稽古場の扉を開けた瞬間の空気が好きだ。
綺麗に整理整頓された必要最小限の物しかない空間から流れる、言葉にならない熱気のようなものを全身に浴びると、ジリジリと自分の中の熱が煽られるのを感じる。
後ろに続く連中から感じる熱もまた、そう感じる理由の1つだろう。
台本を読んでからずっと、早く稽古したくて仕方ないといううずうずした気持ちを感じている。まるで遠足前の小学生のようだと可笑しくなるが、万里自身も同じなのだから、仲間の事は笑えない。
ーー今回の脚本も、端的に言って面白かった。
万里も大学で色んな脚本に触れる機会があるが、多くは脚本家の個性全開の、ともすれば独りよがりなものもある。
が、綴の脚本から感じるのは、どこまでも仲間たちへの愛情と信頼、そしてエールだった。
綴の脚本はキラーパスだと、万里は思っている。
綴自身がどれほど意図して書いているかは分からないが、綴の書く役は毎回自分たちの課題を鋭く突きつけてくる。
『お前たちはどこまで成長出来るんだ?』と、『この役まで届くか?』と、ゴール前に出される絶妙なキラーパス。
それに追いついて、舞台の成功というゴールに蹴り込むのが、万里たち役者の仕事だ。
(面白ぇ……やってやろうじゃねえか)
ーー稽古は、柔軟体操から始まる。アクションの多い秋組は、特に怪我の可能性が高いので、ストレッチは念入りにする。
ここでの問題児は、意外にも臣だ。筋肉が多いので柔軟しづらいというのもあるのだろうが、詰めが甘くこっそり手を抜きがちなのである。なので、組める時は一番柔軟性が高く尚且つ厳しく指導のできる左京と組ませる。十座も気持ちがはやってストレッチがおざなりになる時も多いのだが、万里と組むとすぐに喧嘩に発展してしまうので、太一か莇に見張ってもらうことが多い。
他の組でもあるあるらしいが、年下の方がしっかりしているというのは、MANKAIカンパニー共通の困った問題だ。
……などと考えていると、総監督のいづみがやってきて、その日の稽古が始まる。
万里は台本を読み込み、一通りの演技プランを考えてきている。ついでに、いづみに提案したい演出プランも幾つか持ってきてる。
演出助手として行動するようになって、元々広かった視野が更に広がったのを、自分でも実感している。台本を読みながら、自身の演技プランと同時に、他の演出についても色々考えれるようになり、本読みの面白さが更に増した。
(ここは早めにハケて間を空けてえ……ここは軽い殺陣を入れて流れを作りてえな……音響は……照明は……)
そして、場面を整えていく中で、自分の中での役の動かしどころを考える。
(この役の心情なら、この場面の立ち位置はこんな感じで……言葉よりも行動で感情を表現して……相手がきっとこうくるだろうから、ここの受け答えは……)
大学の友人たちにもよく言われるが、万里の演技プランは恐ろしく丁寧で緻密だ。
万里は自分がいわゆる憑依型の役者ではないことは十二分に理解している。死んでも負けたくない相手がまさにその憑依型なのだから、同じ道を走っていては絶対に追いつけないことも分かっている。以前はそれで悩んだこともあったが、今は万里自身のやり方で相手に負けないようにする為――演技プランはどれだけ綿密でも足りないと思っている。
「監督ちゃん、ここさ……」
演出を含め、一つ一つの場面に対して細部までこだわる万里。大学ではそれが「鬱陶しい」と陰口を叩かれることがあるのも知っているが、劇団には裏方も含めそんなことを言う奴は一人もいない。その環境が、改めてありがたいのだと、外の世界を知って初めて思う万里であった。
(俺たちの成長を促す脚本、全員で作り上げる演出、誰も妥協しない稽古、個人の課題を克服する役作り――こんな最高の場所で、燃えねえなんて嘘だろ)
だから万里は、常に最高の舞台を目指して着実に壁を上る。最高の舞台で、仲間と、死んでも負けたくない相手と、全身全霊で向かい合う為に。
(さ、またこっから始めんぞ!)
