第一部屋 脱出
 ──目が覚めたら、そこはえっちしないと出れない部屋でした……。
 いや、唐突に何を言っているんだ、って思われるかもしれないけれど、落ち着いて俺の話を聞いてほしい。俺は端的に状況を説明しているだけで会って、何一つとして混乱しているわけじゃない。夢を見ているわけでもない。
 ただ確実に言えることとしては、俺はえっちしないと出れない部屋に閉じ込められた、とそういうことであり、それ以上も以下もないのだ。
 ……だって。
『ここはえっちしないと出れない部屋です』
 ……なんかこれ見よがしに、天井へとそんな文言がキャッチコピーのように貼り付けられているのだから。
 なぜ目を覚ました段階で理解できたか、と聞かれれば、やはり目と鼻の先にある天井にでかでかとそんな文言が貼られていたから。
 朝日が差し込んで眩しい空間の中、それが見えてしまっていたから。
「……へっ?」
 俺はとりあえず状況を理解しているようで理解できていなかったから、とりあえずその背を起こして、周囲の状況を確認する。
 白い壁、そしてベッド。中学の時まではよく使っていた勉強机、その付近に置いてあるパソコン、ゲーム。『えっちしないと出れない部屋』という割には、何もそれらしいような雰囲気がない空間。
 ……というか、これ確実に俺の部屋ですね、うん。
 もう、めちゃくちゃ見覚えのある、というか、見覚えしかないというか。そりゃあ毎日ここで時間を過ごしているのだから、それらを見間違えるわけがないんですけど。
 とりあえず俺は起こした身体を捻って、横にある窓から外の景色を眺めてみる。……ほら、こういうときってもしかしたら自室ではあるけれど異世界とか異空間とかに隔絶されている、とか、そういうパターンもあるかもしれないし。
 そう思いながらカーテンのかかっている窓を覗いてみたけれど。
「……ですよねー」
 そんな期待……、ではないけれど、ともかくとしてファンタジーのようなことは身の回りには起きていない。いつも通りの外の景色。というか、そもそも見慣れた朝日が差し込んでいる時点で、半ば異空間とかに隔離されている想像はできなかったわけだけれど。
 ……そして、身体を起こしたからこそようやく認識したものがある。
 太ももの辺りにある温かくて重い感触。
 黒髪、ポニーテール、白の学生服(夏)。
 俺のベッドに向けて、机で寝るみたいな姿勢で瞼を閉じている、俺の幼馴染の姿。
「むにゃむにゃ……」
 あからさまな寝息を吐き出している、清水 朱里あかりの姿がそこにはあった。
 とりあえずベッドにもたれながら眠っている朱里は起こさないまま、俺は自室の状況を眺めてみる。
 今のところ、荒らされている、とかそういうところはないけれど、とにかく目に映るものとしては、天井や部屋のドア付近に貼られている『えっちしないと出れない部屋』という文言だろうか。
 しかも、こういうのって無機質なフォントで描かれるものだろ、って思っていたけれど、なんと書き初め用紙に、確実に人が書いたであろうことがわかるような筆での字が記されている。
 ……っていうか、なんで二か所も貼ってるんだよ。あといつ貼ったんだよ。
 いろいろとツッコミたいところが満載で、今すぐにでも寝ているこの女を叩き起こしてやりたいところではあるが、一旦その衝動は心のうちに抑え込んで、ひとまずはベッドから降りることにした。
 朱里を起こさないことに気を付けて、すーっとシーツから抜け出していく。「んん……」と少し俺の足に絡みつこうとする腕の感触があったけれど、それも素早い動きでなんとか躱した。
 ……さて、ここで俺がとりあえず行うべきこととしては、だ。
「まずは、扉の確認だわな」
 一応、ここはこの部屋に記されているルールに従うべき、というか、本当にそんなルールが強制されているのか、ということを確認しておかなければいけない。
 ま、まあ? もしここで本当に扉が開かない、とか、そういうことがあるのであれば、ここは致し方なく目の前の幼馴染を起こして、色々と熟考するところではあるが、ひとまずは扉の確認。
 きちんとドアが開くか否か。
 俺は意を決して、朱里の身体に触れないようにしながら狭い自室を移動して、扉にそっと手をかける。
 ──ガチャァ……。
 ……いや、普通に開きましたけど。
 何の手ごたえも感じないまま、いつも通りにドア開きましたけど。
 ちょっとだけ期待した部分はありましたけど、その期待を裏切るみたいに容易く開きましたけど。なんならいつもならつっかえて開きづらいドアが、これでもか、ってくらいに容易く開きましたが?
「むにゃ、むにゃ……」
 そして、未だに寝ている朱里の姿。
 俺が呟いた独り言にも気づかないし、そして俺が開いたドアノブの効果音にも気づかないまま、ただただベッドにもたれかかって、いつまでも睡眠を繰り返している。
 ……つまり、どういうこと? え、これは何をなされたかったんですかね?
「……まあ、いいや」
 どうせ考えても仕方がない。開いてしまったのならば、とりあえず俺はいつも通りに学校に行くだけである。
 ついでに、俺のベッドで持たれている幼馴染についても起こさなければいけないような気がしたけれど、なんとなくムカついた気持ちが勝ったので、俺は極力物音を立てないようにしながら自室から出て行く。
 え、マジで何がしたかったんですかね、この人。
 
 そんな憤りというか悔しさというか、なんとも言えない気持ちを覚えながら、俺はその日、脱出(?)に成功しましたとさ。
 第一部屋 内訳(幼馴染視点)
「ふっふっふ……」
 そうして私は自分が書いた言葉の文言を見つめながら、不敵な笑みを浮かべていた。
 まさかこうして書道を習っていた過去が生かせるとは思わなかった。なんというか、あれだな、伏線回収とはこのことか、と思いながら、でかでかと綺麗に書けた文字に、私は達成感というものを覚えずにはいられない。
『ここはえっちしないと出れない部屋です』
 そう筆で落とし込んだ文言。実際にそんな部屋が存在するわけなんてないけれど、それでもこれを幼馴染である竹原 彰人の部屋に貼りだしておけば自ずとそう言った展開を作ることはできるだろう。
 時間は深夜、というか朝と言っても過言ではない四時の時間帯。この文言を書くために用意した習字道具の匂いが自室の大半を占めていて、少しだけ換気をしたくなる。ただ、そんな衝動を抑え込みながら、私はニタニタとする口角の緩み、そして想像する未来に対して、わくわくとどきどきが止まらなかった。
「えっとぉ、まず彰人が起きてこれを見るでしょぉ? それで、隣に眠っている私がいるでしょ? そんでもって、彰人が私を起こしてぇ、……うん!」
 我ながら完璧すぎる作戦を立ててしまって、何とも言えない満足感を覚えてしまう。
 ちなみに、作戦の内容としては、彰人が私を目覚めさせた後、適当に私がドアを開けようとする。そこで『あれ?! あ、開かないよ!?』なんて完璧な演技をすれば、もうこっちのものである。
 いやー、実際に外側から彰人の部屋に鍵をかける、ってことも考えたけれど、それってなかなか難しいからね。工具を使って物音が出てしまうかもしれないし、それで起きたらそもそも台無しだし。なにより、こんなことにお金は使ってられないって感じ。
 だから、今回は私の完璧な演技を彰人に見せつけて、あわよくばそういった関係に持ち込んで見せる。この前見た漫画で、きせいじじつ……? みたいなやつを作ってしまえば、とんとん拍子に上手くいくはずだから、とりあえずこれはやるっきゃない。
 私はそうして、彰人のご両親から預かっている合鍵と、書いた紙を持って、幼馴染の部屋へと赴くことにした。
「……おはよーございますぅ……」
 一応、彰人が起きていないかを確認するために、小声で挨拶を書けながら、彰人の部屋へと侵入してみる。
 彰人の両親は今海外旅行中ということで、お姉ちゃん役として普段から関わっている私には、ご両親から合鍵を持たされている。それで毎日彰人を起こして、朝ご飯を作ったり、学校に行ったりしている、というわけなのだ。
 彰人が私の小声に反応することはなく、すやすや、と寝息を立ててぐっすりと眠っている。その寝顔はさながら子どものように純粋なもので、今も楽しそうな夢を見ているんだろうな、ってそう思う。
 ……え、やば。うちの彰人可愛いがすぎるんだけど?
