西園寺監督は意外と女性らしいところがあったりする。9月のその日、どうやら十五夜らしいとのことで西園寺監督がお月見団子を作って東京都選抜のメンバーに振る舞ってくれたのだった。ただし、そんなに沢山作るのは大変だったらしく、一人2つのお団子をやっと配れたくらいだ。それも仕方のないことだろう。監督業も忙しい中で東京都選抜のメンバー全員に手作りのお団子を振る舞ったのだから。遠慮して1つしか食べない者ももちろんいた。おかげでそういった者達のおこぼれを椎名翼がちゃっかりゲットしていたようだったが。
「今晩は満月なんですね」
「そういうわけでもないみたいだぞ」
9月15日が中秋の名月と言われ、最も月が綺麗な時期だと言われている。しかしそれは必ずしも満月と重なるわけでは無いらしい。
風祭にそう説明してくれたのは彼の内緒の恋人の渋沢だった。もぐもぐと団子を食べる風祭を穏やかに眺めながら渋沢が続ける。
「今日の夜は、月を見上げるのも風流でいいかもしれないな」
いつも昼間に目一杯サッカーをして夜はぐっすり寝てしまう彼らだが、たまには少しだけ夜更かしをして月を見上げてみるのも良いのかもしれない。渋沢は風祭にお団子を一つ譲りながらそう呟いていた。
「そしたら、月を見ているとき……電話しても良いですか?」
最近、風祭は兄から携帯電話をプレゼントされたのだ。それで時々、渋沢とこっそりとメールのやりとりをしたり電話をしたりしていた。渋沢も寮生活という不自由な中でもどうにかこうにかそうやって風祭との時間を作っていたのだ。
「夜なら電話料金も安いしな。待ってるよ」
寮の風呂の時間と被らないようにだけ打ち合わせをして、その日の二人はそれぞれの家路についた。風祭は兄が、渋沢はルームメイトが彼らの帰宅を待っていることだろう。
呼び出し音が鳴る。
渋沢は待っていたとばかりに携帯電話の通話ボタンを押していた。すると、すぐに「もしもし?」と控えめな風祭の声が耳に届く。
「電話ありがとう」
「いえ、お待たせしました」
夕飯が思ったより長引いて、と呟く風祭はきっと、今日も都選抜での事を事細かに兄に報告していたのだろう。風祭兄弟は本当に仲が良い。渋沢が少しくらいヤキモチを焼くくらいには仲が良いのだ。
「今日もお兄さんとよく話してたんだろ? 仕方ないさ」
しかし、そんな気持ちを押し隠すように渋沢はそう言っていた。風祭の前では余裕のある様子をなるべく見せていたいという彼なりの虚勢だった。
「お風呂はもうすませたんですか?」
「あぁ。風祭は?」
「ぼくも上がったところです」
「そうか」
風祭の声には少しも渋沢の嫉妬を見抜いたような様子は見られない。ただ純粋に渋沢との会話を楽しんでいるようだった。それに渋沢はホッとする。
「今は部屋に居るのか?」
「はい。先輩は……?」
「俺は寮のロビーにいるよ」
部屋で電話していると、渋沢が電話をしながら百面相している事をからかってくるやつがいる。なので、風祭との電話をするときは共有のロビーで電話することがほとんどだった。消灯時間の近いその時間、ありがたいことにロビーにいる人間は少ない。スポーツ強豪校の夜は早いのだった。
「月、見えますか?」
「あぁ。窓が小さいから小さくしか見えないけど」
「うちの窓からは大きく見えます」
渋沢はロビーの角の小さな窓に近付いた。中秋の名月と言われるだけあって確かに月が綺麗かもしれない。少し欠けた黄色い丸を風祭も同じ様に見ていると思うだけでなぜこんなに月が綺麗に見えるのだろうか?
「月が、綺麗ですね……」
遠い昔、夏目漱石が『I love you』をそう訳したらしいという噂がある。どこで聞いた話か忘れていたが、風祭の潜められた声を聴いたとき、渋沢は思わずその逸話を思い出していた。
「あぁ、そうだな。綺麗だ」
まさか風祭がそんな逸話になぞらえてそんなことを言っているとは思わない渋沢はただただそう思いのままに返していた。
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