「夜中の二時ごろになると化けモンになっちまう。そうなったらもう理性なんて無いも同然だ。誰彼構わず血を吸っちまう。もうすぐ家族の血を吸っちまうかと思って夜に外に出るようになったら、捕まっちまった、ってわけだ」
男の声は嘘をついているようには聞えなかった。淡々と語られるそれは質感を持って水木の耳に届いた。
「今日だってこうやって捕まってるうちにいつ、あの化けモンになるかわかったもんじゃない」
目隠しされ、手足を縛られている状態では時間なんてわかりようがない。どうせこの転がされている部屋に時計などといった洒落たものもないのだろう。
「ってことは、早く抜け出す必要ありって事か」
ふっと水木が小さなため息を吐く。なにも水木は何の手立てもなく捕まったわけではないのだ。Mの高額取引をしているらしいと噂される組の目処も立っている。その組が持っているいくつかの屋敷の大まかな作りや場所なら頭に入っていた。
それに、スーツの裾や内ポケットに小振りの刃物を忍ばせてきた。どうやらそれらは全て回収されてしまっているようだったが、運良く、マッチ箱とタバコはたいした武器にならないと見逃されたようである。ジャケットの腰部分の飾りポケットに入れていたのが功を奏した。どうにか身体をよじればマッチ箱を取り出すことが出来る。そのまま後ろ手にマッチを擦って麻縄を焼く。多少は手首の皮膚を焼いたがそんなことに気を使っている暇はない。麻縄と皮膚が焼ける臭いが周囲に広がった。
「何やってるんだ、あんた?」
つい今し方まで会話していた男が不安げな声を上げる。それに水木は淡々と応えた。
「逃げるために縄を焼いてんだ」
両手が自由になった水木はまずは自身の目隠しを少しだけずらした。薄暗い牢の中に人が何人か転がされている。近くに転がっているあばた顔の男が今まで水木と話していた男だろうとすぐわかった。予想以上に近くに居る。その男に、水木は上体を起こして声をかける。
「あんたの縄も焼いてやろうか?」
「いや、いい。縄が外れたからって逃げられるとは思わない・・・・・・」
「そうかい?」
ガタガタと小さく震える男の様子を見下ろしながら、水木はぷかりとタバコを吹かす。牢の外には不用心なことに一人も見張りがいないようだった。
風にタバコの煙がなびく。風の来る方に視線をやれば、上に繋がる階段が見えた。地下牢がありそうな立地の建物に思い当たる場所があった。確かに水木が夜中に一人でぶらついていた辺りに近い。
「この場所の検討がついたぞ?」
「どういうことだ?」
「元々俺はMの転売場所や不審死について調べていたんだ。怪しいのは住吉会だ。裏家業にあそこが噛んでいない訳がない」
「住吉会・・・・・・」
男は益々、ガタガタと震え始めた。住吉会と言えば関東でも、いや、日本でも3本の指に入る有名な極道だ。逆に言えば、そこに義理を通さずに怪しげな人身売買やMの高額転売などできた物では無いだろう。1本目のタバコを床に押しつけ火を消しながら、水木は静かに呟いた。
「普通に逃げたらただ捕まるだけだ。悪けりゃ殺される」
「どうすれば・・・・・・」
「そうさねぇ・・・・・・」
タバコを吹かしながら水木は思案した。いくら水木が軍隊上がりであったといえども、本業の極道相手に一人で逃げおおせる気がしなかった。牢に転がされている数人を味方に付けたとしてもきっと同じ事だろう。
しかし、この男が言っていたようにMを飲んだ者達が夜中になると不死身の化け物になるというなら話は別な気がしていた。ピストルや刃物を持った極道といえども、きっと、化け物には敵わない。その混乱に乗じて水木一人が逃げおおせる事は簡単にできそうな気がしていた。
だが、それでいいのだろうか? 元々の目的である帝国血液銀行と不審死の関連がないことの証明をするにはあまりにも物的証拠が少なすぎる。何より、ここまで会話を重ねたこのあばた顔の男を見捨てて一人で逃げ延びるほど水木は卑怯な男でもなかった。
「あんた、自分が化け物になると言っていたよな?」
「あぁ」
「でもそれは朝になれば戻るんだろう?」
「そうだが・・・・・・」
あばた顔の男が言葉を濁す。きっと彼は自身が化け物になってしまうことを恥じているのだろう。しかし、今の状況であれば、不死身の化け物になれること自体はこちらに優位な事のように水木には思えていた。
「なら、ここを上手く抜け出せたら明日の朝、帝国血液銀行本社に来てくれ。今までのこと、全て警察にでも話して保護して貰うってのはどうだ?」
「抜け出すことなんて・・・・・・」
男と水木の会話に周囲でじっと何もせずに寝転んでいた者達までもがざわつき始める。ざっと数えて、あばた顔の男含めて4名と水木。たった4名と言えども、彼らは四畳半サイズの顔だけの化け物になるというのだ。しかも、その誰もが不死身ならば場が混乱する様子が水木には易々と想像できていた。
「できるさ。あんたら、不死身の化け物になれるんだろ? さすがのヤクザどもも化け物には勝てんだろ?」
