帝国血液銀行は銀行ではない。いわゆる、血液バンクという物である。輸血用血液を一般から買い取り、保存・供給する機関である。つまり、血液を提供してくれた一般人に代償として金銭を与え、集めた血液を病院や製薬会社に販売する機関であった。
水木はそこの職員の一人である。そのため、そのニュースを聞いたとき、彼は出世の匂いを嗅ぎつけた。
『突然の不審死。血液を抜かれ20代男性死亡か? 連続不審死四件目』
大手新聞の見出しを彩ったその記事は、瞬く間に世間に恐怖と帝国血液銀行への不信感を植え付けた。つまり、まことしやかな噂として、帝国血液銀行職員の一人もしくは複数名が自身の業績改善のために道行く一般人を捕まえて強制的に血液を奪い取り、殺害し、その死骸を町中にうち捨てたのではないかという詮索が社会に蔓延したのだ。
もちろん、そんなことをしている職員はいるはずがない。いくら一般人から血液を入手しているといえども、それは全て帝国血液銀行専用の献血所から入手した物しか保存・供給用にすることはない。そうしなければ衛生的な血液を大量に集めることが難しいからだ。だから、いくら上級職員といえども一升瓶か何かに「血液持ってきました~」とやるような者を信用する者は居ないし、そんな血液に対して会社は一銭も払おうとしないことだろう。
だがそんなことは社会の人々にはわからない。長い戦争で科学とは何か、文明とはどういった物だったかを忘れかけている人々はおどろおどろしい噂に耳を傾け、子供のように素直に信じた。
「このままでは会社の信用に関わる」
帝国血液銀行社長は、社長室で一人そう頭を抱えていた。その、社長室に分け入ってきたのが水木その人であった。本来ならば一介の平社員である水木がそんなところに入ってくること自体が無礼なことであるが、彼は哭倉村から唯一の生還者として会社に戻ってきてからというもの、周囲からどこか一目置かれているようであった。いや、もしかしたらそれは尊敬の念ではなく、異形のものを見るかのような好奇の目であったのかもしれなかったが。
「社長、この事件、私に調べさせてはくれないでしょうか?」
「水木くんに?」
「私の担当の最大手だった龍賀製薬が廃業してしまった今、社内で最も手が空いているのが残念ながら私かと・・・・・・」
「体調は問題ないのか?」
「はい」
ハッキリと言い切った水木の青に近い瞳がキラリと光る。哭倉村からの生還後しばらくは真っ白だった毛髪ももうすっかり黒に戻り、村での数日の記憶は戻らないもののその他の記憶には全く欠損もない。働きぶりも今まで通りだったにもかかわらず、新しい担当製薬会社が未定でやや暇を持て余していたところであった。
「生きている人間から血液を抜いて殺人までしてしまうというのは、売血以外の目的で行われているとは考えにくいです。ですが現在、我が社への不審な売血はありません」
「そうだな」
社長の静かな相づちを聞きながら、水木はまっすぐに伸ばした背筋のまま続けた。全て、今朝の朝刊の記事を見た瞬間から直接社長に談判しようと考えていた内容である。
「考えられるのは競合他社への裏ルート。それらががないか? 私に是非、調べさせてください」
現在、輸血事業最大手は帝国血液銀行である。しかし、新規参入の小さな会社も現れている昨今、裏取引に手を染めてでものし上がろうという会社があってもおかしくはなかった。もちろん、裏ルートとなれば、ヤクザやら極道関連の血の気の多い者達との関わりもあるだろう。それらに首を突っ込めば、一介のサラリーマンでしかない水木が危ない目に遭わないとは言い切れなかった。
「危ない橋を渡ることになるぞ?」
「望むところです。我が社の潔白を証明するためなら」
口ではそう言って柔和な笑みをたたえる水木であったが、それはあくまで表面上の理由でしかない。彼には確固とした出世欲が胸の中に渦巻いていたのだ。
「そこまで言うのなら、君に頼もう。水木くん。金銭面で手伝えることがあればそちらも考えよう」
「ありがとうございます」
微笑む水木の青い瞳は、メラメラと何かに燃えているのがきっと、その時、社長にもよく見えていたことだったろう。
手始めに水木が調べたのは今までの不審死についてであった。
