「んあ~」
みかは目の前の邸宅をみあげ、思わずため息をついた。
「おっきいおうちやなあ」
大きな門を抜けた先に広がる庭園とその奥に和洋折衷の洋館がそびえたつ。左右対称な造りで横にも縦にも大きい。
「こら、惚けた顔をするな」
ぴしゃりと叱られ、みかも緩んでいた口を閉じる。それからちらりと隣の人を見上げた。
「ふん、コロニアルスタイルだろう、珍しくもない」
「お師さんのご実家のほうがもっとおおきい?」
「比べようもない」
宗はふだん別邸で一人で暮らしており、身の回りの世話をする使用人が数人出入りするほかは静かなものだ。末っ子にこれだけ立派な家を与えるのだから、さぞ本邸も豪奢なのだろう、とみかはぼんやり想像している。とはいえみかの想像力など限られていて、大きなおうちは大きい、それくらいしか思いつかないが。
出かけるときによく見に着けている黒のインバネスを羽織り、首元に黒いチョーカー。襟の詰まった服を着ることもあるけれど、こうしてしゃれた服装を好む人だ。みかは宗の着替えを見るのが好きだった。どんなものを着ても彼はまったく、いつでも美しい。
(おれみたいなできそこないとはちがって、お師さんはいつでも完璧や)
にこにこ相手を見上げていると、宗がちらりとこちらを見てなぜか面倒くさそうに眉を顰めた。
「君、今日は何をしに来たか覚えているのかね?」
「んあ~? お師さんとおでかけするの久しぶりやなあって」
「あのねえ、先日の青葉のもってきた面倒な要件を片付けここにいるだろう人形を確認するために来たのだよ、君の忘れっぽさはほとほと呆れるよ、鳥頭でももう少しましだろうさ」
立て板に水の調子で叱られて、みかは肩をすくめた。そうこうしているうちにチャイムの音をききつけた使用人が現れる。初老の男性は恭しくドアをあけ、宗を眺め、それからみかの顔をじろりと見た。みかは思わず目を伏せ、自分の服装を見下ろした。ブラウンのシャツにアイボリーのベスト、ショートパンツにストッキング、ショートブーツ。小さな帽子と腰の飾り。いつも通りの恰好で着てしまったが、もしかして失礼だっただろうか。
「約束していた斎宮だ」
みかを背中に隠すように宗が一歩前に出て、低く告げた。注がれていた視線が途切れ、みかはほっとする。使用人も話をすべき相手を理解したのだろう、それ以上みかのほうには目をむけず、宗に対して丁寧に、言葉少なに対応していた。
(それにしても)
案内された廊下を歩きながら、あちこちに飾られた装飾品をちらちらと見てしまう。どれもどことなく陰鬱な、暗い雰囲気を湛えている。そういう趣味なのかもしれないが、夜ひとりぼっちでこの廊下を歩くのはちょっといやだなあ、とこっそり思った。
「奥様がお待ちです」
おくさま、とみかが口の中で声を出さずに繰り返すと、宗がちらりとこちらを見た。目があって、何も言わずとも彼が「黙っていろ」と制したのがわかるので頷いておく。
「あんなことがあった後ですので、大変気落ちされております――くれぐれも、ぶしつけなことは仰らないでください」
使用人の少しだけ棘のある声を尊大な会釈で受け流し、宗は大きく一歩、部屋の中に踏み入った。
***かきたいとこだけ書きます***
「本日はお招きいただきありがとうございます」
宗が堂々と礼を言い、未亡人も先日逢った時と同じよう、陰気さを感じる面持ちで「いえ、たいしたおもてなしもできませんが」とか細く答えた。隣に座っているのはなくなった主人の弟だと先ほど紹介されている。
(大きなテーブル)
みかはそこに並ぶ面々をさりげなく眺めている。主人の椅子を空席にしたままの食卓は、ひどく清潔ながらどこか陰鬱だった。アンティークの燭台は太く立派で、そこに揺れる炎こそがこの場の主役のように赤々と揺れる。未亡人は黒い着物をまとい、白く覗いた顔だけみると彼女こそまるで病人のようだ。その隣の弟は、せわしなく場をもりあげようといろいろと話題を提供している、が、どうにも皆乗り気ではない。
