アノイ家の一人娘であったユーリは微力の魔力しか持たなかった。
両親は始めは嘆き悲しんだが、すぐに気持ちを切り替えた。
幸い娘であり、魔力の高い者を婿に迎えればよいと。
そこでユーリには魔力以外の教養を与えられた。
彼女自身、自分が足らないことを知っていたので必死に学んだ。
そうして彼女が六歳の時、両親が子に恵まれた。
もう可能性はないと思っていたので、両親は喜んだ。
一年後生まれた子は、とても魔力が豊富な娘だった。
ユーリはそのまま学び続けたが、両親の関心は全て妹に向けられた。
「お父様、お母様!」
試験で満点をとって二人に自慢しに行く。
しかし、二人は一瞬だけユーリに目を向けるだけ。
「よかったわね!」
付け加えたように褒められる。
両親も対応に差が出てきていることには気が付いていて、ユーリの誕生日などを無視することはなかった。
しかしその祝い方は違った。
「お父様、お母様!私も魔法ができるようになったんです!」
妹のために雇われた魔法の教師は、ユーリのことをよく気にしてくれて、彼女にも微力の魔力で使える魔法を教えた。
初めて魔法で花を咲かせたユーリは嬉しくて、満開の花を植木鉢ごと持っていった。
「ああ、よかったわね」
「先生に見てもらったのか。お前はそんなことしなくてもいいのだぞ」
母から決まりきった褒め言葉が、父は必要ないとばかり手を振る。
ユーリの心がじわりと黒く染まる。
何をしても、両親は自分のことなどどうでもいいのだと、じわじわと気持ちが落ちていく。
「ユーリ!」
声を掛けられて、彼女は暗い思考を遮断した。
「先生」
「もう限界ですね。アノイ伯爵。ユーリ様をしばらくお預かりしてもよろしいでしょうか?彼女に特別な授業をしたいのです」
「特別な授業?ユーリに?」
「はい」
青みがかった銀髪の髪に、空色の瞳の先生。
彼は王宮魔術師を務めたこともある、有名な魔術師だった。
田舎で研究をしていた彼に、ユーリの父が頼み込み、彼女の妹の教師になってもらった。
当初は妹だけだったのだが、ほぼ放置されている状態のユーリを見かねて、彼がユーリにも魔法を教え始めたのだ。
魔力の量にあった、小さな魔法。
ユーリは魔力量の関係でずっと魔法が使えないと言われていたので、魔法が初めて使えた時は大喜びした。
数か月彼の元で学び、やっと花を咲かせる魔法を使えるようになったのだ。
それで両親に見せにいったが、反応はいつもと同じ。
「もしだめというならば、教師もやめさせてもらいます」
「そ、それは困る!好きにしたらいい。だが、ユーリ、お前はどうなのだ?」
「行きたいです!」
彼女は即答した。
ユーリは彼を信用していたのだ。誰よりも。またこの家にいたくないという気持ちも大きくなっていた。日々居場所がなくなるような感覚を味わるのはうんざりだった。
「なら、決まりだ」
「あなた!ユーリ。あなたもそれでいいの?」
「はい」
母への返事も即答だった。
「それでは、ユーリ。いきましょう」
元宮廷魔術師なので、魔法は一流だ。
辞めた今でも彼の存在は宮廷で惜しまれているくらいなのだ。
彼はユーリの手を掴むと、その場から煙のように消えた。
転移魔法である。
その日から、ユーリと「先生」の生活は始まった。
彼の小屋で二人で生活する。
森に一緒に出掛け、狩りをしたり、木の実やキノコを採ったり。
料理の仕方なども教えてもらってり。
大きな屋敷で授業以外、話しかけられることは稀だったユーリ。
「先生」は彼女に色々な話をする。
そして彼女に感想を聞く。
授業以外で質問されたことも久々で、ユーリは戸惑いながら答える。
特別はことはない、優しい日々。
一緒にご飯を食べ、家事をして、生活する。
屋敷にいた時の消えてしまいたい気持ち、息苦しい日々が嘘のような毎日だった。
「そろそろいいかな」
屋敷から離れ二週間後、夕食を食べ終わった後に先生は切り出した。
自身には兄がいたこと。
兄は闇におちて、魔族になったこと。
人を襲った兄を放っておくことはできず、彼自身が殺したこと。
魔族は人間と同じく男女の営みで産まれることもあるが、人が闇に堕ちて魔族になることもあるという。
闇に堕ちる要因は絶望と怒りだ。
しかも大きな魔力がある者だけが魔族になる。
先生の兄は魔力なしと思われていたが、特異体質で魔力が表に出ない人だったらしい。
魔力が豊富な先生と比較され、両親にも屋敷でも冷遇された兄は、闇に堕ちて魔族になった。
彼の秘めた魔力が闇を呼び寄せ、あっという間に魔族に変化したそうだ。
その話を聞きながら、ユーリは一つだけ思い当たることがあった。
