水木少年は覚悟していた。
自分の前世の記憶が戻ったことから察するに、あの眼帯姉妹や長田も前世の記憶を何かしら持っている、もしくは水木に会うことによって思いだしている可能性があるということを。
学校があるその日、朝から水木少年は気が重かった。祭りを途中で帰ってしまったことも訊かれることだろう。そうして、龍賀乙米にじっとこちらを見られるような気がしてならなかった。
案の定、龍賀乙米はその片目でじっと水木を見てきた。乙米以外の友人達になぜ先に帰ったのかと散々訊かれ、適当に腹痛でどうしようも無かったと話せば暫く水木は悪友達に「うんこ垂れの水木」と呼ばれるようになってしまったが、まぁそれは仕方がない。
「龍賀さん、ちょっと良いかな?」
それに加え、乙米と二人っきりで話をしようとすれば奇妙な噂を立てられかねなかった。だが、水木には話さなくてはならない事、確認したい事が山ほどあったのだ。周りのことなど気にしておられず、昼休みに乙米と二人で校舎裏で話をすることをどうにかこぎつけられたのであった。
弁当をつつく乙米の横顔を見ながら、水木はどう切り出せば良いか考えあぐねていた。
「乙米さま、貴女は……」
水木が乙米への呼称を変えたことに乙米は気付いたらしかった。はっと視線を上げ、水木を振り返る。じっと水木を見つめる瞳は明らかに前世の記憶を持っていそうな輝きとして水木には見て取れた。
「僕と同じく、あの、哭倉村での記憶があるのですね」
「……」
乙米は答えない。しかし、それが答えだった。小さく俯いた瞳は薄らと涙の膜を張っていたように見えていたから。
「いつから記憶があるのですか? 僕は貴女と出会って、あの祭りの日に着物を着た貴女を見てから記憶が戻りました」
「……私は、生まれつき」
ぽそりと零れた言葉に水木は衝撃を受けていた。あの強烈な最期が幼いときから記憶にあったなんてなんて恐ろしいことだろう。だが、それと同時に水木はこの現代の乙米が前世の乙米とは全く違う人格を持っているのだろうという事も理解していた。こんなに素直に前世の記憶を持つことを話してくれる血は全く思っていなかった。
「始めはただの嫌な夢だと思っていたの。だけれども、それが前世の記憶だと解ったのは丙江が喋れるようになったとき。彼女も同じ前世の記憶を持って生まれてきていたのが解ったから……」
次女の丙江の目を見たとき、まさかとは思っていたらしい。しかし、それが確信に変わったのはその丙江が話せるようになったとき。その時「乙米ねぇ……」と泣いた丙江を見て夢に何度も見ていた恐ろしい最期が前世の記憶であることをハッキリと自覚したようだった。
乙米は静かに俯く。そうして、時々思い出したように昼食の弁当をつついた。水木は持たされていた握り飯をもうサッサと食べ終わってしまっていた。じんわりと汗が水木の額に滲む。まだ外での昼食は暑かった。しかし、それでも乙米は水木との二人きりの昼食に応じてくれたのだ。それだけ話したいことも共感して貰いたいことも合ったのかもしれない。
「前世では、酷いことをしてしまいました。ごめんなさい」
ぽそりと呟かれた言葉、肩から滑っていく乙米の真っ黒な髪。意志の強そうな吊り目は同じでも、しかしどうやら前世の乙米と現世の乙米は全くの別人のようだった。
「もうあんな悲しいことの繰り返しはしたくないの」
乙米の少しうつむかれた鼻筋を見ながら、水木は前世で救えなかった沙代の事を思いだしていた。
学校から帰宅すると、水木はすぐに自宅では無くゲゲ郎達の住む部屋へと向かっていた。
「鬼太郎は?」
「暫く帰らないそうじゃ」
「ゲゲゲの森にいるのか?」
「そこまで記憶が戻ったか」
祭りを早々に抜け出してしまったあの日、帰り道にゲゲ郎と会った。記憶を取り戻したばかりの水木は思わずゲゲ郎に飛びついてしまって事の次第を全て話していた。水木の思い出したことはきっと多分全てだろう。哭倉村での出来事全て、それから、その後、前世の水木が記憶を取り戻してからゲゲ郎と再会したこと、そうして、前世の水木がゲゲ郎と恋仲であった事、鬼太郎がいつの間にかゲゲゲの森に独り立ちしてしまったこと。
