『エイプリルエイプリル』
◇
夕焼けの空を見たことがあるだろうか。もしそこに人がいたのであれば、きっと相応の返事は帰ってくることはよくわかっている。だいたい予想がつくのは、見たことがある、っていう答えと、何を言っている? という二つくらいのものだろう。
「は?」
そして、その後者であることを示すように、彼女は最初の返答としてはそう返してきた。まあ、確かに唐突な質問を行ってしまったので、彼女の気持ちもわからないでもないけれど、そこはなんとか飲み込んでほしいという気持ちが僕にはあった。
「だから、夕焼けの空を──」
「夕焼けの空をって言い方、なんか鼻につく。夕焼け空にして」
「ああ、はい。まあ、なんでもいいや」
ともかく、と言葉を置いて僕は同じ質問を彼女に向けて呟いていく。言葉を終えた後、彼女は一瞬考えるように視線を泳がしながら、ぼうっと天井を見る。教室という部屋の中で外の世界を見るには窓を通すしかない。けれども、彼女はそれでも天井を見つめたうえで──。
「──は?」
……と、すごく不機嫌な声でそう答えたのであった。
◇
悪い癖、つまりは悪癖とされるものが僕にはある。それをいい習慣として数えることができればよかったのだけれど、自分から見て、そして他人から見て、自他ともにそれは悪い習慣としか言いようがないから、悪癖として数えることしかできない。ともかく、僕には悪癖がある。
よく話題に困ると、目についたものを話題にする。一緒に車で出かけている家族の話題が尽きれば、流れる景色の中にあるひとつのものに目を留めて、留めた対象についてを言葉にする。焼き肉屋であったのならば、いつか幼いころにやってしまった焼き肉屋での過ちであったり、車屋であったら現在乗っている車についてのことだったり。
家族については僕のそういった性質については飲み込んでいて、また変なことを言っているな、というだけですむのだけれど、よく父と二人になった時や、母と二人になったとき、小声で囁くように、あれを他の人の前でやるのはよしてくれ、という旨を伝えられたことがある。単純に僕としては気まずい空気、というか静かにたたずんでいる景色というものが苦手で、話題のひとつを振り絞っているつもりなのではあるが、そんな衝動的な行動は他人にとってはあまりよくないものらしい。具体的に何がよくないのか、僕には一つも理解できていないし、誰かが表現をしたこともないので、きっとこの疑問に回答がつくことはないのだろうけれど、ともかくとしてだ、そんな悪癖が僕にはあるのだ。
そんなこんなで、今日もそんな悪癖を行っていた。いや、行っていたというよりも行ってしまった。
授業や試験の成績が振るわれなかった補講の授業の中、教師がプリントを取りに行く、というタイミングで僕は夕焼け空を見上げてみた。窓から射さってくる夕陽が風と共にカーテンを揺らしている。影となったそれが僕にかぶさっては流れていき、そして後ろにいる彼女についてもどうように黄昏ることを示すような色合いで世界を包んでいる。
だから、僕は適当につぶやいた。おそらくそれは独り言としてカウントされるべきものなのかもしれない。夕焼けの空を見たことがあるか、という言葉は、自分自身に対しての問いかけでしかなく、そこに彼女の答えを用意する余白はない。ただ呆然としながらつぶやいて、そのあとに帰ってきた反応にドギマギした。自分自身、口に出している、ということにも気づかなかったし、彼女がそれに対して威圧的な態度を返すとは思わなかった。たったそれだけの行動の連鎖に、僕は少しため息をつきそうになった。
夕焼けの空を見たことがあるか、という問いに結局彼女は答えなかった。二度ほど、は? という言葉を出した後は、鬱陶しそうな表情で教師から渡されている課題物に取り組み始めた。それで僕も一緒に取り組もうかと思ったけれど、それに取り組むには外の色が強すぎたような気がする。
オレンジ、とは言えない赤色だった。終焉をつかさどるような赤色だった。いや、ごめん、これは嘘だ。適当にそれっぽい言葉を使って赤さを表現したかった。でも、秋の夕焼け空といえばそれらしいし、なんとなく言葉の上で夕焼けを想像した時に浮かび上がる空の色には確かに似ていた。だから、それについてを心にとどめることが、僕の中で一番重要な課題として意識にこびりついていた。
夕焼けの空を見たことがあるか、という問いは、ここまで焼けている空を見たことがあるか、というものにもつながっていた。時期としては四月の頃合いである。それ以外の頃合い夕焼け空を見つけたことはあっても、僕は見つめたことがないような気がする普遍的な景色でしかないそれに対して関心を向けることがない。そもそもどうでもいいものとしてカウントされるような事柄に意識を向ける必要がない。
けれども、今日に関してはそんな夕焼け空が視界に入った。未だに影を伸ばし続けるそれに対して、重なるようにカーテンが視界の中を邪魔してくる。窓をあけているせいで風が吹いてきて少し寒い。どうせなら閉めてしまってもいいんじゃないか、そんな風に思ってしまう。
そしてここでまた悪癖。今度は別にカーテンについてを口に出すことにはせず、衝動的に立ち上がってカーテンを閉めようとした。カーテンを閉めて、窓ガラスの透明な板を挟んだうえで目の前の赤い景色を視界にとどめようとしていた。その頃には配られていた課題なんて、意識の管理下には存在せず、そのまま僕はぼうっと外の世界だけを見つめていた。他人からすれば本当にだらしがない人間だったと思う。僕からすれば徹頭徹尾だらしがないだけの人間であり続けているのだが。
「──おい、サボってんなよ」
そうして立ち上がった拍子に、廊下側から声が聞こえてくる。その声の主は職員室に追加のプリントを取りに行った教師その人であり、まあなんともタイミングが悪いなぁ、とそんなことを思った。
それだけの夕焼け空の日のことだった。