当時は、まだ昭和の中期。戦後の傷も癒えきっていない都市には、金に飢えて情報を簡単に売る者達は数多くいた。それは、警察でも、記者でも。もちろんその中には、面白半分で水木に協力してくれる者も居た。
まず、真っ先に水木が注目したのは、不審死をした者達に暴行された跡などが全く無いということであった。強いて言うならば、手足をキツく何かで縛られた跡のようなものがあるものの、激しく抵抗した跡も、抵抗を抑え込むために殴られるなどした跡も、もちろん、女性に関しては性的暴行の跡もないとのことであった。だからと言って、睡眠薬などで眠らされた痕跡などもない。まるで、死にたかったかのような、もしくは、血液を採られたかったかのような状態に見えるのだと実際の遺体を見た者達は話していた。
次に水木が不思議に感じた点は、被害者の年齢や性別、容姿・体型などに全く一貫性がないのである。抵抗されるのを恐れるのならば、ひ弱な者ばかり狙うのがセオリーである。もしくは、生きの良い血液を求めるのであれば健康そうな者を狙うであろう。しかし、被害者はそれぞれ、ひ弱な者もおれば、健康そうな者もおり、また、男女や年齢もバラバラであったのである。
唯一の共通点は、死亡推定時刻が午前二時前後だろうという事だけ。その割に、被害者の発見された場所もまちまち。どこか一定の場所から同程度の距離という事も無く、23区内のあちこちで被害が出ていた。そう。水木が不審死のことを調べ進めている数ヶ月の間にも次々と不審死は増え続け、今では毎週都内のどこかで不審死遺体が見つかる有様であった。それが、全て、深夜の二時前後に起きている。
「草木も眠る、丑三つ時・・・・・・ってか?」
今まで集めた資料を見ながら、水木はタバコをくわえながら独りごちた。被害者の量はいつの間にか3桁に届きそうなほどになっていた。被害者が増えれば増えるほど何か手がかりが掴めるかと思えば、そんなことも無い。明確な目撃者も現れず、街の人々は半狂乱になりかかっていた。24時間せわしなく動いていた東京の街が、ぽっかりと午前二時頃だけひとけが無くなり、益々目撃者の出現に期待が持てなくなってきていた。
何にせよ、このままでは闇ルートの存在も犯人像も何も掴めそうにない。クッと苦々しい息を漏らしながら頭をかきまぜる。
「なんかねぇのか?」
被害者家族や現場周辺への聞き込みも行った。被害者には金に困っていた人間はほぼなく、ある者は正社員雇用で残業までするような企業戦士としてそれなりに稼いでおり、ある者は夜に出歩く必要のある水商売の女性でこちらもそれなりに人気のある嬢であったりするらしかった。身寄りのある被害者も身寄りのない被害者もいたことも、一貫性がない。最新の被害者は若い妻子を持つ男であったことも考えると、思想・心理面での共通点も考えにくかった。
聞き取りで書き取ったメモをペラペラとめくる。書いては消された情報の数々。この数ヶ月で調べた結果、関連性がなさそうな情報には二重線が引かれている。そのメモの中でも、いくつか残っている単語の一つが、血液製剤Mの高額転売、という噂であった。
Mといえば、哭倉村の廃村と共に製造中止となったと言われている。理由としては、製造方法が全く社内に知られてなかったことにより、製造をしていたらしい哭倉村と共に製造手段が消えて無くなったのだという。そのことにより、Mを必要とする人々は、既に販売されているMに対して高額な値段を支払ってまで手に入れようとしているのだという。水木にはそこまでしてMを欲しがる人々の心情が測りかねた。
「Mの転売、もしかして今回の不審死と関係あるんじゃないかな?」
あまり有力な情報を提供してくれなかった記者の一人はそうしたり顔で水木に囁いた。Mが血液製剤だから関連があるのでは? とその記者は話したが、どうも水木にはMの転売と不審死との関連性がピンとこなかった。
「蛇の道は蛇だろ? Mの転売だって正規ルートでは出来ないんだ。人を殺してまで集めた血液をMと一緒に売買している可能性はありそうだと僕の勘が言うんだよ」
調べてみて損はないと思うよ。
そのアドバイスは、なぜか水木のちぎれた方の耳に深く刻み込まれた気がしていた。