 毎回顔を見るたびに思ってしまうことではあるけれど、こうまじまじと彼の寝顔を見つめることはないから、どこか母性のような気持ちが心をくすぐって仕方がなくなる。もうこの際、この紙を貼りつけずに、そのまま彼の布団に転がってしまいたい、という衝動もある。……けれど。
「そ、それじゃだめだもんね。きせいじじつってやつ、作りたいし」
 だから、私は欲望の衝動を堪えながら、なんとか持っている紙を貼りつけることを優先した。
 だいたい朝五時頃。ぺらぺらと靡く書き初め用紙の音に注意しながら、とりあえず扉の上と天井に張り付けることはできた。
 私の身長は高くない。だから、貼り付けることにめちゃくちゃ苦労を強いられたけれど、それでもなんとかそれぞれの紙を貼りつけることに成功した。それもこれも、自宅にある脚立を運んだからだろう。
 私はとりあえず、このままあっては邪魔になってしまう脚立を家に帰してから、彰人の部屋に戻ることにした。
 今日、邪魔をするものはいない。
 私の妹も、今日はお友達の家でお泊まりをしているし、彰人の両親は海外旅行。私の両親が自宅にいることは不安要素ではあるけれど、別に邪魔するわけなし。なんなら「いいぞ、もっとやれ」ってお母さんとお父さんなら言ってくれるはず! 
 だから、大丈夫! 
 そんな確信を抱きながら、私は改めて彰人の部屋の空気を取り込んで、その安心感をより実感する。
「……ふぁ、ふぁあー」
 普段起きる時間よりも二時間ほど早めに起きたからか、どうにも眠気をこらえられず、そんな欠伸を出してしまう。そのあと一瞬、彰人に声が聞かれてないかな、って不安になったけれど、それでも彼はすやすやと寝息を立てていた。
「ふふ、ふふふふふ……」
 本当に完璧な作戦を立てたなぁ、と思うたびに笑みがこぼれてしまう。
 この作戦によって、私と彰人は結ばれる……、うん、確実に。マジで今そういう流れが来てる。そんな感覚がして仕方がない。
 私は、そんな気持ちを覚えながら、うとうととする頭で改めて、流れを、どんな流れでぇ……、そしてぇ……。
 目を覚ますと、そこはとても居心地のいい空気に満たされている部屋でした。
「ふふ、ふふふ、あきとぉ、あきとぉ……」
 そんな自分が吐き出していた寝言を耳で聞いて、それからだんだんと意識が目覚めるのを感じていく。
 まるで彰人に抱きしめられている、みたいなそんな感覚。というか、マジで抱きしめられているんじゃない?! それくらいに、彼の匂いが私の中を満たしていて──。
「──あれ?」
 そんでもって、完全に目が覚めた。
 私はいつの間にか彰人のベッドにもたれて眠っていたようで、更にいつの間にか、その背中にはシーツがかけられている。
 見慣れた空間、見覚えのある空間。けれど、昨日見た部屋とは異なって、確実に朝日が差し込んでいる明るい空間。
 ……そして。
「え、え? あれ、彰人? 彰人はぁ……?」
 ──どこにもいない、私の幼馴染である彰人の姿。
 更に感じるのは、風が吹いているような感覚。その感覚に視線を向ければ、なぜか開いているドア。
 ……あれ? あれれ?
 よくよく見れば、いつも机に置いてある指定の学生鞄もないし、壁にかけてあった彰人の学生服もない。
 ベッドには彼が寝ていることを示したようなシワのそれと、少し私のよだれがかかってしまっている滲んだ光景。
「ま、まさか」
 私はそんな嫌な予感を覚えると同時に、あらかじめポケットに入れていた携帯で時間を確認する。
「や、やべぇです……、ち、遅刻だぁ……!」
 ──完全に寝過ごした。
 そんな実感を覚えると同時に、私は結局果たされなかった作戦に、悔しい気持ちを覚えることしかできなかった。
     ──────────
 今日の朱音の敗因:早起きしたことによる睡眠不足。
 第二部屋 そして、脱出
 ──目が覚めたら、そこはえっちしないと出れない部屋(絶対)でした……。
 目を覚ましてから、いつも通りに天井を確認してみれば、そんな文言が貼ってある。確か昨日、帰ってからいちいち剥がして隅っこに置いたはずなのに、その甲斐は見られることなく、再びそこには書き初め用紙が貼られてある。しかも、三枚にも連なって。
『ここはえっちしないと出れない部屋です』
『マジでえっちしないと出れない部屋です』
『絶対にえっちしないと出れない部屋です』
 以前見たときと同じように、筆での太文字でそれらが記されている書き初め用紙。ただ、三枚中二枚がどうにも上手く貼りつけられていないのか、かすかに開けている窓から届く風によって、今にも剥がれようとしている。俺はそんな紙のペラペラと靡く音によって目が覚めた。
 ……そして。
「……すやー、すやー」
 ──完全に寝たふりを決め込んでいる幼馴染である朱里が、昨日と同じようにベッドにもたれている姿を視界に入れる。
「……またかよ」
 俺は呆れてため息をこぼしてみる。
 時間帯はおおよそ六時頃。学校に行くにしては早い時間帯。いつもであれば目覚ましをつけているので、そのアラームによって目を覚ますはずなのだが、昨日から自室に違和を覚える状況が続いているせいか、なんとなく朝早くから目を覚ましていることが増えている気がする。
 そして、これ見よがしとしか言えないくらいに、はっきりとアピールするように貼り付けられている例の文言。
『絶対にえっちしないと出れない部屋です』
 特に、三枚の中の一枚であるその紙の、『絶対』という部分は感情がめちゃくちゃ込められているように、とても筆圧が強く、そして太い。
「今度は何の漫画にはまったんだよ……」
 確実に寝ているふりをしている朱里に、俺はそれとなく聞いてみるけれ──。
「──んふ、……あっ、……すやー、すやー」
 俺の幼馴染はそれでも無視を決め込んだ。……いや、確実に一瞬、俺の言葉に反応していたような気もするけれど、なんとなくその反射的な反応が間違いだと思ったのか、再び寝ているふりを決め込んでいるようだった。
「……ふーん」
 俺は意味ありげな息を吐き出しながら、そうしてようやくベッドから身体を起こしていく。
 夏というだけあって、もう太陽は既に明るい陽射しをこちらへと差し込んでいる。一応、まだ冷房の残り香、というか空気があるからか居心地については悪くはないけれど、それでもここに留まる意味はない。
 早起きは三文の徳という。それは時間を無駄にしない、ということを人間の教訓として示したものだと俺は思う。
 それならば、そうであるのならば──。
「さっさと朝の支度をしなきゃなあ──」
 俺はそんな独り言(朱里に向けている時点で独り言ではないことはわかっているが)を呟きながら、ゆっくりと扉の方へと歩みを進めていく。
 ……が。
 ──がしっ。
「──えっ?」
「……すやー、すやー?」
 
 ──寝ているふりをしている朱里に、足をぎゅっと掴まれてしまった。
「……おい」
「すやー、すやー」
「おいって」
「すやー、すやー?」
「おい朱里」
「すやー……、も、もう食べられないよぉ……」
 そんなべた過ぎる寝言があるか、って大きな声でツッコミたくなったけれど、それでも俺はその衝動を堪えて、ふう、と息をついた。早朝だし、唐突に大声でツッコミを入れるのはご近所様に迷惑だからね、仕方ないね。
「いや、俺もう行くから」
 結局、朱里は俺の声に返事をすることがなかったので、俺はそれでも掴まれている足を振りほどくようにして、扉の方へと向かう、……けれど。
「すやー、すやー」
 ──こいつ、思いのほか力が強ェ!
 いや、文武両道の文を抜かしたような人間ではあると思っていたけれど、それでもこいつのフィジカルってここまでのものでしたっけ?! 
 というか、ここまでしているこいつの執念は何なんだよ! 意味わかんないんだけど!