(ええと、あの奥さんの隣にいるのが実の息子と、んと、義理の息子やったかな? つむちゃん先輩に聞いたはなしでは、たしか)
二人の青年はなるほど顔立ちがあまり似ていなかった。その横に幼い少女。この子が末子で、そうだ、なくなった主人が目に入れてもいたくないほどかわいがっていたとか。
(ほんで、その反対側、弟さんの隣にいるのがええと)
最近出入りしている骨董店の主人だとか。まだ若いのにそれなりに腕がいいのか、あるいは主人の希望のものを見つけてくるのが得意なのか、ひどく懇意にしていたらしい。噂の呪いの人形とやらも彼を通して手に入れたとか。
(それにしても、みんなもっとおいしそうに食べたらええのに)
などとみかが考えている横で、ちょん、と腕をつつかれた。ふりむくと、依頼人である女給がひそりと話しかけてくる。
「あの、よろしければあなたも食事を」
「んあ、おれはええんよ」
ふるふる首を振って、ドアの向こうに隠れる。使用人たちが行きつ戻りつ忙しそうにしていてこちらのほうがよほど活気があるのだった。女給さんは困ったような顔をして「いくら斎宮さんの使用人と言っても、この家ではお客様だわ」と言ってくれる。やさしいひとだなあ、とくすぐったくなりながら、もう一度首を振った。
「んと、おれ、ちゃんとしたごはん食べれへんのや。おなかこわしてしまうから」
「え、あら、ご病気?」
「ん~? まあだから、お師さんがつくったものとか、お師さんがええよっていったものしか食べへんよ。気ぃつかわせてごめんなぁ」
ごそ、とポケットから飴玉を取り出すと、口に放り込んだ。
「おれ、飴ちゃんがいっちゃんすき。せやから気にせんといて? あ、ここじゃまやろか」
皆の話を聞くのにちょうどいいと思って廊下に控えていたのだが、邪魔をしてしまったなら申し訳ない。相手はまだ訝し気にみかを見ていたが、納得しないながらも「わかったわ。それならせめて椅子を持ってくるから座ってたら」と世話を焼いてくれる。
「おおきに。んあ、飴ちゃんいる?」
「いいえ、仕事中だから」
そういうと彼女はスカートを翻し去っていく。一人残されたみかは、再び部屋の中の会話に耳をすませた。
***かきたいところだけかいてます***
やばい。
みかは慌てて走った。物音を立ててしまった。相手は気づいただろうか?
(気づかないで)
そう願いながら、身体をかがめて廊下をもどる。廊下に並んだ彫刻がみかを静かに見下ろしている。暗くて、うまく歩けない。灯りをつけるなんてもってのほかで、けれど鳥目の自分にはか細い月あかりではどうにもらちがあかないのだった。あちこちぶつかりながら、それでも前へ進む。
(お師さんが、言ってたのって、)
は、と息がこぼれた。胸がどきどきとうるさい。人形の癖に? 自分でも笑ってしまいそうになるけれど、みかは不出来な人形だから。自分の体一つ、自分のおもい通りにはできない。
(お師さんが、)
彼が、手をいれてくれるから、指示してくれるから、命令を、すべきことを、いるべき場所を与えてくれるから。
だからみかは、動ける。それだけなのに。
「んあ、」
なにかにけつまずいて、そのまま床に倒れてしまった。手のひらを床につくとぬるりと滑る。手を切ったのかもしれない。痛くはないけれど、衝撃ががんと響いている。蹴躓いただけではない、ここは、一段低くなっている?
「なに、ここ」
手探りで足元を探る。一段、二段と狭い間隔で低くなっている――階段? こんなところに? もう外まで出てしまったのだろうか、気づかないうちに。
ふ、と風を切る音がした。みかが振り向いたのと、思い切り頭を殴られたのは多分同時で、それきり視界が暗く途切れる。