『オレンジ(橙)』(『I LOVE YOU』)
オーガスは白衣を翻し、慌ただしく部屋の中を動き回る。
「オーガスさん」
「……ああ、来てくれてありがとう」
ぺこりと頭を下げたオクトは、つなぎを着て辺りを見ていた。
横たわるのはオクトとそっくりなロボットドール。
周りには、オーガスのように白衣を着た研究者。場違いな自分の恰好に、落ち着かない様子で太ももを擦る。
そこで、渡そうと思い持ってきた小瓶の存在を思い出した。
「そうだ。オーガスさん。今年も貰ってくれますか」
ごそごそと取り出したのは、彼が作ったマーマレードのジャム。ずいぶんと前に趣味で作っているのだと話し、その時から毎年オーガスへプレゼントしていた。
「ああ、ありがとう」
今年のジャムも美味しそうだ。嬉しそうに笑うオーガスにつられ、緊張していたオクトも微笑む。
「君の作るマーマレードは格別だからな」
「そんな。おばあが分けてくれるオレンジが美味しいんです」
「そうか?……でも、君が作ってくれたマーマレードは好きだぞ」
思いがけない言葉に、オクトはびしりと背筋を伸ばした。ぎゅうとつなぎのズボン部分を握り、せわしなく視線を揺らす。
「そ、そんなっ……。でも、そう言ってもらえて……嬉しいです」
俯いた顔は真っ赤で、その様子に再びオーガスは笑った。
「緊張はほぐれたか?それじゃぁ今日も計画の協力を頼む」
オクトは政府の研究所へ定期的に訪れていた。
記憶を写すための装置。すべて機械が行うため、彼は横たわっているだけでいい。
「オーガスさん、俺はどうして選ばれたんですか?」
「優秀な修理工だと聞いた。選出理由はそこだろう?」
それは、そうなんですが……と、彼は気後れした様子で視線を揺らした。
「俺は……君がこの役割を負ってくれてよかったと思う」
機械を操作しながら、オーガスはなんともなしに口にする。
「……どうしてですか?」
オクトは不思議そうに彼の背中へ顔を向けた。
「ほら、動かないでくれ」
「すみません」
機械に沿うよう頭の向きを直すが、それでも視線は相手の背中へ向けたまま。
その視線にくすぐったさを感じ、オーガスは肩を震わせた。
「俺は―――正確には俺を写したロボットドールだが―――計画の要となる時計塔を管理することになる。俺が持つ懐中時計。そしてその時計塔。それらのメンテナンスを、君に―――君を写したロボットドールに任せることになるだろう」
「そう、なんですね。……なんだか、実感がないな」
政府は所属の研究者だけではなく、一般市民から役割に適性のある人物を見つけ協力を仰いだ。そんな一般市民のオクトには、この計画の重要性なんて想像もできない。
「君は君の仕事をしてくれればいい。今までのように」
協力することになったオクトは、計画に必要な道具のメンテナンス方法を学びながら、少しずつ己の記憶をロボットドールへと写していった。初めてこの施設を訪れてから、季節は何度も廻っている。
その間に、オーガスはオクトの誠実さ、その技術力を知った。一方、オクトはオーガスの真摯な姿勢とその知識の深さを知った。
「俺たちは眠り、その代わり俺たちを写したこのロボットドールたちが世界を回す。彼らが眠りに就く頃に、再び俺たちが目を覚ます」
「ずいぶんと長い期間眠りに就くんですよね?起きた時、世界はどうなっているんですか?」
不安を抱いた瞳に、オーガスは小さく首を振る。
「わからない。けれど、希望を求めてこの計画を実行するんだ」
この計画についてはしっかりと説明を受けたけれど、オクトには理解ができなかった。ただ、途方もない時間をかけて行われる計画の結果が、どう転ぶかは実行する政府もわからない。
滅びかけた人類が一縷の望みをかけて大博打を打つ。そんな計画だと思っていた。
「オーガスさんは……希望の先を見ているんですか?」
「ずいぶんと詩的な言い回しだな」
ふと口をついて出た言葉を揶揄われた気がして、オクトはすみませんと狼狽える。この荒廃した世界の先を見据え、ただただ計画を遂行していくオーガスに対し、その言葉が思い浮かんだのだ。
オクトは柄にもない言葉を選び、今になって恥ずかしさがこみ上げる。
「謝ることはない。そんな風に思ってくれて嬉しいんだ」
振り返ってこちらを見た瞳から、オーガスの言葉に偽りがないことを知る。
「希望の先を見ている……そうだな。俺は希望の先……この世界の生存を見据えている」
力強い言葉と相まって、オクトの抱いていた不安はどこかへといってしまった。
「それじゃあ、俺は少し眠ります。オーガスさん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」