魔法を褒めてもらおうとしたが、いつもの反応で絶望した時、彼女は闇を感じた。体全体が重くなるような……。
「やはり、君は感じたんだな」
「先生」が呼びかけ、闇は消えた。
呼びかけがなければ彼女も魔族になっていたかもしれない。
「君は魔力が微量だと思われている。だけど違う。兄と同じだと思う。だからその魔力を解放したいんだ。魔法が使えるようになれば、きっと君は闇に堕ちたりしないだろうから」
大きな魔法を使えるようになれば、両親はきっと見直してくれるだろう。
妹だけでなく、彼女も見てくれるはず。
そうして、その日からユーリに対して、催眠魔法がまず試された。
内部の意識に潜り込み、解放する方法だ。
けれども、先生が彼女の中に入り込むことはできなかった。
そうしてさらに一週間がすぎて、流石にユーリの屋敷から使いがやってきた。
「戻りたい?」
そう聞かれ、彼女は首を横に振った。
家の事を思い出すと、変な汗が出るようになっていた。
「じゃあ、もう少しここにいようか。けど君の家にはいかなきゃいけないな。それが条件だから。友人を呼ぶからここに一緒にいてもらってもいい?」
「はい」
先生は友人の魔術師を呼び出し、彼はユーリの家に向かった。
「こんにちは。ユーリちゃん」
友人は男性で、少し軽薄な印象の男だった。
「可愛いね。これは将来有望だ」
可愛いと呼ばれたのは初めて、ユーリは嬉しような恥ずかしいような気持ちになった。
「魔力の解放で苦労しているんだよね。まだ試してないんだな。あいつ」
「試す?」
「今やってるのは催眠魔法だろ。それは時間がかかる。一番早い方法がある。試したい?」
魔力が解放されれば、魔法が使える。
両親にも関心を持ってもらえるかもしれない。
「よろしくお願いします」
「おっけー。じゃあ、まず」
急に男が距離を縮めてきた。
先生とは異なる茶色の瞳、髪の色は赤毛だ。
垂れた目に、皮肉気な唇。
ハンサムと言われればその部類にも入りそうな男だった。
ユーリは十四歳。同年齢の者であれば色々知っている者もいるだろうが、彼女は完全に箱入り娘で男女のことなど何も知らなかった。
彼は腰をかがめた。
「アルマン!」
扉を蹴破り、現れたのは先生だった。
「邪魔された。お前、まだ試してないの?」
「うるさい。帰れ。今度やったら凍らせてやる!」
先生は珍しく激怒しており、ユーリのほうが戸惑う。
「大丈夫だった?悪かったね。本当に」
「大丈夫ですよ」
ユーリは本当に理解しておらず、先生は頭が痛いのか、片手で額を押さえていた。
「とりあえず戻ってきてよかった。本当に」
扉は魔法で簡単に直る。
元に戻してから、先生はユーリに向き直る。
「本当に悪かった」
「大丈夫ですよ。先生。ところで先生、あの人が言っていた、一番早い方法って試せないのですか?」
「それは忘れようか。うん。催眠魔法を続けよう」
それから一週間たったが、ユーリの状態は変わぬまま。
再び屋敷から使いがやってきた。
今度はユーリを返すようにという強い言葉だ。
「……流石に今度は無視できないようだ。とりあえず戻ろうか?」
彼女は答えなかった。
魔法もまだ使えないまま。
このまま戻っても、扱いは以前と同じだ。
「先生、お願いです。一番早い方法を試してください」
ユーリは必死に先生に頼んだが、彼は実行しなかった。
何度も懇願しても彼は首を縦に振らない。
「……大丈夫。僕も一緒に戻るから」
そう言われ、やっとユーリは屋敷に戻る気になった。
転移魔法で一瞬で家に辿りつく。
「久々だな。ユーリ。元気だったか?」
「ユーリ、会いたかったわ」
両親はユーリが戻ると本当の親子のように駆け寄ってきて、彼女を抱擁した。
また冷たくされると思っていたユーリは驚いた。
しかし同時に嬉しかった。
こうして両親に関心を持たれるのは数年ぶりだったからだ。
「ユーリ。大丈夫かい?」
「先生。大丈夫です。私たちはユーリの両親なのですから」
「僕はいつも近くにいる。何かあれば僕があげたペンダントを引きちぎって」
両親も屋敷の使用人たちも歓迎モードだったため、ユーリは嬉しくなって、先生を見送る。
先生からもらったペンダントは大切なものなので、いつも身に着けていた。
彼の家にあったもので、先生の瞳によく似た水色の宝石が綺麗で見ていてたら、あげるよと言われ、首にかけてもらったものだった。
「さて、ユーリ。午後にお前に会いたいという人物がくる。面識があるといっていたぞ」
ユーリの交友関係は非常に狭い。
というか、先生と家族、使用人以外はいない。
