日が昇る頃にはもう既に、住吉会のアジトの一つがが何者かの襲撃にあったという噂は街に広がっていた。組員のほとんどが血を吸われて絶命。もしくは銃で撃たれて怪我をしている。そんな断片的に流れてくる悲劇的状況は、最近流行っていた連続不審死を人々に連想させ、再び街の人々を震撼させていた。
いつもと全く違う朝を迎えた街の中央。恐怖にざわめく街中。その大きな川にほど近いそこ、帝国血液銀行前にも数名の青い顔をした男達が佇んでいてもその朝、誰も何も不思議には思わなかったことだろう。
通勤する血液銀行職員の顔をじっと見据える彼ら。もみくちゃにされた衣服。そして、その目元には一様に深いクマが刻まれていた。
だから、その集団に声をかけたのは、片耳の一部の欠けた男。水木、ただ一人であった。
「おはよう」
水木がそう声をかけると、男達の中の一人、あばた顔の男がパッと視線を上げる。その男たちはまさに、つい昨夜まで水木と共に住吉会のアジトに捕まっていた者達である。昨夜、水木とゲゲ郎がアジトから逃げている最中に例の血を吸う化け物になり、そうして、アジトから逃げ出すことが出来た後、日の出と共に人間の姿に戻ったのであった。
「逃げられただろう?」
化け物になろうが何百人と組員のいるようなアジトから逃げられるわけが無いと弱気なことを言っていたあばた顔男に、水木は片頬を上げて不敵に笑いかける。
「馴染みの記者も何人かいる。警察に今までのことを全部話して保護して貰うついでに記者にも洗いざらい話して記事にして貰うがいい」
深夜2時になると化け物になって人を襲うと話して信じてくれる者などいないだろう。しかし、狂者だと思われてひとまず牢獄にでも保護施設にでも匿って貰えればいくら化け物といえども逃げ出すことが出来ないだろう。そうしている間に、何か対策がないかゲゲ郎辺りに相談すればもしかしたら何か解るのかもしれない。どうやらあのゲゲ郎という男、水木と共にあの哭倉村に行ったことがある様子なのだ。それに、人の姿になったり目玉に手足が生えた姿になったりしていた。一反木綿という妖怪とも何やら親密なようである。妖怪のことは妖怪に訊くのが一番だ。
住吉会の方も、アジトの一つをあんなにも引っかき回されたところだ。噂では死亡した組員の数も多いと聞く。しばらくは派手に動くこともままならないはずだ。復讐をしに来るにしても、暫くの時は稼げそうである。
水木はそう算段していた。
「化け物になるというところは言っても言わなくても構わないが、住吉会の組員を殺害したという話をすればとりあえず牢屋には入れる。牢屋に入ればいくら化け物だろうがそう簡単には抜け出せないだろう? それに、自首すれば刑だって多少は軽くなる」
昼頃までには記者に連絡して話を聞きに行かせるから。
水木の脳裏には何人かの記者の顔と名前が思い浮かんでいた。特に、Mの高額転売と流行の不審死について繋がりがありそうだと話していたあの記者なら今回のこの話にも飛びついてくるかもしれなかった。
そう水木が説明すると、男達は渋々といった様子で緩く頷く。その彼らの表情はどこか陰鬱な雰囲気であった。
「俺たちは、普通の人間に殺されることは出来なくなってる。あんたを助けに来たあの白髪のやつならもしかしたら・・・・・・」
暗い声でぽつりと言うあばた顔を水木は驚きの表情で眺める。
「何言ってるんだよ。あんた達、わざわざ死にたいのか?」
「解らない・・・・・・ただ、もう・・・・・・人を襲うのは、嫌だ・・・・・・」
消え入るように呟かれた言葉に、水木は返す言葉が見つからなかった。Mの話を聞いたとき、そんな便利な薬があるのならば、大量生産して日本公民全員に服用させて戦後の復興をもっと早めるべきだとさえ思ったことがある。
だが、今はどうだ? 不老不死と引き換えに他人の生き血を啜ってしまう。そんな化け物に人が変容してしまうというのならば、やはり、Mという薬はこの世に在ってはならない物だったのでは無いだろうか?
Mの話題が出たときにゲゲ郎が「あんな忌々しい物」と表現していたのを思い出す。もしかしたらゲゲ郎はこの副作用まで知った上でそう言っていたのだろうか? それとももっとおぞましい何かがあるのだろうか? そこまでは記憶を失ったままの水木には知り得ない事であった。
「あんた達を、なんとか出来ないか探ってみる。だから、その間、あんた達は警察に保護して貰っていてくれ」
戦場で布きれか何かの用にぞんざいに扱われてきた人間を多く見てきた。それがまだ、こうやって平和になったはずの時代にさえ続いているというのが水木には耐えられなかった。どうにかしたい。どうにか出来るはずだ、と一縷の望みを胸に抱いていた。
「どうしようも無かったときは、遠慮せず俺は殺して貰って構わない」
「俺もだ」
「俺も・・・・・・」
集まっていた男達全員が口々にそう呟くのを、水木は止められない。ぐらぐらと記憶が揺さぶられる感覚があった。戦場での自分を思い出す。こんなに大量に他者を葬るのなら。その罪悪感でどうにかなりそうになった日々。無残に死んでいく周りを見たときの絶望感。どうしようも無かったとき、どうしようも無く助けられなかった人が山ほどいた。
そして、それは戦場から帰ってきてからもだ。焼け野原の内地。復興したはずなのに、まだ、横行していた不条理。助けられそうだったのに、助けられなかった。そう、そんな不条理が、あの哭倉村にもいたような気がする。
「ぐぅ・・・・・・」
いつもの頭痛だった。哭倉村のこと、Mのことを何か思い出そうとするとき、必ず起こる不可解な頭痛。それが水木を襲った。
「今度こそ、助ける。ひとまずあんたらは、警察に・・・・・・」
「わかった」
クマの深い男達の集団がふらふらと歩いて行く。どう見ても、人畜無害に見えるあの男達が、なぜただMを服用したという事だけで人の生き血を啜る化け物になって苦しまなければならないのか?
