それが、いつから始まったことなのかは、おそらく誰も理解していまい。
理解しているであろう少女の名前は、当の昔にこの世界から消え去った。
もうその名残はどこにも、灰にすらない。
こだまも響きも、もう存在しない。
それでも、その言葉をもし言祝げるものが存在するというのならば。
それはもう、その|相手である、彼しかいないのだろう。
で、あるのならば、この事象を語ると同時に、彼のことを語らねばなるまい。
どこにでもいる、少年のことを。
あの少女に唯一無二、■んだ彼のことを。
これは、世界の果ての、物語。
どこにでもある世界の、どこにでもある、どこにでもないどこかの物語である。
■
雨が、降っていた。
冬となればそのすべてが白い結晶に変わるはずのその地域にしては珍しく、そのひは冷たい雨がざあざあぶりに振っていた日だった。
ぽたぽたと雫が垂れては、まるで漫画のようなテンプレートの音を立てて、地面の上に薄く張った膜に合流していく。
そのざまを見つめていたのは、一人の少女だった。
少女、というよりは、人間であった。
老若男女、どれなのかわからないような人間だった。
シルエット的には、おそらく女性と言えるだろう。身長は人間の範疇でそこそこ高い。おそらくパリコレとか出れるレベルの範疇である。
しかしその体躯は、スラリというよりがっしりとした骨太で、しかしどこか地に足がついていないような、それでいて安定した風格があった。
安定していない、そう言える状態はずなのに安定している。
それがおそらく彼女の|基準値なのだろうということが、理屈ではなく直感で理解できる、そういう体だった。
彼女は、周囲をきょろきょろと見回していた。
手には黒いかさがある。すべての雨から彼女を防いでいる、大きな傘だ。
そして、それ以外に彼女の手元には何もなかった。
冬の雪国を歩くには、あまりにも頼りない、白い七分丈に黒いワンピースのシルエット。
それはさながら、宗教に没する聖職者のようであった。もしくは|殉職者とでもいうべきか。
閑話休題。
そのひは、雨が降っていた。
曇天であるせいか、時間帯はわからない。
ただ、おそらく日が暮れてもうしばらくはしているだろうと確信できる程度の黒さが周囲を支配していた。
駅前であるにも関わらず、伽藍洞ですらあるほどに静かな周囲の喧騒。
建物に人と明かりはおらず、時折ザァーーーー…と雨と水たまりを書き分けるヘッドライトが灯るだけ。
無論、周囲にも人はおらず。そこにいるのは、少なくとも見える範囲では少女だけだ。
最も、階段を上がれば話は変わるかもしれないが。
そう。その少女は今、階段の前にいた。
階段の先には、まるで橋のように、歩道が向こう側まで続いている。
用は、歩道橋と言われるべき建築物だった。
それだけが、少女の前に、ぽつん、と、まるで目的でもあるように立っている。
もしくは、それこそが目的であると、暗に示すようにそこに立っている。
暗がりの中、雨音と車の音。
小さな、と形容するには少々頼もしい、駅前の歩道橋に、少女が足をかけた、その時である。
その橋の上に、何かの人影が見えた。
信じられないほどではない。そもそも、ここに人っ子一人いない方が変なのだ。
理解はしていても、本能は警鐘を鳴らす。
そうだ、何より―――なぜあの影は、傘をさしていない?
こんなに冷たい水の中、どうして平然としていられている?
その言葉を待つまでもなく、答えはすぐに出た。
その目に、生気がない。
生きるための気力というのが、まるでない。
その視界に現実のすべては一切映っておらず、その肉体は物理情報のすべてをシャットダウンしており、そして、おそらくその瞳は、此処ではないどこかを覗き続けている。
直線距離20Mにして、少女はそのことを知覚した。
視覚で見たわけでも、聴覚で聴いたわけでもない。ただ、当たり前のように、そう理解した。
理解したうえで、しかし少女は何もしなかった。
というか、走ったり駆け上ったりしていなかった。
なぜならば、少女の思考もまた、此処ではないどこかに未だ居続けていたからだ。
なぜならば、彼女はつい数秒前に、この場所に「転送」されてきたばかりだからである。
■
「というわけで、後は頼んだ。」
「どういうことかは一切わからないけど了承した。■■様は気を付けて、取り合えず全力を出してきたらいいよ。」