「……はあ」
 ……さて、また時間はある。
 きっと、これは俺の足を掴んでいる朱里が望むとおりに行動をしなければいけないわけではあるのだが、ここでえっち、という手段を取っていいのか、ということについては疑念、もしくは憂いが残る。
 ──だってこいつ、絶対えっちとかいう概念知らないし。
 そもそも、ここは相場で言うのならばセ〇クスしないと出れない部屋だろうに。それをどうしてえっちだなんていう風に表記しているのか、ということを考えれば自ずと彼女が性知識を持っていないことを理解できるはずだ。
 こいつの性知識のレベルについては小学校三年生くらい。う〇ちとかち〇ことか、そういうので笑うことをやめられた、くらいのレベルでしかない。
 もし、ここが本当に性的な行為をしなければ出られない部屋、というのならば仕方がない。昨日みたいに憂いを持つこともなく、慎重に朱里と、ええと、その。まあ、やる、というかなんというか。結ばれる、というか、まあ、うん。とりあえず、そんなことはしてみるけれど。
 あくまでこれは現実なのだ。現実の上で、合意のない女性を、それも性知識のない人間と結ばれることは犯罪でしかない。いや、もし未必の故意というか、ある意味での合意があったとしても、それを朱里に行うことは、なんとも後ろめたい気持ちを抱えてしまう。
 ……あと、本音を言うのならば、クラスの女子が一番怖い。
 ある一場面にて。
『ほらぁ、あかりちゃん? 私のハンバーグ食べるぅ?』
『えっ!? いいのぉ?! 食べるぅ!』
 もしくは一場面にて。
『あかりちゃんって、好きな人とかいるのかなぁ?』
『え、うんっ! いるよぉ!』
 さらにあった一場面にて。
『あかりちゃんは、子ども何人ほしいのかなぁ?』
『え、そ、そうだなぁ。コウノトリさん、運ぶの辛そうだから二人くらいがいいなぁ!』
 ──完全に純粋無垢、その上で人間というよりもマスコット扱いをされている朱里に対して、もし不埒な行為を働いてしまえば、自ずとどうなるかについては理解できてしまう。
『彰人くん、だっけ? 君、朱里ちゃんの幼馴染、とかなんだっけ? ……ふーん、だから手を出したんだ。……へえ。……最悪だね、──このロリコン』
 そんな誹謗中傷がクラスの女連中に言われる様なんて、想像に容易くない。……うん、マジで容易に冷たい目を浮かべるギャルたちが想像できちまう。ただでさえ朱里と弁当食べるときとか、めっちゃ視線怖いのに。
 だから、俺は彼女に手を出すことは許されない。
 ……許されたとしても、俺は手を出す気はないんだけど。
 さて、ここまでの状況を整理したところで、その上で俺がするべきことはなにか。そしてしてはいけないこととは何か。
 もしここが本当に『えっちしないと出れない部屋』ということならば、そりゃあそれは致し方ない部分がある。……ええと、あの、その、なんだ。……まあ、えっちすることについてはやぶさかでもない気持ちが半分以上半分未満くらいはあるのは確かだ。
 でも、ここは確実に人為的に仕組まれていることがわかる空間でしかない。朱里が書いたて貼り付けたであろう文言のそれぞれ、そして未だに俺の足を掴み続けている力強い握力。
 そんな人為的としか言えない自室の中、おそらく『えっち』というものの本質を理解していないであろう朱里に、俺が手を出すことは絶対に許されないのである。
 だったら、ここではどう行動するべきか。
 ……ああ、そんなの決まっている。
「──あ、あー! そろそろ学校に行く準備をしないと、遅刻しちゃうかもなぁ!!」
 そんな、あからさますぎる声。自分自身で思うけれど、あまりにも棒読み過ぎる自身の演技に、我ながら恥ずかしいと感じてしまう自分がいる。
 いや、なんで俺が辱めを受けなければいけないんだよ……。ここで辱めを受けるべきは確実に朱里であるべきなのに──げふんげふん、いや、なんでもない。何も考えていないです。
 そんな棒読み声を出しながら、それから俺はちらちと朱里の方を見る。未だにずっと俺の足首をがっしりと掴んでいる彼女の力が緩むことはなく、そろそろ捕まれいる部分が赤く跡がつきそうな頃合いではある。
「すやー、す……、へっ?」
 ……かかったな、と俺は思った。
 朱里は俺のそんな嘘に騙されるがまま、途端に眠っていたふりをやめるように、呆然とした息を吐き出す。
 これなら力を弱めてくれるだろう。流石に高校生活の中で皆勤賞を目指している朱里であるのならば、彼女がこの状況を諦めてくれる。
 俺はそう期待しながら、だんだんと緩んでくれるであろう握力を待ち続けていた、が──。
 ──ぎゅぎゅぎゅぎゅうううう。
「──あっ待って痛ェ! 痛いんですけどォ!!」
 なんか、なおさら握力は力強くなっていき、その上でアキレス腱が嫌な音を立ててしまいそうなくらいに掴まれていく。
「……まだ、彰人のアラームは鳴ってないから、だいじょうぶ、だいじょうぶよ朱里……」
 俺が悲鳴をあげる中、それでも冷静にと言わんばかりに朱里は小さい声でそう呟いていく。
 クソッ! 見誤ったッ! こいつ、アホのくせにこういうときだけ目敏いんだった!
 ……いや、まあもうそんなことは置いておくとして、それならば俺はどうすればいいんだって話になるわけで。
 ここは朱音が思う通りの行動をしなければいけないのだろうけれど、その場合俺はどうすればいいのだろう。
 え、寝ているふりをしている朱里を襲えばいいんでしょうか。すやー、すやー、とあからさまな寝息を立てている彼女に対して、俺は鬼畜としか言えない所業を犯すことを期待されているのでしょうか。
 え、なにそのエロゲ。しかもただのエロゲとかじゃなくて、めちゃくちゃアングラ向けのエロゲじゃん。睡眠〇を強いてくるシチュエーションとか世界が許しませんよマジで。
 ……っていうか、マジで足痛い。
 流石に俺の悲鳴が耳に届いたのか、先ほど以上に力が強くなる、ということは回避されているけれど、それでも一瞬でもミシミシと音が聞こえそうになった足首がいたくてしょうがない。マジで足痛い。だから、ここはさっさと状況を変えるしかない。
 ……えっ、でもそれって睡〇姦をしろってことになるのでは?
 いや、いやいやいやいや。流石にそれはできないですよ朱里さん。あくまでも寝ているふりをしていることは理解しているし、その上でえっちをしてしまうことに対して合意をされているとしても、それは流石に飲めないっすよ朱里さんっ!
 いやー、流石にそれは駄目です。それは俺のカバーから外れているので無理っす。もともと手を出す気なんて一切ないのに、より一層その気が消耗してきたよ……。
 ……ここはとりあえず、せめて寝ている(ふりをしている)朱里を起こして、そこから話すことにするしかない、か……?
「……あ、朱里さーん? お、起きてー? 朝だよー?」
 訝し気、というか、慎重さを纏うような声遣いを意識しながら、俺は足首を掴みながらベッドにもたれかかり続けている彼女にそう声をかけてみる。
 ……でも、さっき声かけたしな。その上で無視されているから、こんな声で起きるわけもないか──。
「──ん、んん……? あ、お、オハヨー?」
 ──な ぜ こ れ で 起 き た し 。
 そんな俺の心のツッコミは声になることはなく、ただひたすら棒読み以上? もしくは棒読み以下でしかない台詞読みを聞きながら、俺はようやく起き上がった朱里と対面することになった。
「あ、アー! ナンデワタシ、アキトノヘヤデネチャッテルンダロー? スッゴイビックリー!」
 そうして顔を起こした朱里は、未だにベッドへともたれる姿勢だけは崩さないまま言葉を話す。ただ、話している言葉については日本人とは思えない台詞読み。まるで海外から刊行しに来た人みたいな発音で言葉を並べてくる。一応、言葉の意味については理解できるけれど、あまりにも言葉の抑揚がないのとあまりの片言でしかない言語の雰囲気で、俺は呆然とすることしかできなかった。
 ……というか、なぜ今になって起きたし。マジで。なんで俺がさっき声かけたときに起きてこなかったんすか?
 そんなツッコミをしたい気持ちはあったけれど、それを言うことはしなかった。だって面倒だったから。俺にはこいつの考えていることなんて理解できないだろうから、俺はすべてを放棄するという意味合いで考えることをやめてしまった。
「や、やあ朱里。そうだなー、不思議だなー? いやあ、それにしてもいい朝だな、うん」
 返すべき台詞がこれで会っているのかはわからない。まず俺の部屋で寝ているふりをしていたことか、それとも部屋に貼りつけられているいかがわしい命令文についてを言及すればいいのか、そのどちらとも選ぶべきではないのかわからない。
 だから、とりあえず挨拶だけを促して、それから朱里の言葉を待つことにした。
 ……だって、どうせ何か俺からアクションを起こしたとしても、足首を掴まれるという力づくの行動で遮られるわけだし。
 そうして朱里はベッドにもたれながら、顔をひたすらにこちらへと向けながら「そ、ソダネー? イイ朝ダネー?」なんて返してくる。
 いや、さっさと立ってくれよ。そう思うけれど、俺も曖昧にうなずきながら「そ、そうだな」と恐怖が混じってしまったが故の上ずった声で返事をした。
「ウンウン、イイ朝ダヨイイ朝!」
「……うん、そうだな」
「ウン! イイ朝ダナー!」
「…………うん、そうだな」
「……うん」
「……」
 ──いや、お前から話を広げろよ。
 俺、今朱里が怖くて仕方ないんよ。何かしたら骨が軋むような思いをしそうだから、俺から話は広げられないんすよ。どうせ俺が扉に向かっていったら足首掴んでくるんでしょう?! アキレス腱をつぶしにかかるんでしょう?! 怖い、怖いよ俺。そんな状況の中で俺に言葉の選択権なんてあるわけないだろうが!!