去って行く男達を見送りながら、水木は一人胸を痛めていた。
どんなことがあろうとも出勤し、仕事をこなさなければならないのが社会人というものである。水木は、昨夜に攫われようが早朝に自首する男達を見送ろうが、いつも通りの顔をして血液銀行に出社し、働き、何食わぬ顔で帰宅しなければならないのである。特に、家には乳飲み子がいるのだから。
と言っても、その乳飲み子はどうやら人の子では無いらしい。しかも、どうやら水木の不在にしている日中は妖怪が面倒を見てくれているらしかった。
「ただいま」
しかも、乳飲み子・鬼太郎と水木の二人暮らしだと思い込んでいた暮らしは、どうやら実は、目玉姿のゲゲ郎も共に住んでいたらしいことが解ったのである。だから、今までは無言だった帰宅もいつの間にかそうやって帰宅の挨拶をするようになっていた。
鬼太郎は、応えない。その代わり、鬼太郎の頭の辺りからもぞりと出てくる物がある。目玉に手足が生えた姿のゲゲ朗であった。
「今日ぐらい早う帰って来れば良いものを・・・・・・」
「普通に仕事しつつ記者連中にも連絡とってたんだ。遅くもなるだろう」
「で、あやつら、どうなったんじゃ?」
昨夜のうちに、共に捕まっていた人間がどうやら化け物になるらしいこと、朝になって人に戻ったら会おうと約束していたことなどはゲゲ郎に話をしていた。そのため、簡単に朝の様子をゲゲ郎に話せば彼は、両腕を組んでウームと低いうなり声を上げていた。
何かを考え込んでいるらしいゲゲ郎を横目に、水木は自身の夕食の用意を始める。鬼太郎のミルクは日中のうちにゲゲ郎とその馴染みの妖怪がやってくれているとの話だったので、昨夜の残りの煮物と白飯で適当に夕食を済ませた。
「ひとまず、牢屋に入ったらしいと聞いたから。今晩は牢の中で暴れる程度なんじゃ無いか?」
「妖怪の力を侮ってはならん。人の作った牢屋など簡単に壊せるものもおるぞ?」
「そんなに強い力の妖怪になりそうには思えねぇんだけどなぁ」
朝に会った男達の顔を水木は思い出す。誰も彼もが眠そうな、疲れ切った表情で。それこそ、虫だって殺せなさそうな非力さに見えたというのに。
「水木は彼らがどんな妖怪になるのか見てないんじゃろ?」
「頭だけの化け物、としか聞いてねぇからなぁ・・・・・・」
そうだ、と思い出した水木は会社に持って行っている鞄を引っ張り出す。その中に、記者達が男達から聞き出して模写した化け物の絵が入っていた。それは、鬼か何かのような恐ろしい形相の頭が長い髪を振り乱している様子であった。
「こんな感じらしいぜ?」
水木がちゃぶ台の上に広げた紙を、目玉が覗きこむ。ふむ、と小さな声を上げてまた腕を組んでいた。
「これは、たぶん、おどろおどろという妖怪じゃ」
「おどろおどろ?」
聞き返す水木を見上げて、ゲゲ郎がその両腕を解く。紙に描かれた絵の上に乗り、振り乱された髪を指で示した。
「この長い髪で人を捕まえ、生き血を啜る。そういう妖怪じゃ」
ゲゲ郎の説明から、水木の中で、今までの不審死がなぜ外傷が少なかったのかという疑問点が解消された気がした。被害者達は全て手足をきつく縛られた跡は残っていた。つまり、この絵の長い髪で手足を縛り上げられ、動けなくなっているところをその大きな口に噛みつかれ、血を吸われたのだろう。話でしか聞いておらず、実感が沸かなかった化け物と不審死の関係性。それが、今、ピタリと水木の中で合致したような気がしていた。
朝の男達の様子を思い出す。力なくうなだれながら、他人を無差別に無意味に殺すくらいならいっそ死にたい、と言ったその姿は、いつかの自分とも重なる物があり、酷く水木の胸を打った。
「妖怪にならずにすむ方法とか、無いのか?」
「そもそも、Mを飲んだ人間がおどろおどろになるということ自体が初耳じゃ」
「だよな? 人間が妖怪になるなんて・・・・・・」
妖怪話では怨念を抱いた人間が妖怪になるという話はいくつかあった気がする。しかし、そういったもののほとんどがただ退治されるか封印されてしまうかという末路だったように水木には思えた。
「呪術で妖怪にさせられている者ならば、術者を殺めれば呪いを解くことが出来るが、薬となると・・・・・・」
「解らんか」
「一応、妖怪仲間から情報を集めてはみよう」
「頼むぜ。あいつら、殺されても良いから、もう人の生き血なんて啜りたくないなんて言ってたんだ」
涙さえも見せずに「俺も」と呟く男達の悲壮感漂う様子が忘れられない。戦場で助けられなかった者、それから、きっと、あの、哭倉村で助けられなかった誰か。そういう顔も判別できないような亡霊たちのようにはなって欲しくない。
そんな思いが、なぜか水木の胸の中に熱くあった。