1夜の一幕
ごうんごうんとなる洗濯機、近所に24時間やっているコインランドリーがあってよかった。とはいえ、深夜といっても差し支えない時間、女がひとりいるのは些か不安が募る。かといって、洗濯物が溜まった今着る服がないのも困る。そうやって、重い腰を上げてランドリーバッグに詰めるだけ詰めて今に至る。人の出入りが少なそうなこじんまりとしたコインランドリー。入口に自動販売機と灰皿。洗いに来たのに煙草の匂いがつくのは嫌だな…… この洗濯が終わって、乾燥機をかけたら帰れる。量が多くて、終わるのは深夜2時を回る頃だろう。スマホの充電はもうない。このコインランドリーには雑誌などもない。この辺の治安を考えると、置いていても持っていかれるだけだろう。明日も早いのに、手持ち無沙汰にここで時間を浪費することしかできない。コンビニに行くにも中途半端な距離、現金は握りしめているお札一枚。あとで両替機にぶち込むから無駄に使って乾き切らなかったらしんどい。結局、この発展した現代でこうして、ごうんごうんなんて古い洗濯機の回る洗濯機に耳を傾けることしかできないのだ。どこか陰鬱な気持ちでぼーっとSNSにトリップしていたのが運の尽き。今のこの状況を楽しむように努めた方がいいだろう。部屋の隅点滅する蛍光灯、奥のスタッフ用であろう扉、入り口のガラスに映る陰鬱な顔。現代の喧騒、情報過多、常に流し込まれて生きている様な日々を送っているせいか、こんな静寂と孤独は、いっそのこと不気味にしか思えなくなっている節がある。風情があると言えば、聞こえはいいが。ごうんごうん、回っていた洗濯機の音が遅くなる。もうすぐ終わるのだろう。でもここから、洗濯機から乾燥機へただただ横移動、横流し、右から左。まだまだ、時間はかかる。
せっせと運んでは、服を抱えて運んだせいで、ほんのり湿って、気持ち悪い。考えればわかることすらわからないなんて、なんて馬鹿なんだろうとどんどんと頭が、澱んでいく。乾燥機へ入れ終わって、お金を入れようとした時に小銭を崩してないことに気づいた。両替機にお札を突っ込む。吸い込まれては、少し時間を空けて戻ってくる。もう一度、入れてみれば、返却レバーの下、赤いランプが点る。
【釣り銭切れランプ】
全部がうまくいかない。きっと今だけは、地球は回っていないし、きっと亀と像で支えられている。もしかしたら、海は両端から滝の様に落ちているかもしれない。あー……くだんない。外の自動販売機で崩すしかない。最初にチラッと見た時、ラインナップ微妙だったんだよな。今時、缶のトマトジュースなんて誰が買うんだろうか。リピータでもいないと自販機に置かないだろう。入り口に目を向けると、自動販売機の前、灰皿の置いてあった場所に、人が立っていた。人の足音に気づかないほどに意識が向いてなかった。ひとりだからといっても、危機感が薄すぎた。反省はよそに、少し観察しても、まだ吸い始めたばかりの様だった。
—こんな深夜に気まずい。それでも、早く帰りたい。自動ドアを通って、一声かける。
「すいません、自販機使わせてもらいます」
「嗚呼、すいません。どうぞ、退きますね」
眼帯をしてるお兄さん?は怖いが丁寧な人だった。会釈して、お札を突っ込んで、一番マシなホットコーヒーのボタンを押した。
ガコン、夜に響く落下音。気恥ずかしい。取り出し口から、缶を出そうと指先が触れた。つめたい。——”つめたい?”