 結局、それ以外に朱里がつぶやく言葉はなかった。次第に沈黙というか、窓から吹き抜けてくる風がカーテンを靡かせる音と、そして天井に貼り付けられているいかがわしい文言をペラペラと靡かせる音だけが響いていく。
 ……いや、今このタイミングこそちょうどいいのでは?
 俺は視線を天井に向けた。天井に向けて、それから「あっ」と気づいたような声をあげて、そこに指をさしてみる。
「な、なんか貼られてるなぁ? なんだあれ?」
 我ながらすっごい棒読みだな、とは思うけれど、それでもこいつの片言台詞読みよりかはマシなような気がしてきた。
 互いに演技をするだけの空間。なんで俺はここで演劇をやらされているのかはわからないけれど、それでも俺が発した台詞に朱里は顔も上げていないのに「ア、アレー!? ナニアレー?!」と大げさな声をあげていく。
「ナニナニー? ……エッ、エッチシナイトデレナイヘヤ、ダッテー?」
「……」
 いや、せめて顔をあげてくれよ。俺の顔だけを見つめながらそんなことを言われても反応に困るよ俺。せめて演技をするのなら因果関係だけははっきりしようよ。そこで紙を見ないで台詞を並べたら、確実にお前が仕込んだこと丸わかりじゃないすか。
「……というか、そろそろ立てば? なんでずっとベッドにもたれてるんだよ」
「……あっ、それもそうだね?」
 途端、朱里は饒舌というか普段通りの言葉遣いに切り替わっていく。
 ……どうやら用意していた台詞に関しては片言になるっぽい。今のは俺の言葉に素で反応したから、いつも通りの雰囲気を感じられたのだろう。
 そうして朱里は「よいしょっ」と言いながら、ゆっくりと体を起こしていく。顔だけ向けていた姿勢から、ゆっくりとこちらと対面するために起立の姿勢へと切り替え──。
「──あ、あしが……」
「へっ?」
「──あしがしびれて、立てない……」
「えぇ……」
 俺のベッドの高さについてではあるが、そこまで高い位置にはない。低身長である朱里がもたれて眠っている(ふりができる)くらいの高さにある。ホームセンターで安く売っていたものだからこそ、そんな高さをしている。……いや、別に安いから低いわけでもないか。どうでもいいかもしれない。
 ともかく、その高さを朱里は結構な具合で気に入っていたのを俺はよく覚えている。『私サイズだー!』なんて言いながら、人のベッドであることも忘れて、上にのってぴょんぴょんと跳ねていた記憶も残っている。
 さて、ここで問題である。
 そんな高さのベッドの上でもたれると、人間の姿勢というものはどのようなものに落ち着くだろう。これを考える場合、上半身はベッドに不完全にベッドにもたれるものとする。だいたい頭と肩、それくらいが乗っているくらいの姿勢を想像してもらえればいい。
 どう? わかったかな? おおよそ想像ついたかな?
 というわけで正解を発表しようか。
 ──そう、正解は正座である。
「あ、あきとぉ……。足しびれたー!!」
「……」
 まあ、そりゃそうなるよな、とはなんとなく思った。
 今更気づいたことではあるけれど、朱里の姿勢はは半ば正座のような形に近い。というかほぼ正座だ。
 体重の大半がベッドに寄りかかっていると考えても、それでも足を折り曲げることによる血流の阻害は、だんだんと痺れとして身体に現れてくる。それがどのタイミングになるのかは人それぞれではある。朱里に関しては書道もやっていたから、おそらく結構な耐性というのもついているとは思うのだが──。
「ちなみに、いつからその体勢で……?」
「……よ、四時くらい、です」
「なんでそんな早くから?!」
 原罪の時刻は六時ちょっとすぎ。おおよそ二時間ほども同じ姿勢でいたこの執念がめちゃくちゃ怖い。
「だってぇ、だってぇ……」
 朱里はそう言いながら、今にも泣き出しそうな顔を浮かべていく。……いや、泣き出しそう、というか、悔しそうな表情というか。
 ……ちょっと、そそられる部分がある気がする。
「……えい」 
 俺はそんな悪戯心で、なんとなく彼女の痺れているらしい足に触れてみる。
「ひゃぁっ!? や、やめ──」
「えい、えい」
「じんじんする、じんじんするからぁ──」
「えいえいえいえいえいえいえい」
「やめてってばぁ!!──」
 ──これも、俺の足首を破壊(未遂)しようとした報いだぁ。
 心の中でそう呟きながら、俺はにたにたと笑う。
 とりあえず、しばらく朱里が動けない、というのであれば──。
「よし、朝の支度してくるわ!」
「え、あ、ちょ──」
「お前も早く来いよな!」
「ま、待ってよぉ!!」
 そうして、俺は自室のドア上に貼られている『えっちしないと出れない部屋』という文言を見なかったことにして、そのまま脱出していく。
 ま、学校に行く頃には朱里も降りてくるだろう。
 俺は頭に過るいろいろなことも見なかったことにしながら、ゆっくりと早起きしたことによって生まれた時間を使うことにした。
 ⎿第二部屋 内訳(幼馴染視点)
「なんか楽しそうだね!」
 夕方、というかもう夜の時間帯。それなのにまだ太陽は落ちていなくて、オレンジ色の景色がベランダから覗ける。そんな時間。
 私が居間の方で明日に向けての準備をしていると、妹である藍里がそんな声をかけてきていた。
「そ、そうですかなぁ? べ、別に、明日の準備をしているだけですけどもぉ」
「な、なんか語尾が変たけど……」
「そ、ソンナコトナイデスゾ!」
「えぇ……」
 なんとか完璧な演技で彼女の言葉に返してみるけれど、それでも藍里は私の準備が楽しそうに見えるのだろう。少しきょろきょろとしながら居間の床に折りたたんでいる書きあがった作品たちを見つめてくる。
「え、習字とか久しぶりじゃない? 中学卒業以来やってなかったのに」
「ま、まあね……。興が乗った……? とか、そういうやつ、みたいな?」
 なんかこの前見た漫画であった台詞を真似しながら、私が彼女に返事をしてみる。実際に意味はよくわかっていないけれど、まあそれっぽい返事だったからか、藍里は何も気にしないまま「ふぅん?」と興味がないような返事をした。
「いやー、私は文字書くの下手だからなぁ。お姉ちゃんをお手本にしなきゃだよね」
「そんなことないよぉ! えへ、えへへへ」
 ──藍里はいい子だ。
 なんか他の友達から話を聞くと、兄弟とか姉妹で仲が良いっていうことはあまり聞かないけれど、でもそれに反して藍里はいつも私に声をかけてくれる。しかも、毎回私を褒めてくれる。
『お姉ちゃんの料理は本当に美味しいよ!』
『本当にお姉ちゃんは賢いなー!』
『マジお姉ちゃんラブ、大好きっ!』
 毎回それを彰人に報告する度に『……そ、それはよかったな』と少し目を逸らしながら返事をしてくるけれど、やっぱり姉妹同士で仲が良いっていうことは珍しいんだろうなって思う。そして、私に対して仲良くしてくれている藍里にも感謝が尽くせない。
「それにしても今日はどんな作品を仕上げたのー? 私、ちょっと見てみたいなぁ──」
 藍里はそんなことを言いながら、私が書き終わって折りたたんでいるアレをそうっと手に取ろうとするけれど。
 ──パシッ。
「──あ痛ァ!」
 ──衝動的に、私は彼女の手を跳ねのけてしまった。
「あ、ち、違うの! ごめん、ごめんね藍里! た、たまたま蚊がね! 手の甲に止まってたから!」
「あ、そうだったんだ! ごめんね、ありがとう! それじゃあ早速作品を拝見──」
 ──バシィッ!
