ふに、と宗の唇に触れたのは指先だった。
「あかん、だめ」
 両てのひらを宗に見せるような格好で、人差し指同士がすこしだけ重なって、そこが宗の唇を妨害している。手のひらの向こうには小綺麗な顔があって、じっと宗を見つめていた。いや、睨んでいるのかもしれない。
「お師さん、すぐそうやって、ちゅーして誤魔化そうとする」
「な! そんなことはないだろう!」
 あまりのいいように、宗はさすがにむっとした。そもそも、自分が使用と思ったことを遮られたのも面白くない。宗の右手はまだみかの腰を抱いたままで、ほとんど密着するような姿勢だ。これが人前であれば遮られるのもやむを得ないのかもしれないが、ここはふたりきりのアトリエである。なにがいけないというのだ。
 宗の不満げな顔をじっと見つめ、みかはもう一度首を振る。
「だぁめ。いま、大事なお話しとったやん?」
 宗は、しぶしぶ顔を離す。けれど腰を抱いた手はそのままにしておいた。そちらは窘められていないのだから構わないのだろう。
 傾けていた顔を元に戻し背をしっかり伸ばせば、ある程度節度のある距離が生まれる。みかを見下ろして、宗は「それで」と不機嫌さを隠しもせず告げる。
「君の言い分を聞こうじゃないか。僕がなんだって? 誤魔化そうとしているだと?」
「んもう、そこやなくて! おれのお仕事は、おれが選んでええって話やろ!」
 宗はもちろんあえて話題をそらしたのだ。だがみかはそこは譲る気がないらしい。むう、とかわいらしい唇を尖らせ、長いまつげを震わせて目尻をかすかにつりあげた。そうするとますます猫のように見えてしまう。
「もちろん、ユニットではなく君個人の依頼は君の采配による。だが、あの、あの品のない仕事はなんだね? ユニットの格式を落とすような真似は承知しないよ」
「も~! せやからただのピンナップやん! 雑誌の特集で、一週間のコーディネート特集やねん! それがどうして品がないって話になるのん?」
 先ほどみかに見せられた企画書はまだアトリエの机に乗せたままだ。宗は一通り目を通した。通したうえで、ノン、と拒否を突き付けたのだ。当然みかはそのまま撤回すると思ったのだが、なぜか今日は食い下がって来る。
「Valkyrieにふさわしい仕事を選びたまえよ、君はそこらの替えの効くタレントとは違うのだ、芸術的な活動を主とする、Valkyrieの、僕の唯一のパートナーなのだよ」
 宗は滾々と説き伏せる。みかの表情が「唯一」のところでぐらりと揺れたのも見逃さない。どうあがいてもこの子は自分のことが好きだし、宗に認められることを喜んでいる節がある。この線で行けば押し通せるだろう。宗はひそかに拳を握り、それから、抱いた腰を軽く引き寄せた。
「ねえ、影片。時間は有限で、僕たちはあまりにやりたいことが多い。こんなくだらない雑誌の企画に携わっていないで、ほかに目を向けようじゃないか」
「……お師さん、なんや自分の都合のいいようにおはなし持っていこうとしてへん?」
 じと、と瞼が重たげに半分閉じられ、その下から色違いの双眸が宗を見つめる。宗は、さりげなく目をそらし、まるで企画書が気になったとでもいうように顔をそむけた。
「僕はいつでも正論しか言わないのだよ」
「お師さんのいうこともその通りやなって思うんよ。でも、この撮影そんなに時間かからへんよ? それに次の舞台の準備で帰国するやん、そのときに日程合わせてもらえそうやし」
「だが、」 
 資料にカギかっこ付きで企画の仮タイトルが印字されている。宗は、今一度そこを眺めてしまう。
『カップルのリンクコーデ! 春の流行りをとりいれて(仮)』 
 その下には人気アイドルユニットのメンバーである影片みかと、その雑誌の専属ある女子高生モデルらしい名前が並列して書いてある。設定としては女子大学生の忙しくも充実した日常らしい。休日には彼氏とデート♪、などとうかれた文字列がならび、宗はいよいよ眉をひきつらせた。
「……とにかく! 品性の欠片もないじゃないか!」