はは、と軽快に笑う水木の声に、それを否定するような男の声が重なる。
「でも、別に俺は好きなときに化けモンになれるわけでも戻れるわけでもないんだぞ?」
「だから、オークションをできる限り延ばすんだ」
「延ばす?」
2本目のタバコも吸い終わった水木は、腰を据えて男達を説得しようとした。だが、タイミングの悪いことに階段の方から人の足音が聞えてくる。
「だいぶMの方の取引が長引いたが、大丈夫か?」
「大丈夫だろ? 今日はたった五人しか捕まらなかったんだ」
そして、すぐに数人のガラの悪い男達がそんなことを話しながら牢の前に現れたのである。水木は慌てて元のように後ろ手に縛られているままのふりをした。
そうしていると、次々と奴らは捕らわれている者達の脚の縄を切り始めた。次々と縛られた者達を立ち上がらせ、それからその者達を数珠つなぎに縄で縛り直していた。
「立て。あんたらを買いたいって客がお待ちかねだ」
そのまま目隠しをされた者達はあちこちに身体をぶつけながら階段を上らされ、長く曲がりくねった廊下を歩かされる。水木も前を行く彼らと同様に周りが見えていないかのように振る舞ったが、実際のところ、記憶にある住吉会所蔵の屋敷の作りと歩かされている経路とを比較して自身の推測が間違っていないようであることを確信していた。
通されたのは建物中央にある大きな吹き抜けのある広間だ。ずらりと並ぶ円卓の周りにはいかにも金持ちそうな連中が思い思いに、しかし、誰もがいかにも偉そうに座っていた。どこかで嗅いだことのあるような葉巻の臭いがあちこちからするようだった。
「まずは、一人目の男。M服用から二ヶ月。工場勤務」
数珠つなぎされた者の先頭の男が一歩前に引き立てられる。今までの勤務実績やら何やらが読み上げられると、どうやらその男の競りが100万から始まったようであった。この当時、サラリーマンの月給が2万程度であったことを考えれば100万と言えば大金であったのかもしれないが、しかし、人を一人売り買いするにはさすがにあまりにも安い様に思えた。
競りは順調に進む。競り落とされた人間から数珠つなぎになっていた縄を切られ、競り落とした者の元に連れて行かれる様であった。
そうやって、あばた顔の男もあっさりと230万で競り落とされていた。
「最後の一人。帝国血液銀行勤務、あの、哭倉村からの唯一の生還者」
ざわりと場がざわめく。
「哭倉村と言えば、Mの製造販売元であった龍賀製薬のお膝元。一部の噂では哭倉村でMの製造が行われていたとのこと」
説明する者の横から「そいつはMを飲んでいるのか?」という質問が飛び交う。どの者達も皆、飲まず食わずで働き続けられる健康な企業戦士が欲しいのだろう。
「お静かに。まずは、80万から」
水木がMを飲んでいるかどうかに関してはきっと、誰も明言できない。ただ、確かなことは水木は夜な夜な化け物にならずにすんでいるという事だ。
なかなか値が上がらない競りに売り手がじれ始めたところで水木が「俺は」とぽつりと切り出す。
「Mの製造方法を知っている」
ハッキリと言い切った水木の視界の隅。天井の辺りに何か白い布のようなものがチラリと映ったが、そんな些細なことにその時の水木は構っては居られなかった。
「龍賀製薬の社長、克典氏とは懇意にして貰っていた仲だ。おかげで、あの村で俺はMの製造課程を見せていただく機会があった」
競りを煽るように水木が宣言すれば、100万、200万と価格は徐々に跳ね上がっていく。
「Mが作れればこんなところで闇取引する必要もなくなる」
そうだろう! と更に場を煽る水木に、売り手側からうわずった声が上がった。
「馬鹿なこと言うな。お前、記憶を無くしてるんだろう?」
「悪いが記憶力には自信がある。忘れたふりをしていたのはこういう場にとっ捕まらない様に警戒していたのさ」
水木と売り手が言い争っている間にも、250万、300万と水木の値段が上がっていく。
「捕まっちまったらもう記憶が無いふりしててもしょうがねぇ! せいぜい俺に高い値付けろや!」
大見得を切った水木の頭に何かがぶつかる。そのあまりの痛さに思わず水木はとっさに片手を頭にやってしまっていた。一瞬、何かがその水木の手首に触れる。そこには確か、ゲゲ郎から貰った組紐があったはずだった。
あ、だとか、わ、という声があちこちから上がる。それを水木は自分の腕の縄がほどけていることがばれてしまったせいかと錯覚した。
「相変わらず無茶をするやつじゃ」
しかし、その声をすぐ真後ろから聴いたとき。水木はパッとその声の方を振り向いていた。
水木の真後ろに、片目を隠した着流しの男、ゲゲ郎がのっそりと立っていた。
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ゲ謎7
初公開日: 2023年12月12日
最終更新日: 2023年12月12日
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