「痛いぃッ!」
「え、あ、違くて! 蚊が、蚊がね? うん、そう、蚊が今紙の周りに大量発生しているから! ごめん、ごめんね?!」
「そ、そんなことあるかな?! 今のところ虫一ついないような気がするけど!?」
「こ、これはね、書道を極めた人間にしかわからない蚊ナンダヨ!」
 途端、めちゃくちゃ上手い嘘がつけたなぁ、という確信。そしてその確信の通り──。
「──まじ?! やっぱりお姉ちゃんすごいね!」
「え、えへへ、そ、そうなんですよぉ、へへ」
 藍里は私を疑うことなく、ただ頷いてくれる。
(ふぅ、私が天才でよかったぁ)
 私は自分自身が天才であることに感謝をしながら、なんとか床に畳んでいた紙のそれらを部屋に持ち帰ることにした。
 だ、だって、彰人といちゃいちゃするためのものを用意してる、ってなんか恥ずかしいもんね。ば、バレたくないし。
 せっかく藍里が私を完璧人間として見てくれているのなら、そのままで思っていてほしいし。……うん。藍里の期待を裏切らないためにも、これは仕方のないこと!
 そう思いながら、私は自室へと戻ることにする。
 流石に居間に置いておくのはよくない。どうせそんなに重くもないし、準備は自分の部屋でやろーっと。
 私はそれから藍里に「ちょ、ちょっと勉強してくる!」と言いながら紙と荷物を持って居間を後にする。
「うん! 頑張ってねぇ! 蚊に気を付けてねー!」
「え? あ、うん? わかった、とりあえず気を付けるー!」
 なんでいきなり蚊の話がでてきたのかわからないけれど、私は藍里の声に頷きながら、その場を後にした。
「……」
 私は賢いので、今日あったことを反省できる人間なのである。
 今日、彰人の部屋に仕掛けた『えっちしないと出れない部屋』だけど、私がそのままアキトノヘヤで眠りこけてしまったために、結局閉じ込めることも出られないこともかなわなくなってしまった、という部分がある。
 今日一日、私は高校での大半の時間を犠牲にして、それについての対策を考えてきた。
 早起きについては必須。だって、そうしないと彰人と私を閉じ込めるための状況づくりができなくなっちゃう。起きてすぐに見てもらわないといけないから天井にも貼り付けなきゃだし、扉の上にもつけなきゃいけない。漫画がそんな感じだったから、きっとそれは必要なことなんだと思う。
 だから、早起きは必要過程。必須なのだ。でも、早起きをすると、その分寝る時間は減ってしまうわけで、どうしても彰人の部屋で眠ってしまいたくなる気持ちを抑えることはできないと思う。
 じゃあ、その気持ちを抑えるために必要なことはなにか。
 ──それだったら、めっちゃ早い時間から寝れば解決するじゃん!
 これ、もう学校で考えているときから天才的発明だな、ってそう思わずにはいられませんでした。そうだよ。早い時間に起きなければいけないなら早い時間に寝ればいいだけ! いつも九時とか遅い時間にベッドに入って寝てしまっているけれど、それよりも早い時間に寝れば大丈夫!
「……ということで」
 私は今の時刻とアラームを確認して、早速ベッドの中でタオルケットに包まっていく。
 やばい、完璧な作戦だぁ! 
 これで明日こそ、彰人ときせいじじつってやつをつくるんだぁ──。
 そして、予定通りに私は深夜三時半に目を覚ますことに成功できた。アラームが鳴り始めたその一秒後には完全に状況を理解していて、藍里やお父さんお母さんが起きないために、瞬時にアラームの音を消していく。
「えっと、ええと。まず、制服に着替えてから、脚立を準備……、じゃなくて、貼る紙とガムテープを持ってから、それで脚立を持ってってぇ……」
 私はそうあらかじめ考えていたことを頭の中で整理しながら、早速彰人の部屋で準備をすることにした。
「……」
「……邪魔するぜぇ……」
 私は小声で彰人に挨拶をしながら、部屋の中に入っていく。
 時間はまだ三時四十分。こういう準備って早めにしておくことが大事ってことはよく知っているからこそ、現在時刻からわかる余裕があることを理解して、大きな安心感を感じた。
 とりあえず、小声ではあるけれど声をかけた彰人は私に反応することはない。
 まあ、そりゃあそうだよね。いつも私が起こさないと全く起きないんだもん。こんな早い時間に目を覚ます、なんてこと、彰人にはないですよ、ふふ。
 一旦、彰人の寝顔を見続けていたいような気持もあったけれど、今よりも未来のことを優先すべきだよなぁ、とそう思って、私はさっそく彰人の部屋にぺたぺたと紙を貼りつけることにする。
 まずは簡単なドアの上、そして天井っていう風に、だんだんとレベルの高いところに貼り付けていって──。
「ふう……」
 そして、なんとか支度が終わった。
 正直、三枚も貼るのは面倒くさかった。一枚でいいんじゃないかな、って思ったけれど、それでも彰人はとうへんぼく、ってやつらしいと友達から聞いたから、とりあえず天井に三枚貼り付けてみた。
『ここはえっちしないと出れない部屋です』
『マジでえっちしないと出れない部屋です』
『絶対にえっちしないと出れない部屋です』
 ここまで貼っておけば、彰人が起きても無視はできないだろうし、私を起こしてくれるだろう、という予測が立つ。
 ちなみに計画についてはこうだ。
 一、彰人が目を覚ます。
 二、彰人が紙に気づいて私を起こす。
 三、私が起きる。
 四、私がドアを開けられないふりをする。
 五、私と彰人が結ばれるぅ……。
「へへ、へへへへへ……」
 やばい、めちゃくちゃ簡単に彰人と結ばれそうでにやにやしちゃう。なんか無意識に声とか出ちゃってました。
 とりあえず、彰人が紙を見るまでは起こされても無視しなきゃいけない。……でもなぁ、彰人は鈍感っていう人らしいから、それでも気づかずにそのままドアへと進みそうだしなぁ……。
『そういう時は、力づくで止めちゃえばいいんだよ!』
 私がそう悩んでいると、いつも学校でお話している友子ちゃんがそう言っていたことを思い出す。
 そっか、力づくで止めて、それから紙に気づいてもらえればそれでいいんだ! それで、それで私が起きて、ドア開けられないふりをしてぇ……。
「えへ、えへへぇ……」
 もうニヤニヤが止まらない。
 私はそうして、早速彰人のベッドにもたれながら眠るふりをすることにした──。
「──さて」
 いつも通りの自室。見慣れている置物、勉強机、エアコン。そしてつけたばかりの冷房で揺れる書き初め用紙のそれぞれ。
 夕方と言うには眩しいと感じる太陽の角度。きっと夏だからなんだろう、まだ効き始めてしかいない冷房の温度は、俺の額に汗をにじませてくる。
 ……いや、俺が汗をかいているのは、きっとそれだけではなかった。
「──この部屋はなんですかね」
 幼馴染である朱里の妹、藍里ちゃんは俺の部屋を眺めながらそんなことを呟く。しかも、人生の中で初めて見たような気がするほど、とても朗らかな笑顔、……というか、冷たい笑顔。
 
 そんな彼女の笑顔の中にある瞳は、確実に俺のことを射殺すような視線をしていて、それだけで心臓に針を刺されるような錯覚を覚える。
「──お話、しましょうか♡」
『絶対にえっちしないと出れない部屋』、そう書かれている部屋のど真ん中で、彼女は確かにそういった。
 ──やばい、遺書書く時間あるかな。
 俺は朱里の行いに対して少しの憤りを覚えながら、もうすぐやってくるであろうその最期に覚悟を決めた。
 世の中には喧嘩を売ってはいけない人種、もしくは関わり合ってはいけない人種というものがいると思う。
 それは例えば暴走族とか不良とか、半グレだとかヤクザだとか。まあそういった人種は結構いるよねって話。
 ただ、そんな人種に関わることってそんなにはないだろう。俺は今までの人生の中で反射的な勢力と関わったことはないし、今後もそういう機会はないと思いたい。だって怖いし。
 そんな前提を踏まえた上ではあるが、それは日常の裏側での話。関わらない人間であるのならば考えなくていいことなんだけれど、日常を送るうえでは関わることが必須となる人物が存在しているものだ。
「……」
「……は、はは」
 心の底から乾いた笑いが出た。
 あれなのかな。きっとヤンキーとかに絡まれたときってこんな感じになるのかな。頭真っ白になって、何も言葉とか言い訳とかできなくて、ただただ愛想笑いを振りまくだけの機械になるんじゃないか。今の俺はそんな風なスマイルマシーンになっているんじゃないだろうか。
 空虚な笑いが自室に響く。けれど、目の前にいる彼女はその声に反応することはなく、ただひたすらに冷たい笑顔を浮かべては、ただただ沈黙を繰り返している。
 ……ええと、何の話をしていたんだっけ。……ああ、そうだ。日常の中にいる関わってはいけない人、という話だったような気がする。
 まあ、詳細を言うのならば、日常、言い換えれば学校生活という風になるのだろうが、学校生活の中で関わってはいけない、という人は正直いない。どちらかというと、関わることがいろいろな意味で難しい人種が多いよね、って感じ。
 例えば、それは俺にとっての朱里の女友だち。もしくは朱里をめちゃくちゃに可愛がっているギャルの人。
 ……そして、俺の中でトップクラスに関わることが難しいと思っているのは──。
「──今、笑っていいなんて言いましたっけ? 私、彰人さんとお話がしたいだけなんですけど」