「でも、なるちゃんもおんなじ企画やっとるんよぉ」
「――だからなに」
「えっ、なんか、うれしくない?」
 みかは、きょとんとした顔で宗を見た。宗は、じっとその顔を見つめる。相変わらず何も考えていなそうな、ふわふわした表情だ。たぶん何の思惑もないのだ。初めての雑誌だけれど、友人が前に携わった企画だから情報を聞けるだろうしなにより同じ企画に呼ばれて嬉しい、そのくらいかもしれない。仕事熱心な子ではあるから――孤児院の問題が解決しても、基本的にせわしなく走り回っている方が好きな子である。手持無沙汰は落ち着かないらしい――、基本的に持ちかけられた案件は断らないのだ。同じユニットの宗が片っ端から気に入らないものを断るのとは雲泥の差である。おかげで国内における知名度は圧倒的に影片みかの方が高い。それは別に構わない。有象無象に興味はない。
(問題は、)
 宗はもう一度企画書を見る。みかもつられたようにそちらを見て、んあ、と間抜けな声を上げた。
「もしかして、デートとか、カップルみたいなのがいやなのん?」
 それは、別にからかっているとかではなく、本当に、いまたまたま思いつきましたとでもいうような素直な言葉だった。あまりにあっさりとした指摘に、宗は顔が熱くなる。
「……! ああもう、そうだ、そうだよ! 悪いかね!?」
「んえ!?」
 がしっと掴んだままだった腰をさらに引き寄せる。そのまま顔が再び近づいて、鼻先がぶつかりそうな距離でみかを睨めば、相手はぱちぱち瞬きを繰り返した。
「次の帰国の時、ちょうど興味深い展示会が開催されているのだよ、すでに前売りも押さえてしまった、見てみたかったアーティストの展覧会もぎりぎり会期に間に合いそうだ、せっかくなら君と一緒に行けたらいいなんて思ってしまったのだよ、ああもう! 君の仕事は君の自由意思だしそれはもちろん僕の関与するところではないけれど、僕とデート出来ないのに知らない女とデート企画だなんて、まったく、まったく面白くないね! それをここまで言わせるこの状況も不愉快極まりない!」
 一度口をひらけばもはやとめどもない。みかは目を大きく見開いて、こちらの顔を凝視している。唾が飛びそうな距離で、宗は言いたいことを言い終えると、ようやく、その細い腰から手を離した。そっと顔をそらし、一歩体を退く。
「ああもう、君ときたら、僕は君の前では格好をつけていたいというのに……!」
「んあ……あの、お師さん」
「なんだね、僕の八つ当たりだとわかってさぞすっきりしただろうね! ああこういうわけなのだから君が依頼を受けるのは好きにすればいいさ、それにしてもそういう雑誌のありきたりかつばかみたいな企画案はどうかと――」
「お師さん、なぁ」
 ちょん、と服の裾をひかれた。別に大した力でもないのに、宗はつい振り向いてしまう。みかの甘い声に、逆らうことはひどく難しい。
 首をひねった中途半端な格好で、ぱっと目の前に広がったのはその白い鼻先と赤い唇だ。
「……な、」
 ふに、と唇が柔らかくおされた。指先よりもっとやわらかい、しっとりとした感触。そのまましばらく硬直していると、みかが両腕を宗の首に回してきて、本格的に唇を押し付け、舌先を滑り込ませてくる。いつもよりたどたどしくこたえていると、しばらくしてまたみかから、ゆっくりと顔を離した。
 あっけに取られて相手を見下ろすと、みかは眉を下げ、困ったように微笑む。
「んと……帰国の日程、もうちょっと伸ばしてもええ? おれも、お師さんとデートしたい」
「あ、ああ」
「それと、お師さん、もしかしてやきもちやいてくれたのん? んふふ、うれしい」
「な、ちが、」
 咄嗟にそう否定して、それからまったくもって何も違わないことを自覚し、宗は舌を固まらせる。そんなこちらをみて、みかはまた面はゆそうに笑うと、「ごめんなぁ、お師さん」とそれでも嬉しそうに囁いて、もう一度顔を寄せてきた。
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