバンドの中で、きょんちーはボーカルだけを主流としてやっていた。リズムギターの練習とかも一応はしていたけれど、次第にバンドが解散をして、それをやる機会も全面的に無くなった。
そんな経験があるうえで、こうしてギターを適切に弾くことができる現状は目覚ましい成長だと言える。まあ、余興であるから、彼女の言葉の通り、確かに顔をあげて演奏してほしい気持ちもあったけれど、今は兎にも角にも完全に近い状態での伴奏。その観点で言えば今の彼女の演奏技術に不満はない。
あらかた動画を再生して終えて、準備に満足をする。
まだやり終えていないことはないか、と頭の中で模索をしながら、携帯にメモをしていた『準備するべきもの』にひとつずつチェックを入れていく。
問題があるとすれば、兄貴がいつ学校に来れて、ケーキやドレス、またそのほかの食事類を設置できるか、という不安。ただ、これに関しては私が心配しても仕方がないし、この場にいる私たちだけでは対処ができるものでもない。
ここは兄を信じて待つことを選択する。言っても、あの兄貴が変にやらかすなんてことはないはずだが。……お酒さえ絡んでいなければ。
そんなことを考えながら、すべての項目にチェックを入れる。そして最後の一つにチェックを入れようとしたところで、ヴヴ、と私の手の中で携帯は震える。
『もうすぐでつく』
そんな翔ちゃんからの連絡。そんな通知。
上部に表示されている時間を覗いてみれば、現在八時四十分。そこまで準備に時間を使ったのだなと考えると、本当に早起きをして勤しんだのは正解でしかないな、と思う。
「もうすぐで着くってさ」
きょんちーに声をかけると「了解です」との返答。
ひとまず、私たちにできることは全部やれた。
あくまでサプライズ形式のこの結婚式。不安要素しかないけれど、それでもなんとかなるという気がする。
とりあえず私たちは準備を終えた体育館を後にして、物理室の方へと向かうことにした。
◇
そわそわ、そわそわ。
そんな擬音が聞こえてきそうなくらいに、きょんちーの様子は落ち着きがない。
ずっと物理室の前方、教団の方を右往左往と繰り返していて、その足が止まることはない。
「……緊張してる?」
私がそう声をかけると、ぴたっと彼女は足を止めて、顔だけをこちらに向けてくる。
「あ、当たり前ですよ。こんなに緊張したの、精練授業の時以来です……」
「そうだよねぇ。その精練授業って言うのはよくわからないけれど、私も緊張してる」
今までもドッキリという形式をとって、いろいろとサプライズを行った経験はある。ただ、ここまでの大掛かりな仕掛けについては経験がないから、成功を祈っては緊張を増幅させるばかり。
本当に大丈夫だろうか。本当に失敗しないだろうか。失敗はしてもいい、翔ちゃんとさっちんを喜ばせることはできるだろうか。祝福を送ることが出来るだろうか。
そんな祈りに似た気持ちで、今日という日を見つめ続けている。
「でも」
私は、ふう、と大きく吸い込んだ息を吐き出して、きょんちーに改めて視線を合わせる。
「もし成功しても、失敗をしてしまっても、それでも私たちの気持ちが翔ちゃんとさっちんに届いてくれればいいよね」
どうなるかはわからない。実際にその時間にならないとわからない。
不安なことはある。前を向けない気持ちがある。ポジティブでいたい気持ちはあるけれど、それを帳消しにするみたいにネガティブに見つめてしまう気持ちもある。
けれど、根底の気持ちは変わらない。彼らを祝福したいという気持ちだけは変わらない。
それは私もそうだし、きょんちーだってそう。
それは当事者である翔ちゃんだってそうだし、兄貴だって同じ。協力してくれる人全員が同じ気持ちであるはずだ。
だから、どんな形になったとしても。後悔をするようなことにつながったとしても、それでも重ねて彼らには伝えたい。
「ずっと幸せで、ってちゃんと伝えられるようにしよ」
心の底から吐き出した本音。
その言葉に、きょんちーは深くうなずいた。
◇
物理室で平然を装う準備を整える。演奏の練習でかいていた汗を拭くようにして、それから私たちは校門の方へと向かった。