 ──そう、目の前にいる二人目の幼馴染、というか、幼馴染の妹。朱里の妹である藍里ちゃんである。
 髪型は黒髪ストレートの肩にはかからないストレート。身長は朱里よりもだいぶと大きくて、朱里と彼女で二人で並んでいると、どっちが姉なのかわからなくなるくらい。
 成績は優秀、と聞いたことがある。いつも朱里が『私に似て賢いんだぁ!』なんて戯言を語っていたような気がする。
 まあ、端的に言うのであれば、朱里の逆の属性を持っているタイプ。運動が得意なのかどうかは知らんけれど、勉学に関しては朱里と比較すれば対極に位置するような、そんなタイプの子。
 そしてここで問題なのは、──彼女が重度のシスコンであることだ。
「え、あ、そ、その。……ごめんなさい」
 そんな朱里の妹に、重度のシスコンである藍里ちゃんに、俺は正座で頭を下げている。所謂土下座というものである。
 なんでこんなことになっているのかを説明しなければいけない。といっても、説明することなんて正直ないんだけれど。
 一、帰宅部の俺が学校から帰ってくる。
 二、なぜか玄関に誰かの靴が置いてある。
 三、訝しいと思いながら自室に行くと、なぜかそこには藍里ちゃんが仁王立ちで。
 四、そして自室には朝に剥がし忘れていた『絶対にえっちしないと出れない部屋です』という紙がいまだに貼り付けられている。
 
 ……いや、言い訳をさせてもらえるかは知らんけど、紙については帰ってから剥がそうと思っていたんですよ。だって、朝って結構忙しいじゃないですか。早起きした分、余っている時間とかも確かにあるにはあったけれど、それを剥がす作業に使うのって面倒くさいじゃないですか。どうせならちょっと余裕のある時間でぐでーっと過ごして、帰ってから嫌々剥がす、というか。いや、嫌々というかなんというか、剥がさなければいけないから剥がす、というだけの話でしかないんですけど。
「……何がごめんなさい、なんですか? 何を悪いと思って彰人さんは謝っているんですか? 何か悪いことをしたんでしょうか?」
 まあ、ともかくとして、朝に剥がし忘れていたつけが今になってやってきた、という話である。この上なく理不尽としか感じないことではあるけれど、それでも事情を知らない藍里ちゃんにとって、この部屋はどうしたって変態色情魔の空間でしかない。
 藍里ちゃんは未だに冷たい鉄仮面のような笑顔を続けながら、射殺す瞳をずっと俺に向け続けている。
 さて、答えをここで間違えたら死ぬ。確実に死ぬ。絶対に死ぬ。ああ、すぐ死ぬ。
 だから、ここは慎重に、適切に藍里ちゃんの言葉に答えなければいけない。俺、何一つとして悪くないし、なんなら書かれている文言の1パーセントさえ手を出していないわけだけれども、それでも何か言葉を紡がなければいけない。さもなくばシスコンである彼女に誤解を与えたまま、俺は殺されてしまうだろうから──。
「ええと、あ、あのですね? これはその、朱里が早朝にこれを勝手に貼りつけ──」
「──は?」
「──ヒィッ!」
 ──確実に女の子の喉から出てはいけない低い声が聞こえてきた。錯覚じゃない、これ以上ないほどに低い声が耳に届いて殺されそうになっていることを改めて自覚した。
「お姉ちゃんがそんなことするわけないですよね。わかってますよね? あのお姉ちゃんが、あのアホ可愛いお姉ちゃんが『えっち』なんて文言を書くわけないじゃないですか。言い訳をするにしてもマシな言い訳をしてください」
 自身の姉をアホという風に蔑みながらも、可愛いという言葉で結局はシスコンであることを強調してくるような振舞い。
 いつの間にか彼女の表情は笑顔から真顔になっている。え、怖い。俺何一つとして嘘言ってないのに。
「い、いや、見てくださいよ! 俺、こんな綺麗な字書けないですよ! これを書いたのは朱里だってことは──」
「──朱里さん」
「あ、朱里さんだってことはわかるでしょう?!」
 ちょっと自分でもきちんと根拠を提示出来たような気がして、少しだけ安堵が心の中に生まれる。
 ……が。
「──彰人さんが書かせたんでしょう?」
「へ……?」
 藍里は納得も理解も出来ていないように、ひたすら俺を蔑むような冷たい瞳を浮かべていた。
 ……やっぱり俺死ぬんだ今日。
 辞世の句はやっぱり『わが生涯に一片の悔いなし』とかがいいのかな。辞世の句、詠んだことも見たこともないから知らんけど。というか悔いしかないんですけど。言われもないことで死の機器に直面していることに、俺はどうしたって理不尽を感じずにはいられないんですが。
 ……いやいやいや、冷静になれ彰人。なんで俺は何も悪くないってことを理解しているのに、その上で死を覚悟しようとしているんだ。間違っているのは確実にこの状況で会って、俺は何も間違っていないだろう?
 ここは流石に抵抗、というか否定をしなければならない。きちんと俺じゃなく朱里がやったということを、いろいろな根拠を並べていくしかない。……藍里ちゃんにそれを伝えるのは滅茶苦茶怖いけれど、それでも事実を伝えて、なんとか死を回避しなければ。
「……え、ええと、喋ってもいい、……です、かね?」
「どうぞ? ようやく罪を白状する気になったのなら止めませんよ」
「い、いや、そういうことじゃなくてですね。あのぉ、……俺が書かせた、というのは?」
 とりあえず俺は純粋な疑問を口にしてみた。いろいろと否定することから始めるよりも、きちんと彼女がどのように誤解をしているのかを把握しなければ、解決も何も図れなさそうだったから。
 俺がそういうと、ぴく、と彼女の眉が動いた。眉間にしわを寄せるようにして「はぁぁ」とあからさまなくらいにものすごく大きなため息を吐く。視線はいつまでも俺のことを見下げていて、その目からは『そんなこともわからないの?』という意図が孕んでいるような気がした。というか絶対そういう意図で睨んできてる。
「いいですか?」と藍里ちゃんは口上を置いて、そこから語り始めていく。
「そもそもですよ。あのお姉ちゃんが卑猥な文言を書く、ということがありえないんです。そういった言葉を知っている節もありませんし、そういった言葉を知る情報元、つまりソースというものがお姉ちゃんの部屋にはないんです」
「……」
 なんで姉の部屋にそういったものがないことを知っているんだよこえーよ。
「そんな姉がですよ? 未だに子供はコウノトリが運んでくると本当に思い込んでいるお姉ちゃんが、…………そ、その。え、えっち、っていう単語を、発したり、記すことはないはずなんです」
「……まあ、そりゃあアイツには無理だろうな──」
「──は? もしかしてお姉ちゃんを馬鹿にしてます?」
「──ひぃっ! め、滅相もございません……」
 いや、藍里ちゃんが言ったから俺も肯定しただけなのに……。
「ともかくですよ」
 藍里ちゃんはこれまた深い溜め息を吐き出した後に話しを続けていく。
「そんなお姉ちゃんが書くことはない文字を何故か書いているんです。……ええ、確かに彰人さんの言う通り、あの筆跡はお姉ちゃんのもので間違いありませんよ。……でも、だからこそ彰人さんがお姉ちゃんに『書かせた』ということ以外じゃ辻褄が合わないんですよ」
「え、えぇ……?」
 そこで俺に限定する意味あるかなぁ。朱里が影響を受けるのであれば、確実にアイツの女友達から借りてくる漫画とかの影響だと思うんですけど。
 正直、そのままこの気持ちを伝えてもいいかもしれないけれど、それはそれとしてその事実を伝えたら新たな被害者が生まれてしまう可能性がある。
 ……二次被害を増やさないためにも、ここは何とか誤魔化していくしかない。
「で、でもですよ? 俺がアイツに書かせた証拠とかってないでしょう? ……そんな証拠もないのに俺を犯人だって決めつけるのは──」
「──ありますけど」
「流石にちょっと──、え、あるの……?」
 え、なにそれこわい。俺の知らない証拠が勝手に出来上がっているこの世界怖い。
 戸惑いしか生まれないこの状況。俺は唖然としながら藍里ちゃんを見る。
 ……この上ない嫌悪感を覚えているような、そんな苦虫を噛み潰したような表情。
「えっ、本当にあるんすか……?」
「なかったらこんな風に彰人さんを責めたりしないでしょうが」
「そ、そっすよね……、……」
 ほんとかぁ? と言葉が漏れそうになったけれど、なんとか呑み込む。
 藍里ちゃん、いつも俺を敵対視しているから、証拠なくても俺を食い殺しに来そうだけど、……それはともかくとしてだ。
「じゃ、じゃあその証拠とやらを見せてくださいよ……。俺もそれを見て納得できたら、もうなんでも言うこと聞きますから」
 ……まあ、『死ね』という命令以外なら聞いてやりますとも。俺ができる限りは。
「……いいでしょう」
 藍里ちゃんはそれから得意げになったような表情を浮かべて、彼女の来ている制服からスマホを取り出していく。
 ……そして。
『……ええと、彰人が紙に気づいたら、ええと。あ、あれー? なになにー? えっちしないと出れない部屋だってー? ……うーん、もっと声に気持ちを込めなきゃな──』
 ──幼馴染である朱里が、朱里の部屋で台本を読み込んでいる映像が、そうして俺の眼前に突きつけられた。
 えっ、なんでさも当然のようにこの妹ちゃんは姉の部屋を撮ってるの? 盗撮じゃない? 
