気が付くと、あひるになっていた。黄色い小さな足でへたへたと音を立てて、自分よりも大きな体のあひるを追いかけているところで気が付いた。動画を切り替えたみたいに、先ほどまで見ていた景色が変わったのだが、それまでどんな景色を見ていたかは思い出せない。無我夢中で目の前のあひるを追いかけてようやく捕まえた。あひるに圧し掛かり動きを封じ込めようとするが、体が大きくて振り払われそうになる。反射的にあひるの首に噛みついて体を捻ると、自分よりも大きなあひるの体はいとも簡単にひっくり返った。
 それで満足してしまって、背負い投げもどきを食らったあひるが一目散に逃げていくのをただ見送った。どうして追いかけていたのかも分からないが、すっきりした気分だ。
 どうやら私は、どこかで飼われているあひるらしい。ずっと駆け回っていたのは小屋の中で、そこにはたくさんのあひるが暮らしている。おそらく体の大きさごとに分けられた部屋で暮らすあひるは、夜眠る時以外はぐわぁぐわぁと鳴いているためずっと騒がしいのだが、体が慣れているのか苦痛に感じることは無い。私の意識があひるに入ったのはついこの間のことなのに、馴染んでいるのが少し悔しい。元々は人間だったけれど、案外簡単に馴染めるようだ。人間だったころの誇りはないんだろうなと思いながら体を丸め、自身の体に顔をうずめる。走り回って疲れてしまったので、今日はこのまま休むことにする。
 牛や豚が育てられている小屋を想像すると、糞やえさの臭いが混じった独特の臭いがするのだが、あひる小屋はそのイメージとはかけ離れていた。糞はすぐに処理されて臭いが残ることは無く、食事も薄茶色のよく分からない粉末状のものではなかった。食事の時間になると男が餌を直接口に運んできてくれる。口を開けていると注射器で液体を流し込んでくれるのだが、それが癖になるのだ。食卓に並ぶカレーみたいな、何度食べても飽きない味。お腹の空いている時はお代わりをしたくなる、苦手だという人はあまりいないだろうと思われる、どこか懐かしい味がするのだ。食事は一日三回、一回に食べられるのは注射器一本分なので、お代わりをすることが出来ないのが少し残念だ。一度ねだってぐわぁぐわぁ鳴いてみたが、全く気を引くことが出来なかったのでそれ以降ねだることは止めた。
 同じ部屋にいるあひるに対して、ぐわぁと鳴いてみたことがある。
「ぐわぁ」
 帰ってきたのは同じような鳴き声だった。もしかしたら私と同じようなあひるがいるかもしれないと思ったけれど、そもそも人の言語を話すことが出来ないのだから、コミュニケーションは不可能だ。
 死んだ記憶もない私がどうして突然あひるになってしまったのかと甚だ疑問だが、辺りを見回してあることに気づいた。
 羽の一部が黒いもの、足が欠けているもの。どのあひるも基本白い毛並みにぱきっと黄色いくちばしを持っていることは変わらないが、どこかに異常というか、美しさに掛けるものが交じっているのだ。走り回るせいか毛並みが乱れ、癖がついてしまったのか何度整えられてももうあの美しい毛並みは戻ってこない。
 はめ込まれた丸い窓ガラスに映った自身の体を見た時、その目を惹く白さに驚いた。窓ガラスが汚れていても自身の体の美しさが分かるほど、白く整った毛並みは、歩く度に波のように揺れて目を奪われることだろう。濁りを知らない黄色いくちばしの曲線は滑らかで、こぼれた水も弾いて滑っていく。黒い瞳は大きく、照明の近くだときゅるりと光るのだ。
 滲んだ羽も体のゆがみも一切感じられない。歩けば誰もが振り返る絶世の美女にでもなった気分だ。
 つまり、とつぜんあひるになった私は、あひるガチャに成功したというわけだ。けっしてあひるになりたかったわけではないけれど、綺麗な姿になれるのなら文句は言うまい。いや、あひるであったことには多少文句は言いたいが。それらに関しては今うだうだ文句垂れても変わることではない。とにかく今は、容姿端麗なあひるになれたことを喜ぼうではないか。
 突然あひるになっていたことに驚かず、あひる小屋で生活している事に馴染もうとしている私には驚かされる。急にあひるになってしまったのなら、急に人間に戻ることもないことはないだろう。完全に他人任せというか神任せだが、それを期待するほかない。だってそれ以外にできることが無いのだから。
 ほかのあひるよりも優れていると気付いた途端、いついかなる時も背筋を伸ばしていたくなる。きっとそうしていた方が私の美しさがより際立つから。綺麗な人が堂々を歩いているのは、自分の魅力を充分に引き出すためなのだと気付いた。
「ぐわぁ」
 悠々と歩いていたが、突然の声にも私の心は驚かなかった。穏やかな気持ちで声の方へ視線を向けると、一回り大きなあひるが私の横を歩いていた。私が背負い投げもどきをかましたあひるは、そのことを覚えていないようにぐわぐわと鳴きながら私についてくる。
 もしかして、私の魅力に惹かれてきたのだろうか。背負い投げをかます美しいあひる、おもしれ―女。聞こえていないセリフを想像した途端、ぐわぐわと鳴くあひるが本当にそのように聞こえてくるのが不思議だ。
『お前、おもしれーあひるだな』
『あらどうも』
『お前みたいなあひる、初めてだ』
『そう、私みたいに美しいあひる、他にはいないものね』
 できやしない会話を膨らませ、隣を歩くあひるに目を向ける。ずっと私の顔を見て鳴き続けている。よっぽど好意があるのだろうか。クジャクは羽を広げて求愛行動をするが、あひるはどのようにして求愛するのだろうか。もしかしたら、今のこの行為こそが求愛なのだろうか。まったく、モテる女は困る。あひるになって求愛されたのは今回が初めてだけれど、きっとこれからも私の美しい毛並みに惹かれるあひるは少なくないだろう。
 まずはここは、靡かずかわすのが基本だ。
『私この後急いでいるの、用があるならまた今度にしてくれるかしら』
『困ったな、君を他の男の元にはやりたくないのだけれど』
『残念、あいにくしつこい男は嫌いなの』
 空想で膨らませた会話を締めくくり、あひるを見つめる。あひるはずっと鳴いていたけれど、構わず振り切って小屋の隅で体を丸めた。そろそろ夜を迎える。眠る時間は体が覚えている。
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20231221
初公開日: 2023年12月21日
最終更新日: 2023年12月21日
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zat夢文庫版書き下ろし原稿
「雑渡昆奈門と先見の仙女」のイベント頒布用文庫本の書き下ろし用の話。
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リハビリ
SSをぼんやり書きます。見直しは一旦度外視です。
宮古遠