じりじりと照り付ける日差しの中、こめかみにうっすらにじんだ汗を手で軽く拭った。夏はまだだと思っていたけれど、この時間はけっこう気温があがる。肩からさげたトートバッグをかるくもちなおし、目の前にみえてきた集団に軽く頭をさげた。体を動かすと一緒に傘もゆれる。見慣れない顔ばかりだが、相手方はこちらの顔をすぐに認識したらしく愛想よくあいさつしてくれる。
「どうも、おじゃましますぅ。お師さん居りますか」
ぺこぺこしながらそう聞けば、ひとりが快く案内してくれた。さほど大きな現場ではないようだった。あらかじめ聞いていた通り、出演者は二人であとは撮影クルーたち。この暑さのなかたいそう大きな機材を持って歩くのは大変だろう。あとで差し入れを届けたほうがいいかも。
そろそろとひとの後ろを通るようにそちらに近づく。邪魔にならないところに、と思ったがちょうど目の前で撮影が進んでいた。撮影組からは距離をとって、近くの木立のところに立つ。開いた傘が幹にぶつからないようにだけ注意深く、位置取りをする。
「ほう、興味深い由来だね」
すらりと背の高い彼の横顔が見えて、みかはどきっとする。薄手のシャツに白っぽいサマージャケットを羽織り、揃いのスラックス。明るい色もよく似合っていて、覗いた手首には最近気に入っているらしい文字盤が大きめの腕時計をしている。
「日本の文化に興味があるのか」
意外そうに答えるのは共演者であり同級生の蓮巳敬人で、この組み合わせ、どうしてこうなったんやろなあとみかは眺めていた。どちらも互いにあまり良い印象は抱いていなそうだが――面と向かって喧嘩するほどの仲の悪さでもないだろうが、夢ノ咲時代は互いに互いの立場があったのだ――、意外とおだやかに進んでいるようだった。
(まあ、台本があるんやろけど)
みかだってそれなりにこの業界にいるのでなにもかも見えているものが真実というわけではないことくらいわかっている。それでも、せめて知っている人同士は穏やかに過ごしてもらえたらいいなあと思わないではいられない。基本的に争いごとは苦手なのだ。
(お師さんみたいに執念深くひとつのことに怒りつづけるのも苦手やしなあ)
忘れっぽいと怒られるけれど、みかとしては負の感情を抱え続けるほうがストレスだ。
などとぼんやり考えているうちに、撮影はひと段落したらしい。ディレクターの指示がとび、カメラの前の二人がすこし気が抜けたように姿勢を崩した。あいさつしようかな、とタイミングを見計らっているところで、ふいに、白いジャケット姿の人が――斎宮宗が、こちらを見た。
「影片」
ごく当たり前のように名前を呼ばれて、みかはぱっと顔をあげる。掴んだままの柄をぎゅっとにぎる。細く華奢なつくりの柄はさっきから握りしめているのですっかりみかの体温がうつってしまった。
一拍遅れて、敬人もおやというようにこちらを見る。慌てて会釈をして、けれどもたもたしているうちに宗がさっと大股でこちらに歩み寄ってきた。
「なにをしているのだね」
「えへ、えっと……見学?」
「はあ? 君、仕事は――ああ、今日は打ち合わせが午前中だったね。終わったのかい」
目の前に立つと当たり前に身長差を実感する。なじんだ角度で彼を見上げ、みかはこくこくうなずいた。体の動きと一緒に日傘もさらさら揺れる。宗はふいに目をほそめる。まぶしいのかも、と遅れて気づいて、みかは傘を彼にさしかけた。
「それにしても、きちんと日傘を使っているようでなにより」
ふん、と満足げに宗がうなずき、それから柄を握ったみかの手ごと包み込んで、また角度を元に戻す。みかはすっぽり影に覆われるが、ふたたび宗に陽ざしが当たってしまって慌ててみかは手に力をいれた。
「んあ、だ、だってお師さんごっつ怒ったやん……」
「当たり前なのだよ! どうして贈ったものをすぐに使わない! 一年もほうっておかれてさぞこの子もかわいそうな思いをしただろうさ」
「ちゃうもん! ちゃんとお部屋でとりだして撫でてあげたもん!」
「日傘の使い方ではないのだよ!」