なので面識があって、会いたいと言われるなど、ユーリは訪問者が誰なのか予想もつかなかった。
そうして午後になり、ユーリは用意されていた綺麗なドレスを着せられた。
今まで着たこともないような美しいレースが重ねられたもので、ユーリは両親に感謝した。
「ユーリちゃん!」
訪問者というのは、先生の小屋で会ったアルマンだった。
「今日は一段と可愛いなあ」
今日のアルマンは以前と少し印象が違った。
「それではユーリ。粗相がないようにな」
両親は挨拶もそこそこに部屋を出ていき、ユーリとアルマンは二人っきりになる。
「イリヤはまだ何もしてないのか。本当もったいことするなあ。あいつ」
アルマンは彼女の横に座り、その肩に触れる。
そこで初めて、ユーリは気持ち悪いと思った。
立ち上がろうとしたが、押さえつけられ、それもできない。
「可愛いなあ」
あっという間だった。
彼の唇が彼女に触れた。
それで、彼女の中の何かが弾けた。
「すごい!」
「い、いやああ!」
男女の関係に疎いユーリでもキスの大切さは知っている。
「あ、やばい?」
アルマンはそこで初めてとんでもないことをしたことに気が付いた。
ユーリの周りで闇がうごめる。
「ユーリ!」
空間が歪み、先生イリヤが現れた。
「せ、先生?」
「そうだ」
先生の姿を見て、ユーリが一旦落ち着く。
しかし、周りに現れた闇は依然とそこにある。
「アルマン。貴様という奴は!」
「だって、魔力解放したほうがいいって思って」
「黙ってろ!」
激怒したイリヤの攻撃によって、アルマンが壁に飛ばされる。
「ユーリ!しっかり!僕がわかる?」
「わかり、ます。先生。キスってとても大切なものなのです。好きな人とする大切な。なのに私」
「悪かった。僕のせいだ。あいつを君に会わせてしまって、興味を持たせてしまった。大丈夫。犬にかまれたようなものだ。私が清浄魔法をかける」
「先生。なんで、この方法を試してくれなかったんですか?先生となら嬉しかったのに。先生だけが、私を大切に扱ってくれた。今日は両親が優しかった。だけど、あの人を私を会わせるために優しくしただけだったの。何も変わらない。だれも私の事なんて気にしない」
「そんなことない。ユーリ!僕がいる。だから落ち着いて。ゆっくり落ち着いて。そうすれば闇は消える」
「……先生、キスしてください。そうしたら嫌な事忘れられる」
「だめだよ。ユーリ。だって、キスは好きな人とする大切なものだって君が言っただろ」
「だから、先生としたいんです。先生は私の大切な人だから」
闇がうねり、ユーリの周りで脈打つ。
「わかった。ユーリ。僕の名はイリヤだ。名を呼べるか?」
「はい。イリヤ様」
イリヤは屈みこむと、彼女の唇に優しく触れる。
それだけで、一気に彼女の様子が変わる。
闇は消え、彼女の中から出ていた力の放流も止まる。
こうしてユーリの力の暴走は収まった。
しかし、屋敷は酷い有様で、文句をいう両親の目の前で、イリヤの助言を受けながら、ユーリが魔法で屋敷を修復する。
「お姉様。お久しぶりです。今までごめんなさい」
ユーリと妹は言葉を直接交わしたことはなかった。
「先生が間に合ってよかった」
妹は姉のことが心配で、イリヤの噂を聞いて、父を騙す形で教師の依頼をした。
彼女は人が魔族になることを知っていて、イリヤの兄の話も知っていたのだ。
「だけど、まさか、手を出すなんて思いもしませんでしたわ」
「まだ、手は出していない」
「キスされましたよね?」
妹とイリヤの会話に、ユーリは置いて行かれたような気持ちになる。
「お姉様。屋敷のことは、両親のことは私におまかせください。先生と一緒に幸せになってください」
両親は妹の聡明さを理解しておらず、二人のやり取りについて行けないでいた。
「ユーリ。これからも僕と一緒に暮らすかい?」
「はい」
魔法が使えるようになったら、両親も関心を持ってくれる。
屋敷にもどるつもりだった。
だけど、だまし討ちのような形でアルマンに会わされたことがユーリの心を傷つけ、両親に対しても愛情、信頼、そう言った想いをすべて失っていた。
なのでイリヤの誘いに即答して、その手を取る。
「それではお姉様」
「うん。エレナ」
ユーリはそれからもイリヤと住み続け、結婚することになる。
結婚式には妹しか呼ばなかった。
完全に魔力を解放したユーリはイリヤと並ぶ魔術師となったが、王宮魔術師になることはなかった。
二人は森の小屋で末永く仲良く暮らした。
時折、お邪魔虫も現れたが、それはイリヤがユーリが気づくよりも先に駆除した。
(おしまい)