 っていうかそれ以前に、なんかこの映像見てると恥ずかしくなるんだけど。なんだろう、めちゃくちゃ共感性羞恥を感じさせられるような──。
『──ア、アー! ナニアレー! エッチシナイトデレナイヘヤダッテェ?!──』
「──や、やめてあげて……。これ以上朱里の恥ずかしい姿を俺に見せないで……」
 いろいろとツッコミたいところはあるけれど、それについてを口に出したら、すぐに首がチョンパされる運命を辿るだろうから、盗撮の件については口にしない。
 ……うん、そこは絶対につっつかない。
「ほら、その反応が証拠じゃないですか。あなたが作った台本を、お姉ちゃんは健気に読み込んで練習しているんですよ? その姿が後ろめたいから見たくないんでしょう? はあ、本当に最低ですよ彰人さん。あなたがそんな人だとは思いませんでした。健気で無知、純粋な姉を利用して、こんなことを仕組むなんて。……この、変態ッ」
 蔑む視線が俺のすべてに注がれている。いや、俺がその映像を見続けたくないのは共感性羞恥からだし、そもそも朱里に手を出すなんて、高校生活における世間体がかかっているから、3ミリくらいしか考えたことないのに。
 ……それはそれとして、年下の子に変態って言われるの、傷つくのとは違う感覚があるな。なんだこれ、新しい感情……?
「……ほら、またそうやっていやらしいことを考えているじゃないですか。本当に変態はどこまでも変態でしかないんですね。……軽蔑します」
「い、いや? ち、ちっとも考えてないけど?」
 少し図星を突かれたような気がして、俺はそんな風に強がってみるけれど、もう藍里ちゃんの視線は俺から他のものに移っている。何を見ているんだ、とそう思ったけれど……。
「変態と同じ空気を吸うのも嫌になってきました。窓開けて新鮮な空気を吸わなきゃ」
 ……単純に、軽蔑している対象である俺に視線を合わせたくなかったらしい。藍里ちゃんはそれから言葉通りに窓際の方まで行って、窓を豪快に開けていく。
 そうして吹く風。熱風。夏に吹く風は、どこかドライヤーのようにも感じる。まあ、あれよりもじめっとしているから嫌悪感のほうが強いけれど。
 ただ、それでも冷房を付け始めたばかりの部屋には少しの清涼剤くらいの役割は果たしていて、それはなかなかの強さを持った風が部屋に流れ込んでくる──。
 ──バタンッ。
「ん?」
「え」
 そんな、何かが開閉する音が背中の方から聞こえてくる。
 俺はそうして後ろを見た。
 ぺらぺらと風に靡く、卑猥な文言が書かれた書き初め用紙。どれだけ風が強くても剥がれず、そして破れずにいつまでもドアの上に鎮座している。
 そして、──強風によって勢いよく閉まってしまったドアの姿。。
 ……更に。
「──と、とうとう私にまで手を出そうって言うんですか……! こ、この色情魔ァ!」
 そんなドアの音に反応した藍里ちゃんの、これでもか、ってくらいに俺を責めるような、その視線、声、言葉。
 えぇ……、俺悪くないのに……。
 俺はそんな戸惑いと諦めを抱いたような溜め息を吐くことしかできなかった。
「お、お姉ちゃんという存在がありながら、それでも私にまで手を出そうって言うんですか?!」
 藍里ちゃんは現在の状況を受け入れられないのだろう、戸惑いを言葉で表現しながら、いつまでも俺のことを怒りの面持ちで睨み続けている。
「た、確かにお姉ちゃんは魅力的です、ですから手を出したくなる気持ちもしょうがないって思ってましたけど、ま、ま、まさか妹である私にまで魔の手を……!」
 いつまでも藍里ちゃんは混乱から抜けきることができないようで、閉まってしまった部屋の中、大げさな身振りを繰り返して口をぱくぱくさせて続けている。
「この悪魔! 変態! ド変態! ロリコン! 色情魔! 不審者! ドスケベ!」
「……」
 ちょっと録音しておけばよかったな、と思う自分がいたけれど、そんな欲望はさておき、この状況と彼女をどうすればいいのか、そこからまずは考えていく。
 流石姉妹というところなのだろうか。思い込みが強いというか、肝心なところでポンコツというか。なんとも言えないところが似通っているような気がする。
 別に壁や扉の上にあの文言が貼られているからといって、それで本当に閉じ込められたわけではない。だって、エロ漫画じゃあるまいし。
 ……まあ、とりあえず開けてやるか。それで少しは落ち着いてくれるだろう。
「はいはい、今から開けるから……」
 俺は諦観を息に孕ませながら、正座からそうっと立ち上がっていく。少し足が痺れていたから、今朝に二時間ほど正座をしていた朱里の足はどれほどの感覚だったんだろうな、と思い返して笑みがこぼれる。
 そうして俺は扉の方へと近づいていく。なんてことはない、ただドアを開けるだけなのだ。それ以上のことはないのだ。
 俺は藍里ちゃんに潔白を証明するように、さっとドアノブへと手を伸ばしていくが──。
 ──バシィ!
「イッテェ!!」
 途端、藍里ちゃんにその手を弾かれた。
「え、え……? な、なんで?」
 ドアを開けようとしただけなのに。
 そんなタイトルの小説が書けそうなほどに困惑してしまった俺に、藍里ちゃんはきっと睨み続けたまま「変態に開けさせるわけないでしょう?!」と返してくる。
「そんな風にニヤニヤしてッ! どうせ『わー開けられないよー、どうしよー』とか下手な演技をするつもりだったんでしょう?!」
 ……いや、それをやろうとしていたのがあなたのお姉さんだと思うんですけど、きっと。
 ただ、流石にそれを言葉にすることはできなかった。まあ、十中八九ビンタか首チョンパに繋がるだろうから。
「さ、下がってください。私が開けますから……」
「……うん」
 俺は何も言えないまま、彼女の言葉の通りに扉から下がって、もともと正座していた位置に立ち尽くすことにする。何も悪巧みなんてしてませんよー、という意思表明。それは距離があればあるほど証明できるような気がしたから。
 そうして藍里ちゃんはゆっくりと扉のドアノブへと手を伸ばしていく。その動作にはやけに重みがあって、本当に扉が開かないんじゃないか、と彼女自身がそう思っているような。……いや、まあ開くんですけど。
 ……そして。
 
 ──ガチャ……。ガタッ、ガタガタッ。
「え、あ、開かないぃ!!」
 ああ、そういえばこのドア、立て付け悪いんですよ、はは。
「そんな、そんなぁ! じょ、冗談でしょ! あ、お、お姉ちゃんが悪戯してるんでしょ! 彰人さんに命令されて! い、いいの! もういいんだよ! もう彰人さんのことなんか忘れていいんだよ?!」
 なぜか更に藍里ちゃんの中での俺の評価が下がっているような気がするけれど、ともかくとして藍里ちゃんは混乱に混乱を重ねた慌ただしい様子でドアをがたがたと揺らしていく。
 それでもそのドアが開くことはない。もちろん朱里が悪戯をしているわけでもない。今日は確か女友達の家に遊びに行く、って帰るときに言っていたはずだから、そこに朱里はいないはずだ。
 だから、もちろん藍里ちゃんの声は俺の耳にしか届かない。ドア越しには誰もおらず、ただただ立て付けの悪いドアに彼女は翻弄されていく。
 いやー、普通にドアを持ち上げるようにすれば開くんだけどね? ちょっとドアの下部の部分が床に沈んでいるだけだからさ。それくらいの立て付けの悪さでしかないからさ。
 でも、俺がそれを言葉にすることはない。
 
 だって、なんか面白いし、ちょっとすっとするから。
 い、いやだってさ?! 俺何も悪くないのにさぁ?! それでも責められるっておかしいじゃないですか! 冤罪もいいところですよ、というか冤罪でしかないんですよ! 今までに出された証拠も全部憶測で俺が絡んでいるって言ってきてさぁ?! さも俺のことを黒幕化のように疑ってきていてさぁ?! 少しくらいは痛い目にあってもらわないと困るっていうかさぁ!
