夏休み最終日に会わないかと風祭に打診したらあまり色よい返事が返ってこなかった。
「もしかして、宿題終ってないのか?」
「うぅ……実は、そうなんです……」
電話越しに苦しそうに言う風祭の声を聴きながら、カレンダーを見上げた。夏休みはあと数日。このままでは会っている場合ではないのは明らかだろう。確かに。しかし、練習がない最終日。久々に風祭の顔を見たいのも確かだった。
「じゃぁ、宿題、手伝おうか」
そうすれば風祭にも会えるし、なにより可愛い恋人を苦しめている宿題から解放してやれる。一石二鳥ではないか。そうひらめいた自分を俺は自分で褒めてやりたい気分だった。
「そ、そういうわけには……」
「そう思うなら最終日までに終らせる努力をして欲しいな」
「は、はい……」
力なく返された返事から察するに、風祭なりに宿題をやるスピードを上げはするがきっと最終日までには全ては終らないのだろう。暑くてどうにもならない日中はともかく、ちょっと空気が涼しくなれば外に出てサッカーボールに触れたいと思うのが風祭という人物だ。そういう一途なところが彼らしさであり、俺の好きなところでもあるのだから強く咎めることは出来そうになかった。電話口で苦笑を漏らして、頑張れ、と言うしかない。
「無理しなくて良いから」
どこまでも風祭に対して甘いな、という自覚はある。しかし、止めることが出来ないし誰かに咎められたこともないので良しとしている。すみません、としょげたような声を出す恋人を俺はどうしても慰めずにはいられない。
「会えるの、楽しみにしてる」
精一杯の笑顔で言ってみたけれど、声しか伝わらない電話越しに伝わっただろうか? 先ほどよりは少し明るくなった風祭の声に一縷の期待を持ちながらその日の通話は終わりになった。おやすみなさい、という名残惜しげな声が耳に残る。
益々、風祭に会える8月31日が待ち遠しくなってしまっていた。
「いらっしゃいませ」
そう言って玄関のドアを開けてくれた風祭を見て、やっとこの日が来たかと思ってしまった。電話をした日からたった数日。都選抜の練習でも何度か会っているにもかかわらず久々な気がしてしまったのはそれだけ風祭に会えるのを楽しみにしていたからだ。飾り気のないTシャツ姿でもまぶしく見える。
「宿題の進捗はどうだ?」
「あとちょっとで終わりです!」
「それは良かった」
歓喜に沸き立つ胸の内をひた隠しながら風祭の家に上がる。奥からお兄さんが顔を出して「いらっしゃい」と言ってくださったのに会釈しながら用意されていたスリッパを履いた。学校も学年も違う俺がわざわざ宿題を手伝うために家に来ることをお兄さんは不思議に思ってはいないだろうか?
通されたリビングにはもう既に宿題らしきテキストが置かれている。キッチンの奥から麦茶だろうか? 茶色の液体をお盆に載せてお兄さんがニコニコと近付いてきていた。
「渋沢くんは教えるのも上手いって聞いたから是非将に数学のコツを教えてやってくれ」
「風祭は数学でつまずいてるのか?」
「科学も……苦手です……」
「じゃぁ、科学も見てみよう」
教えるのが上手いかどうかは自分では解らないが、学校の成績は悪くない方だ。しかも一学年下の教科ならば多少教えることができると思っていた。
「ここなんですけど……」
おずおずとテキストを差し出してくる風祭を見ながら、俺は余裕満々で「どれ?」と覗き込んでいた。
人に勉強を教えるのと自分で解くには大きな隔たりがある。解らない人間がなぜ解らないのかが解らないと解りやすい説明が出来ないからだ。それを俺はこの時、まざまざと思い知った。
「……だから、この公式で解けるんだけど……解るか?」
「えっと、なんでこの公式を使えるって思いつくんですか?」
「それは……」
風祭の疑問は無限大だった。一つの問題を解こうとするとなぜがいくつも出てくる。確かにこれではなかなか宿題が進まないだろう。昼少し過ぎにやって来て、あっという間に夕方になってしまったのだから。
ふぅ、と小さな溜息をついてしまう。すると、風祭がビクッと飛び跳ねた気がした。いかにも申し訳なさそうに身を縮めている。
「ごめんごめん。責めるつもりは全然無いんだ。根を詰めてたから……少し休まないか?」
外ではすっかり五時のチャイムが鳴っている。まだまだ日は暮れないが、いい加減休まないと身体に悪いような気がした。風祭の前に置かれている麦茶の減りも少ないようだし。
宿題自体はもう終っている。ただ、途中から俺の指示する公式で風祭が問題を解いていくということがほとんどだったので、どうしてそうなったのかの解説をしていたらいつの間にかこんな時間になっていた。
「渋沢先輩……」
ちらっと風祭が窓の外を見る。それから、床に転がっているサッカーボール。
蝉がうるさかった日中とは違い、少し暑さが和らいでいそうな屋外。夕涼みでもしながら河原でサッカーをしたら気持ちいいのかもしれない。
クスッと思わず笑みがこぼれた。風祭といるとなによりもサッカーが第一になってしまうから困ったものだ。
「風祭がよく行く河川敷を紹介して貰おうか、折角こっちまで来たから」
ニッコリ微笑むと、風祭の表情もパッと明るくなる。今すぐにでも家から飛び出して行きそうな風祭をなだめながらテキスト類を片付けさせて、とりあえず水分補給をしっかりしてから外に出た。
来るときはムッとしていた夏の空気がどこか秋の気配を感じさせる涼しい風に切り替わっていた。これなら軽い運動をしても問題ないだろう。小走りで先を行く風祭を追いながら、ここ数日サッカーボールに触れていなかったことを思い出す。
一日でも触れていないと感覚が鈍るのがわかるのだ。もしかしたら相当感覚が鈍ってしまっているかもしれない。毎日日暮れ近くになればこうやって河川敷でボールを蹴っていただろう風祭と同等に動けるだろうか? 一瞬感じた恐怖は、しかし、長年の経験がカバーしてくれた。
「やっぱり、先輩とやるサッカーは楽しいです!」
はつらつと笑う風祭を見ながら、やはりこの子は太陽のようだと思わずにはいられなかった。