真っ暗な夜だった。
暗い夜道にポツンポツンと赤い花が咲いている。彼岸花だ。その中を水木はカランコロンと下駄を鳴らせて歩いて行く。最近すっかり寒くなった。靴下をはいていてももう下駄で外を出歩くには寒い季節になり始めていた。
水木の手には彼岸用に買ったおはぎが四つ。家に居る鬼太郎に二つ、水木の母と水木で一つずつ食べる計算だ。食べ盛りの鬼太郎についつい甘くしてしまうのは水木の悪いクセかもしれない。
だが歩けば歩くほどに知らない道に迷い込んでいってしまう。抜け出そうとしても深い森に向かっていってしまうのはなぜなのか? なぜかそちらに行かなければならない気がしていた。しかし、こんな森、帰り道にあっただろうか? なぜ俺は森を抜けて帰宅しようと思っているのか? 遠くで何か獣の様な鳴き声がした。
「そちらでは無いぞ」
そっと何者かが水木の腕を引く。真っ白な髪に真っ黒な着物。その片手にはなぜか真っ黒な傘。今日は雨が降っただろうかと水木が疑問を持ったところで、水木の記憶がぐにゃりと歪んだ。なんだ? 俺は、この男を知っている?
「げ、げ……郎?」
そうだ、この男は幽霊族の末裔、鬼太郎の実の父、あの哭倉村で出会ったゲゲ郎その人だ。頭痛がする。そうして、忘れていた哭倉村での記憶が一気に甦ってきた。沙代さん、血液製剤M、龍賀家、窖、それからゲゲ郎とその妻とその腹にいた鬼太郎の存在。真っ赤な血桜。呪いを受け、死んでしまったはずの、ゲゲ郎。
「なんでこんなとこに?」
「彼岸じゃからな」
鬼太郎の両親はとっくに死んでしまっているはずなのである。あの荒れ果てた寺で水木はその亡骸を見ていた。ゲゲ郎はすっかり変わってしまった姿に、鬼太郎の母は水木が担ぐ事が出来たので墓に埋葬してやれた。その墓から鬼太郎が這い出てきたのだ。
「帰ろう、ゲゲ郎。鬼太郎がお前に会ったらどんだけ喜ぶか」
水木がゲゲ郎の腕を引いて向かおうとしたのはより森の奥。なぜかそちらに行かなければならない気がしてならないのだ。もう一度ゲゲ郎が水木の腕を引く。
「そちらでは無い。元の道に戻れ」
こっちじゃ。小さく響くゲゲ郎の声を聴いても、なぜか水木の心は森の奥に向かいたくて仕方がない。そちらに可愛い鬼太郎が待っているようなそんな気がしてならないのだ。
バサッとゲゲ郎が黒い傘を開く。そうして、水木にその傘をささせる。雨が降っているわけでも無いのに、と疑問に思う水木を差し置いて、ゲゲ郎はそうしろと水木に開いた傘を無言で寄越した。
するとどうだろう。今まで森の中に入りたかった水木の気持ちがすっと憑きものでも落ちたかのように変化する。そうだ、森から出なければ。この彼岸花の咲く暗い道からいつもの帰り道に戻らなければと言う気概になっていく。
「ゲゲ郎、お前……」
俺に何をしたんだ? そう聞く暇もなく、ゲゲ郎に背を押される。とんと押してきたゲゲ郎の指先はひんやりと冷たい。
「はよいけ」
元の世界へ。
そう聞こえた気がした。水木は素直にうんと小さく頷く。そうして、カランコロンと下駄の音を響かせて後ろも振り向かずに元来た道に戻っていく。歩いても歩いても暗い道だと思っていたそれは、ゲゲ郎から貰った傘をさしていればあっという間に元の街灯のあるすすけた夜道に出ることが出来ていた。
「ゲゲ郎」
ありがとうと礼を言おうと水木が振り返る。しかし、振り返った先はただの木の塀だ。道も無ければ人もいない。もちろん、彼岸花も咲いていなければ遠くに暗い森も見えなかった。見えるのは、人家とその先の遠くの黒い山だけだ。
「ゲゲ郎……」
どこに行ってしまったのだと辺りを見回す。傘だって返せていない。雨も降っていないのに傘をさしている水木を道行く人が不思議そうに振り返るが、そんなことに構っていられるだろうか?
水木はゲゲ郎の存在を探していた。一緒に家に帰ったらどんだけ鬼太郎が喜ぶだろうか? 母はきっと気味悪がるだろうが仕方がない。それでもいいのだ。折角の彼岸だ。おはぎだってちょうど四つある。鬼太郎が二つ食べられないが、実の父に会えた喜びの方が強いだろう。
ふと、持っていたビニール袋が軽い気がした。
見てみると、おはぎが一つ。無くなっている。
どこかで落としたか? いや、そんなはずが無い。だって、下の段に入っていたはずのおはぎが一つ無くなっているのだ。上の段の二つは買ってきたそのままの様子なのに。
「一つ頂いたぞ」
どこからか声が聞こえた気がしていた。
帰り道の角に咲く赤い彼岸花があきのかぜにゆぅらりと揺れていた。