ニ回目の、ぱしゃんという水が弾ける音に、わたしは反射的にプールの出口に向かって駆け出そうとして――その足が凍りついたみたいに止まった。目の前で、信じられないことが起こったからだ。
 誰もいないプールの水面。その水面が、まるで水飴みたいにひとかたまり、すうっと持ち上がった。かと思うと、水面から伸びたその水の塊は少しずつ、なにかの形に変わっていった。それは丸みを帯びたおぼろげな人型から、少しずつ人間の姿になっていく。
 目の前の光景を、わたしはとても信じることができない。とても現実とは思えない。その場で固まっているわたしに関わりなく、その水の塊はついに、わたしと同じくらいの背格好の、水でできた女の子の姿になった。
 それは――その子は、たしかにはっきりとわたしの方を見ている。その足元はまだ水飴みたいに伸びてプールの表面とつながっているけど、その子はそのままわたしのほうにすうっと寄ってきた。
「――あ……」
 わたしはやっとのことで、言葉にもならない中途半端な吐息を漏らした。そんなわたしの顔を、その子は至近距離から見つめている。
 透き通った、青みがかった裸の体。やや幼い顔立ちは、なんだか生まれたての赤ちゃんみたいに無垢に見える。そして――その瞳。
 わたしがいつもプールから見上げている、月と同じ色だった。金色の瞳。
 その瞳に射すくめられたみたいに、わたしは動けなくなっていた。
 金色の瞳が、ふっとほほえみの形に和らいだ。そして、その唇が動き、その子の体の中でこれから口に出す言葉が浮かび上がるみたいに、小さな泡がこぽこぽと浮かんで消える。
「アりがト」
 不器用な……カタコトとも違う、それこそ、[[rb:人間でない何か > ・・・・・・・]]がなんとかして人間の言葉を話した――そんな感じの、不思議な響きの声が、わたしが聞いたその子の最初の言葉だった。
「あリガと」
 その子はもう一度そういって、水でできた手を伸ばして、わたしの手を取った。
 不思議な感触、不思議な温度だった。ぱしゃんと小さな音を立ててわたしの手を包んだその子の手は、馴染み深いプールの水の感触で、でも同時に人間の体みたいな弾力もある。そしてその温度は、冷たいプールの水と人間の体温のちょうど真ん中くらいの、感じたことがない温度だった。
 知らない感触と温度に包まれたまま、わたしはその子に問いかけてみた。
「え……ええと、わたし、あなたになにかした……?」
 その子は、まるで小さな子供みたいに首をかしげてから、うしろのプールを指さした。
「みズ、たクさん。わたしタち、ミず、なカった。でモ、ミずあって、タすかっタ。だカら、アリがと」
 ぎこちない言葉遣いだったけど、言っていることはわかった。でも……この子の正体はまったくわからない。
「ええと……あなたが助かったなら、よかった、けど。でも、あなたって……その、何者なの? さっき『わたしたち』って言ってたけど、あなたみたいな人……?が、ほかにもいるの?」
 わたしがそう聞くと、その子はちゃぷちゃぷと首を振った。
「わたシたちは、わタしたち。あツマって、ワタしたち。こレ、ぜンぶ、わたシタち」
「え……と、つまり……あなたのこの姿は、たくさんの『あなた』が集まってできてるってこと……? クラゲとか粘菌みたいな……群体生物、なの……?」
 わたしがそう答えると、その子はうれしそうに両手をぱしゃんと打ち合わせて、ぱあっと笑顔になった。
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