通り過ぎていく廊下。教室の群れ。滑る足の感触に懐かしさを見出しながら、昇降口で靴を履き替えて、そのすぐ先にある扉を解放する。
本当に大丈夫か? という気持ちはいつまでも拭えていない。それでもいいよね、という気持ちで自己弁護を繰り返しては、ゆっくりと足を校門の方へと向ける。
きょんちーと会話はなく、そのまま静かに足音だけが鳴る。お互いに外向きの靴。結婚式用のヒールは私たちようの控室に置いてある。
気まずい空気と言えば気まずい空気が蟠る。でも、それも結婚式を成功させたいという気持ちから。
それならば、別に躊躇う必要なんてないのかもしれない。そんな空気さえも愛してあげれば、きっとどうにかいい形には収まると思うから。
◇
「よっす」
「こんにちは」
そうしてたどり着く校門のそば。
細い樹木が飾られている入り口のそばに、その二人はいた。
翔ちゃんは軽く手を上げて私たちに声をかけて、さっちんは丁寧に頭を下げながら挨拶をしてくる。
服装はいたって普通のもの。私服のそれに近い感じはするけれど、それでも同窓会という名目に合わせた、少々法品さを感じられるような服装。
久しぶりに見たさっちんの顔。
翔ちゃんに関してはこの前の飲み会で話をしたから、その新鮮さというものはないけれど、それでもさっちんに関しては夏にやったバーベキュー以来。
なんかそれだけでも少し感慨深い気持ちになって、少しだけ目頭が熱くなる。……いやいや、まだまだ本番じゃないから。
そんな風に心の中でツッコミをいれながら、なんとか落ち着きを取り戻して、私たちは彼らに向き直る。
「ぃよっすぅ! なんかかたくなーい?」
あくまでも平然。何事もないような、何も待ち受けていないような様子を装って、さっちんに話しかける。
私はさっちんの方へと歩みをすすめていき、そうして目の前にした彼女に、……抱き着いた。
「うへっ」
「いやー、久しぶり、久しぶりだねぇ!」
あまり彼女に顔を見られたくない、というのがあったのかもしれない。なんか知らないけれど、なんか泣きそうになってしまう自分がいる。だからまだ本番の時間じゃないっていってるだろうに。
だから抱き着いて誤魔化すようにする。いつもであれば、そこまでの身体的なスキンシップなんてしないけれど、それでもそうしたい気持ち。顔を見せられない気持ち。
誤魔化すように「ほれほれー!」と盛り上がっている様子をしながら抱擁しては腕を回して、それで時間を過ごそうとする。
「く、くすぐったい、くすぐったいよぉ」
「へへ、ここかぁ? ここがええんかぁ??」
いっちょ前におっさんらしい振舞い。おっさんが本当にこんな行動をとるのかは知らないけれど、よくあるぢくしょんのテンプレートみたいなやりとり。
……っていうか柔らかいな? あんまり触ったことないからわかんなかったけれど、背中も柔らかいし、なんか身体全体が柔らかいような?
あっ、ちょっと癖になるような感覚──。
「──そこまでな」
「──あっ」
そうして私がさっちんの身体を楽しんでいると、不意に巻き付いていた腕を翔ちゃんに剥がされる。
すごくもったいない感覚。もっと味わっていたいような気持ち。……翔ちゃんはこれをずっと味わっているのか、となんか少しムカついた気持ちになる。
私はそんなことを思いながら、反抗気味に冗談で睨みを着かえるようにするけれど──。
「──」
──ギロッ。
「──すいません、すぐに離れます……」
確実に怒気が孕んでいる視線で射抜かれたので、早々に彼の言う通りにする。
じょ、冗談じゃん。冗談じゃないですか……。
そう心の中で誤魔化すための文句を呟くけれど、まあそれだけ彼がさっちんを大事にしている、ということを示しているのだとも思って微笑ましくなる。
うん、本当にお似合いの二人だと思う。それ以上に並べられる言葉はないかもしれない。
改めて今日という日を迎えられることが出来てよかったなぁ、と何も始まってはいないのにそんなことを思ってしまう。やはり彼らは祝福されるべき存在だ。
……と、そんなことをぼんやりと思っていた頃合いで──。
「──お、お、おは、おははひゃうっしゅ!」
──平然を全く装えず、なんならもう既に涙目のきょんちーが彼らに挨拶をしていた。