個包装だと思っていたクッキー、個包装じゃなかった 全部食べ切らないとぱさぱさになっちゃう
 最後に来たのは、初めての彼氏につれてきてもらった三年前で、他の好きな人ができたから別れたい、と振られたことと波の音で頭がいっぱいだった。その時の元彼の表情すら思い出せないくらい頭が真っ白になったけど、そういえばあの時も、沈み切った太陽の残り光で明るい橙色の空と、それらを簡単に覆い隠してしまうほど藍色が空の半分以上を占めていた、夕方のころだった。
 誰もいない砂浜と、波を寄せる広大な海を見つめていると、穏やかだった心臓の鼓動が、大きくなっていく。
 どく、どく、と脈打つ心臓の音をかき消すように、背後から足音が近づいてきた。
「ひろいねぇ」
 海から流れ込む風で乱れる髪を押さえつける都季は、脱いだ靴を左手に持っていた。
 はい、と渡された靴に反射的に手を伸ばした。
 海、入るの、と問う私の声は聞こえなかったのか、丸めた靴下も乗せると、わーい、と両手を揺らしながら砂浜へ降りていった。紺色のスカートがなびき、入り込んだ風がセーラー服を膨らませる。やわらかく細い髪がふわりと浮き上がると、そのまま風に飛ばされてしまいそうだった。
 都季の靴を地面に置いて、石階段に腰を下ろす。車の中で座っていたとはいえ、なにかを気にすることなく腰を下ろせたのは今がはじめてで、無意識にため息をついていた。
 都季が登校していないという連絡に気づいたのは昼休みの時だった。メッセージを送っても返事はなく、電話をかけてももちろん出ない。仕事を早退して街を探し回り、望み薄で訪れた壊れかけの神社のベンチで見つけた都季に声を掛けると、わたしね、魔法が使えるよ、と突然言い出した時は、よからぬ人と関わっているのではないかと疑った。白い腕にそれらしい痕はない。
「海につれてってよ、れいちゃん。見せてあげる、魔法」
 学校に行かなかった理由がそこで分かるなら、と車で一時間かけて海を目指したのだった。気づけば日が傾いていた。夜になっても大丈夫かと聞くと、「夜の方がいいんだよ」と笑みを浮かべる。家では見せない笑顔だった。
 真面目な子だと聞いていた。小学生の頃から成績優秀、風邪にもかからない健康体。だから怜沙に任せてもいいかな、と頼まれて引き取ったのだけれど。悲しい顔ひとつ見せなかった都季だったが、寂しい思いをしていたのかもしれない。それが、魔法という形で表に出てきたのだろうか。
 波打ち際で水を蹴る都季を眺めているうちに、太陽の残り光さえも消えて、あたりには藍色の影のような輪郭が浮かぶばかりになった。不規則に跳ねる水の音が、そこに都季がいると教えてくれる。
 ヒールで歩き回ったため、小指の付け根あたりとかかとの皮がめくれていた。爪先で丸くなったフットカバーをまるめてポケットにいれる。
 れいちゃーん、と砂浜で都季が大きく手を振っている。
 都季の靴の隣にヒールを揃え、砂浜に足を下ろす。まだあたたかい砂浜に、そうだ、想像しているよりも少しだけ硬かったんだ──、また余計なことを思い出してしまった。
 はやくはやく、と手を振る都季の足元に、彼女の足跡は残っていなかった。濡れた砂の上なら、やわらかさに足を取られることもない。
 都季は両手を広げると、マジックが披露される時の音を口ずさむ。
「これからねー、魔法を見せてあげます。れいちゃんにだけ、特別ですよー」
 身を翻した都季は、じゃぶじゃぶと海の中へ入っていく。スカートの裾が海水にひたったとき、ひゅ、と吸い込む息がかすれた。
「都季」
「なあにー」
「どんな魔法なの?」
 都季は海水を覗き込むと、両手のひらで静かにすくい上げた。指の隙間から滴る海水は、まだ数えるほどの星しか見えないこの藍色の中で、きらめきながら波と合流していた。
 都季がふりかえる。
「見えた?」
「いや、なにも」
 もう一度海水をすくい上げた都季は、指の間から海水が零れ落ちるのを見届けると、見えた? と首を傾ける。
 先ほどと変わらない光景に、私も同じように首を傾ける。どこを、なにを、見ていてほしいのだろうか。
「もう一回」人差し指を立てて見せる。
「出血大大大サービスだからね」
 都季は口角を頬に食い込ませた。
 両手のひらでできるかぎり海水をすくった都季と、目が合う。大きな瞳の半分以上が瞼に隠されると、両手を夜空いっぱいに伸ばし上げた。すくいあげた海水が辺りに飛び散る。その水滴ひとつひとつが、明かりのない藍色の中で、宝石のようにきらびやかな光を明滅させていた。
 光に包まれた都季の姿が一瞬浮かび上がるが、瞬きのうちにまたぼんやりとした影に戻ってしまう。
 宙を舞った宝石は、海水に落ちるときらめきを失い、海水にとけて消えてしまった。
 なにも言えない私に、都季はまた両手を広げた。
「じゃじゃーん、どう?」
おしまい! なにかしらのかたちで出す予定です。クッキー美味しかったです。
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20260712
初公開日: 2026年07月12日
最終更新日: 2026年07月12日
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