ぎゃんぎゃんいつもの調子で言い合いになって、は、と我に返ったのは宗の方が先だった。こほん、と拳を口元にあて咳ばらいをすると、一歩みかの方に歩み寄る。撮影スタッフたちに背中を向けるような格好で、みかからは彼の肩ごしに彼らが動いているのが見えた。敬人はディレクターとなにやら話している。そろそろ撮影再開だろうか。
「でも、使ったら減ってしまうかもしれへんし」
「減らない」
「汚れてしまうかも」
「形あるものはすべて傷つき汚れるものだ。その都度手入れしたまえ」
「する! 大事にするもん!」
「よろしい。大事にたくさんおおいに使いたまえ」
まるで一語一語をみかの頭に刻み込むみたいにゆっくり、重々しく告げると、ダメ押しのように宗の手がみかの手をきゅっと握った。
「でも、もったいないんよ、お師さんからもらった大事なものやって思うととくに――」
「物は使ってこそなのだよ」
「んああ、」
この人に口で勝てるとは思っていないので、みかは眉をさげ相手を見上げた。つい瞬きが多くなる。宗は少し困ったように眉をよせこちらを見下ろしていたが、手をほどき、少し角度をかえて傘の柄を握りなおした。
「使い方にもバリエーションがあればもったいなさも薄れるかね?」
「んあ~?」
どういう意味だろう。日傘なのだから日差しを遮るという目的だけでは、と思いながら相手の言葉を待つようにじっとしている。宗がみかの手ごと傘を傾け、宗の頭上を通り、彼の後ろ側に大きく傘の部分が広がるような格好になる。先ほどまで遮られていた日差しがもどってきて、みかの額にあわく降り注いだ。
宗がかすかに顔を傾ける。淡いムスクの香りが鼻をかすめる。彼の大きな手の甲や傾げた際に目立つ手首の骨、指の形が視界の端で見えていて、それよりも目の前に美しい顔が近づいた。
当たり前みたいに軽く唇に唇がかすめて、離れていく。
「……んあっ」
驚きのあまり、声が喉の奥でひっかかっている。ぽかんと彼を凝視していると「そんなに目を見開いていると目が零れ落ちてしまうよ」とからかうように笑われた。
一拍置いて、今の状況を思い出す。傘と彼の体の向こうに、撮影クルーたちがいるはずだ。こんな、外で、明るい中で、なにを。なにを――
「お師さん……っ」
「どうだい、日傘の使い方にもいろいろあるだろう」
「んあ、あの、~~~~お師さんのえっち!」
「人聞きがわるいね、こんなのあいさつじゃないか」
ふふん、となぜか勝ち誇ったように笑われて、みかはいよいよ言葉を失う。頬が熱いのは日差しのせいではない。けれど、宗がこちらの手に傘の柄をしっかり持ち直させ、ぽんぽん、と二度肩を叩いたことで、少し目が覚めてきた。いや、さっきから覚めている。もう、信じられないくらいに清明である。
「信じられへん……」
片手で顔を覆うように俯けば、目の前の人は機嫌よさそうに笑った。
「さて、撮影はまだ長引きそうだ。見学するにしてもこんなところじゃなくてあちらのカフェにでも入って遠目に眺めているくらいでいいんじゃないかね」
「いじわる……お師さんの声聞こえへんしお顔見えへんやん、あんなとこじゃ」
「放映日になれば見れるよ」
「せっかくだから近くで見たいのに……お師さんはファンの気持ちを全然わかってへん」
うめくようにそう言えば、宗が「ファン?」と訝し気に問う。なにか言い返す前にADらしきスタッフが「斎宮さん、そろそろ……」とおずおずと声をかけにきた。みかだけがびくっと肩をこわばらせ、心臓をどきどきさせているのと裏腹に、目の前の人はこちらを背中に隠すよう立ち直し「ああ、そうかね」とごく自然に頷いた。
それからちらりとこちらを見て、「無理しないように」と囁く。みかは眉を寄せて相手を見上げた。
「……無理やないもん。でも、スタッフさんたちになにか冷たい物届けたら迷惑やろか?」
「それは助かる、お願いしてもいいかね」
こくこく頷くと、大きな手のひらが伸びてきてくしゃりと黒髪を撫でた。
「じゃあ、いい子にしてなさい」
あっさり手は離れ、彼はこちらなど見向きもせずスタッフたちの方に歩いていく。そのきれいな背中を眺めながら、みかはつい指先で唇をなぞり、そしてひとり赤面した。傘をすこし角度をかえ、顔が見えにくくなるようにする。こんな使い方、知らないままでよかったのに。