思い出してすぐは胸が一杯で思わずゲゲ郎に飛びついてしまったが、今日は違う。ゲゲ郎との微妙な距離感を感じながら出された茶をすする。小学生の頃この部屋にいた座敷童はどこかに行ってしまっていた。時々木の陰から窓を伝って部屋の中に入ってきていた妖怪達も今日はいない。
今までのゲゲ郎の意味深な行動の理由を水木はすっかり理解していた。ゲゲ郎が時々語った『親友』が前世の水木であった事まで思うとゲゲ郎の惚気具合に顔が赤くなりそうだった。
しかし、今日はこの事をきちんとゲゲ郎に伝えようと思ったのだ。
「今日は嫌に静かじゃの?」
ゲゲ郎を真っ直ぐに見つめながらも水木が何も言えずにいると、ゲゲ郎がそう苦笑していた。それは前世の記憶の中には無いゲゲ郎の表情だ。子供である水木に遠慮するようなおっかなびっくり話すようなそんな様子だった。
水木はくっと顎を上げる。一度大きく息を吸うと、ゲゲ郎、と彼を呼んだ。
「うちの学校に龍賀姉妹と長田の生まれ変わりが通ってる」
ハッキリと言い切ると、ゲゲ郎のまん丸な瞳が益々丸く見開かれた。ぐっと重たくなる部屋の空気に水木は負けじと声を張る。
「でも、彼らは前世の行動を恥じてるみたいだった。だから、お前は安心して生活して貰っていい」
パチパチッとゲゲ郎が瞬きをした。それはまるで素早く何かを考えるかのような動作だった。
「それは……」
「乙米さまと話をした。今、俺、乙米さまと同じクラスなんだ」
「話しを……」
「乙米さまは前世の記憶を持っていることに関して涙を薄ら浮かべながら話したよ。あの人は、乙米さまだけど前世の乙米さまと全く一緒ではないと思ったよ」
水木は素直にゲゲ郎に話した。昼休みの乙米の様子。周りに冷やかされながらも水木と二人きりで昼食を摂ることに承諾した乙米の覚悟。それがどれだけこの年頃の学生には大きな決断かと言うことまで。
「まだ話していないけれど丙江さまや長田も同じ様な心持ちなんだと思う」
「左様か……」
「うん……」
「……まさか、あの一族まで生まれ変わっているとは……」
そうだな、と返した水木は喉の渇きを覚えて残っていた茶を飲み干した。もしかしたらどこかで沙代も生まれ変わっているのかもしれない。ただ、願わくば前世の記憶など無く、水木や龍賀姉妹のような身体的な傷も無く生まれ変わっていればと願うばかりだった。
ゲゲ郎が少し腰を持ち上げて水木の湯飲みに茶を足した。慣れたその様子は前世と変わらない。前世でも水木とゲゲ郎はこうやって向かい合わせで二人の時間を長く過ごしていた。
記憶が戻ったからだけじゃ無いけれど、水木には、記憶が戻ったことのついでにゲゲ郎に伝えたいことがあった。湯気の立つ湯飲みからもう一度茶を飲んで、水木は周囲を見回した。まだ周囲は明るい。妖怪達は姿を見せない。静か過ぎるくらいの屋内にちりりんと風鈴の小さな音が響いた。
水木は自分の中にある感情を噛みしめ直していた。前世では無く現世でゲゲ郎達に会ってからの今日までの記憶。奇妙に思ったファーストコンタクト。何かと構ってくる片目親子に徐々に興味関心が湧いてきたこと。妖怪を見られて対峙出来る彼らに、ゲゲ郎に妖怪との対話の仕方を習ったこと。いつも言われていた姿を見せない『親友』に腹を立てていた事。
「ゲゲ郎、俺はもう一度お前に恋をしたよ」
記憶の戻った水木には解る。ゲゲ郎は前世の水木を現世の水木に見ていた。その事がゲゲ郎の視線の、行動の奇妙さになっていたのだという事。ゲゲ郎の優しさは常に前世の水木を見ていたのだ。
しかし、それでも構わないと思った。今まで水木に対して優しくしてくれた事。両親の帰りの遅い幼い水木を見守ってくれた事。記憶が戻っていないことに気付いても無理に記憶を戻させようとしなかった事。その優しさ。それだけで充分だった。
「こんな俺でも良ければ、また、前世みたいに抱いてくれないか?」
暮れ始めた外では、どこかからヒグラシの音が流れてきていた。