万里にとって、芝居は始め、ただの手段に過ぎなかった。
負けたくない相手を叩きのめす、喧嘩の代替手段。それが生きる意味へと変わり――今の万里にとって、芝居は最高に熱くなれる居場所だった。
退屈で無味乾燥だった生活が、芝居というフィルターを通すだけで色鮮やかで刺激的な時間に変わる。そんな体験をしてしまえば、もう芝居抜きで生きていくなんて無理だった。
「万里くんもさ、もう完全にこっち側だよね」
「こっち側?」
「芝居バカ側」
いつだか、リーダー会議が終わった後の雑談で、紬にそう言って笑われた。
万里が何か言う前に、天馬が「確かにそうだな」と笑う。
「天馬に言われたかねえよ」とツッコむと、天馬はにやりと笑って返した。
「誉め言葉として受け取っとく」
「でも、本当に万里くんはお芝居好きだよね。大学もそっち方面に進むとは思わなかったもん。学校でも、難関校受けるんじゃないかって期待されてたし」
純粋な顔でそういう咲也に、なんだかくすぐったい気持ちを覚える。万里から見れば、咲也こそ芝居が楽しくて仕方がないって顔で舞台に立つ役者代表だ。そんな咲也から芝居が好きだと太鼓判を押されると、なんだか腹の底がムズムズした。
「最初の頃は、そりゃあひどい態度だったのにな」
「え? そうなの?」
天馬の意味ありげな顔に、秋組加入当時の万里を知らない紬が反応する。咲也は困ったように苦笑し、万里は耳が赤くなるのを感じる。
「うるせえ、黒歴史掘り返すのやめろ」
「だって万里さん。あの頃、芝居舐めまくってたもんな」
「だからやめろって」
「へえ……その頃の万里くんも見てみたかったな」
「ぜってー嫌だ」
天馬にかみつく万里を見て、紬は興味津々だった。気の置けないリーダーたちの雑談は、和やかだがどこか熱を含んでいて、万里は心地良かった。
「まあ、今は立派な芝居バカだからいいじゃない」
「それ、誉めてんのか?」
苦笑する万里に、紬はくすくす笑いながら「一応?」と小首を傾げた。
「……って、ここにいるみんな、間違いなく芝居バカだけどね」
付け加えた紬に、万里も「それもそうだな」とくしゃっと笑う。
「じゃなきゃ、朝から晩まで稽古やら役作りやらしてないだろうしな」
天馬の言葉に頷いて、咲也が笑顔で言った。
「オレ、ここに来れて良かったよ!」
全員の気持ちを代弁してくれた最初のリーダーに、万里を含めた他のリーダーたちは強く頷く。そして、その奇跡のような幸運に対して決意を新たにするのだ。
((((この場所を、この劇団を、ちゃんと守って更に成長していかなきゃな))))
稽古が進んでいくと、万里の演技プランはどんどん崩壊していく。
「だーかーらー! ここはもっと抑えねぇと後半との整合性が取れねえだろうが!」
「けど、ここはこの役が初めて感情出すシーンだ。抑えたら意味ねぇ」
「だからバランス考えろって言ってんだよ」
「バランス考えたら芝居できねえだろうが」
十座との激しい言い争いを、太一が「あの二人、またやってるッス!」と笑う。莇が「飽きねえな」と小さく肩を竦め、その間に臣が休憩用のスコーンを取りに行く。左京が片目で万里と十座のやり取りを見つめながら、監督と稽古の進行具合や制作の進捗について話をする。
誰も、万里と十座を止めようとはしない。他のメンバーとも十座ほど激しくはないせよ、よく意見を交わすこともあるが、やはり誰もそれを遮ることはしない――全員が、そのやり取りが自分たちの成長に必要だと分かっているからだ。
「――ったく! じゃあ、一回お前のやり方でやってみろ。俺のが正しいって分からせっから」
「俺がな」
「俺がだよ!」
そうして、当初想定していなかった芝居が次々と出てくるので、最初の演技プランなんてただの叩き台に過ぎないのだと、毎回痛感する。
自分が常に最高を求めるように、秋組の仲間もそれに負けないよう万里の予想を超えてくる。
(だからこそ、芝居は面白ぇんだよ……!)
演技でとことんまで喧嘩し合って、舞台の上で熱をぶつけ合って――そうして作り上げる最高の舞台が、今の万里の生きる場所だった。
(どこまでだって、高め合っていける――こいつと、こいつらとなら!)
【終】
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