 そんな心の中での吐露はもちろん藍里ちゃんに届くわけもない。彼女はただひたすらにドアを引っ張ったり推したりを繰り返していて、結局それが報われることはない。
「どうして!? なんで開かないのぉぉ!」
 藍里ちゃんは焦燥感をそのまま口にする。俺はその焦燥感をさらに煽りたくて、的確な言葉を思いついた。
「──出られなくなっちゃったね?」
「ひぇっ!?」
 だから、それを彼女にぶつけてみた。
 うん、悪意はない。悪意はないです。端的に事実を彼女に伝えただけです。それ以上も以下もないです。状況を整理しただけです。
 藍里ちゃんは俺の言葉に背中を弾ませる。
 そうして彼女の視界に映るのは、あの文言。
『絶対にえっちしないと出れない部屋』
 ドア上部、そして天井にも貼られている、卑猥な文言。張り紙。キャッチコピー。
「そ、そんな……」
「──それもこれも、藍里ちゃんがいけないんだよ」
 だって、ドアが閉まったのは彼女が原因だし。俺悪い子としてなのに、一緒の空気を吸いたくないって理由で窓を開けた彼女が悪い。
 うん、そういう意味で言いました。他意はないです、これっぽっちも(目を逸らしながら)。
「じゃあ、……これからどうしようか?」
 俺はにっこりと微笑みながら藍里ちゃんに聞いてみる。
「あ、あ、あぁ……」
 そうして彼女の表情が絶望に染まる。
 膝をがくっと落として、ただひたすら虚ろな目に。
 ……少しやりすぎたかな?
 そんな罪悪感が少しだけ宿ったけれど、それ以上にスッキリした感覚があったから、これでいいのかもしれない。
「ま、冗談だよ! 大丈夫! 実はこのドア、立て付けが悪くて──」
 そうして俺はようやくネタバラシをする気になって、ゆっくりとドアの方へと近づいて、実際にドアを開けてみる、が……。
「──」
「──え、気絶してる」
 呆然自失とはまさにこのことを言うのだろう。
 目を開けたまま、そして俺の言葉も受け入れられないまま、ただ膝を落とした状態で絶望の表情を浮かべている少女。
 ……確実にやり過ぎたわ。
 とりあえず俺は、気絶している彼女をそのまま朱里の家に運ぶことにしましたとさ。
 ──目が覚めたら、そこは見慣れた自分の部屋でした。
「……」
 何が起こったのか、いつの間にか眠っていたのか、私はそれを思い出すことができなかった。ただ、それでも自分が自室にいることに対しての違和感があって、どうしてそんなことを感じているのかがわからない。別に、自室にいてもおかしなことではないはずなのに。
「……」
 なんとなく頭がすっきりしないような感覚。昼寝でもしたっけ? ……いやいや、学校から帰ってすぐに昼寝するなんて、私はあんまりするタイプじゃない。よほど疲れている状況に立たされていなければ、その限りでもないけれど、それでも別に疲れている感覚はないし、なんだかよくわからない。
 とりあえず体を起こしてみた。違和感の正体を探るために、眠る前の記憶を探してみる。
 体を起こして感じたのは、ベッドの近くに携帯がないこと。「あれ?」と声に出してみて、それから携帯を探すようにする。でも、失くしたとかそういうわけじゃなくて、いつも通りというべきか、制服のスカート、そのポケットのなかに携帯は入れていた。安心安心。
 時間はもう夜の時間帯。夕飯時だなぁ、とぼんやり空腹を感じる身体に、そろそろ母から声がかかるんじゃないかなぁ、という予感を覚える。
 そんな予感を覚えながら、とりあえず思い出せるだけ今日のことを思い出してみる。ええと、今日は学校があったな。給食が苦手なプチトマトだったな、国語の先生が面白かったな。友達は今日遊べなかったな、とか、そんな感じの記憶はある。
 ……ええと、それでなんだっけ? その後のこと、放課後のことが思い出せない。
「うーん、なんかあったっけなぁ」
 ぼそっと独り言を呟いてみるけれど、呟いたからって、それで記憶を思い出せるわけじゃない。
 私は私の体温に染められているシーツの温もりを感じながら、そんなくだらないことを──、ん?
 ──なんで私、制服着たまま寝転がってたんだろう。
 よくお母さんに、制服は帰ったらすぐ脱いでね、って言われている。それはもう口を酸っぱくするくらい、耳にタコができるくらい言われているから、なんとなく身体に習慣が染みついて、毎日言われた通りにしているんだけれど。
 せめてベッドの上で寝転がるのであれば、制服は脱いでいるはずだ。……でも、なんで着たまま寝転がってたんだろう? そこまで疲れた記憶もないし、よくわかんない。
「ま、思い出せないことはしょうがないよねぇ……」
 私はそんな諦めを胸に抱いてから、再びゆっくりとベッドに寝そべって、少しだらしがない体勢で携帯を見つめてみる。
 うーん、昼寝しちゃっただろうから、今日も夜更かししちゃうんだろうなぁ。……確か、昨日もお姉ちゃんを監視するために夜更かしした記憶がある。
 まあ、どうでもいいことだけれど。
(さーて、今日もお姉ちゃんのお宝ビデオでも見ることにします、か……。……)
 ……。
 …………。
 ………………あ。
『どうして!? なんで開かないのぉぉ!』
『へ、へへ、と、閉じ込められちゃったねぇ……』
『ひぇっ!?』
『ふふ、ふふふふ……』
『それもこれも、藍里ちゃんがいけないんだよぉ……?』
『そ、そんな……』
『じゃ、じゃあ、これからどうしようか……、へ、へへへ、へへへへへへへ──』
「──ぁぁぁあああああ!!」
 そうして思い出してしまった記憶。
 わ、私が彰人さんの部屋に行って、お姉ちゃんのことを注意して、そ、それから彰人さんに閉じ込められて……。そ、それでその部屋が『絶対にえっちしないと出れない部屋』で、お姉ちゃんが彰人さんに利用されてて……。
「そ、そんな、そんなぁ!!」
 最初こそは彰人さんの悪戯とか、もしくはお姉ちゃんの可愛い悪戯だと思ってたけど、なんか本当にドアが開かなくて、それで彰人さんが私に迫ってきて──。
 ──そして、今は自室。
 ────えっちしないと出られない部屋に閉じ込められたのに、なぜか今は自室。彰人さんの部屋ではなく、完全に見覚えのある自室。
 ──────それが、意味することは──。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「──ちょ、ちょっと藍里ちゃん! 大丈夫?! す、すっごく大きな声だけど?!」
 
 私の叫び声に、お姉ちゃんは驚いたのか、私の部屋のドアを開いて、その可愛い顔を見せてくる。
 いつもなら嬉しいことであるはずなのに、それでも事実だけを羅列したうえで気づいてしまったことに、私は絶望を隠すことができない。
「そんな、そんなやだよぉ!! やだぁぁぁ!!」
「だ、だからどうしたの?! お、お姉ちゃんでよければ相談に──」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
 ──彰人さん、……いや、あのロリコン鬼畜変態変質者で色情魔、お姉ちゃんを誑かす男、彰人に──。
「私の処女、奪われちゃったぁぁぁ……!!」
「へ……? しょ、ショジョ……? ……漫画?」
 
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『主人公VSえっちしないと出られない部屋(with幼馴染)』というギャグコメディを書きたい
初公開日: 2025年11月11日
最終更新日: 2025年11月19日
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コメント
タイトル通り。ギャグコメなのでエロはないです。
脱出はします。