そのまま、冷たい缶を取り出す。赤いパッケージの缶。これがまだ、アイスコーヒーならマシだったのに。
ため息をついて、呆然と立ち尽くす私に見かねたのか、丁度タバコを吸い終わったお兄さんが声をかけてきた。
「なんか、そんな立ち尽くす様なことが自販機であったんですか」
「ホットコーヒーがつめた〜いトマトジュースになって途方に暮れてましたね、あ、よかったら飲みます?お金いただけたらなお嬉しいんですけど」
我ながら初対面の相手にする話ではなさすぎる。きっと、モルモットほど私の頭は小さいのではないか不安が過ぎる。しょうもなさすぎるな。
「丁度小銭多くて困ってたんですよ、100円5枚とそのジュース代と合わせた500円分交換でどうですか」
「いいんですか?お兄さん怖い見た目して優しすぎませんか?こんな夜中にいる人間なんて大抵まともじゃない可能性高いですよ」
「まぁ、俺も貴女の言うまともじゃない寄りだから耳が痛いわ。そんじゃ、500円ね」
「本当に助かりました」
お礼を言って、ひらひら手を一度振って、お兄さんは月明かりの夜道に消えていった。最初は、本当に気まずさと危機感を感じていたが、思ったよりも夜にいる人は怖い人だけというわけではなさそうだ。まぁ、だとしても、たまたま優しい人だっただけなのだから、気は引き締めよう。交換してもらった100円を入れていく。あとここには40分。のんびり、まわる乾燥機を眺めて、深まる夜の静寂に身を投じていよう。帰り道は、あの明るい月の下と街灯の側、一番明るい道で帰ろう。心優しい夜の出来事、コインランドリーの思い出。
終
2夜の幕間
帰ってきたら自分の家の鍵を忘れたことに気づいた。施錠された職場に入る術はない。明日は休みだが、開けると言っていたからサッといってサッと帰って、惰眠を貪るしかない。自分のミスに言いようのない苛立ち。カラオケで一夜を明かすことを決めてから、コンビニに寄ってタバコを二箱、ライターを二つ、ガムを一つ。コンビニの入り口横、そこに置かれている灰皿で一服する。労働終わり、帰ることしか考えていなかったのに、このザマで酷く笑えてくる。それを押し殺すように煙を吸い込んでは、上書きしていく。昔はカッコつけてるから吸ってんだろうななんて穿った見方をしていたが、どうにもストレスの逃げ場だったのだとこの歳で気がついた。負荷を感じるたびに吸い込んでは、不安と共に気持ち程度に空に向かっていってる様な気休めのおまじない。戻ってくるには正気も我慢も何もかも足りていない様だった。灰皿に火を押し付けて、灰と共に灰皿の底へ落とした。
早足で、カラオケに向かって、受付を済ませて、部屋に飛び込む。硬いボックス型の椅子。安寧とは程遠いのかも知れない。夜に開いてるだけありがたいもんだと腹をくくる。ここまできて、どうせ家に帰っても惰眠を貪るだけなのだからと、アルコール飲み放題もポテト食べ放題もつけて、夜に許されるわけのない食事とも言えない組み合わせを楽しむことに振り切る。酒を飲んでも、油まみれのポテトを食べても、全て自己責任。大人というのは存外そういうものだ。タッチパネルから、注文をして曲を数曲入れては歌う。店員さんが届けてくれる時のカラオケの気まずさは幾つになっても変わらないことだけど。声も出した、腹も満たした、アルコールも満ちた。どこか空腹とも違う飢え。鞄を漁る。そこから出てくる、残り数本のタバコと無くさない様にまとめられているライター。それを持って、喫煙所への道を辿る。どっかに出かける時に、喫煙所を確認する様になったのは、生活の必需品になったなと自覚した行動のひとつだった。
扉をあけて、火をつけて吸い込む。動作ひとつ、もう、流れ作業。飢えを誤魔化すための。自分が、ダメな人間として真っ直ぐ生きている気がしている。ここから真っ当に軌道修正できるとも思っていないが。煙を吐き出しては、室内を巡って、換気扇に吸い込まれる様を眺める。
扉が開く音がした。視線を向ければ、眼帯をした男。思わず、声をかけてしまった。
「あれ、トマトジュースのお兄さん」
「え?どっかで会ったことある?」
お兄さんはどうやら覚えてないらしい。
「前にコインランドリーでトマトジュースと両替をした女覚えてませんか」
「ホットコーヒーがトマトジュースになってた」
「そうです、それです」
深夜にそんな出来事あったら流石に思い出したらしい。
「お兄さんの趣味は深夜徘徊とあですか」
不躾な質問を投げる。
「あー……日差しが苦手だから昼夜逆転が当たり前で」
「吸血鬼みたいな生活してるんですね……まぁ、最近春先でも日差しは強いですから、夜の方が安全ですね」
タバコの灰が落ちて、短くなる。二本目に火をつける。
「意外と昼夜逆転してもどうにかなるもんだから、困るとかもなく快適なもんだよ」
「いいですね、そう言えば、お兄さんカラオケとかくるんですね」
「嗚呼、俺の趣味じゃないよ、おんなじ趣味の人が、最近のカラオケではDVD鑑賞とかもできるからって」
「映画でも見てたんですか?」
「そんなとこ。見終わったら、その人の熱唱始まって逃げてきたとこ」
「あ〜……お疲れ様です。」
「そういうそっちは、なんで」
「ドジって職場に家の鍵忘れて、家に入れずじまいで今って感じですね」
「そっちもお疲れさん、鞄に鍵括っといたほうがいいよ」
「次からそうします……」
真っ当なアドバイスをもらってしまった。流石に話しすぎたな、とそろそろお暇しようと一声をかけようと、お兄さんの方に向いた時だった。鼻の奥がツンとして、たらりと液体が伝う。
「あ」
なんて、鼻を触ってみると、手が赤く汚れた。
「あちゃ〜ちょっとまって」
静止をかけられ、止まっていると、影が掛かった。なんだろうと顔を上げれば、ベロリと舐められた。唖然としてると、ハンカチで鼻を抑えられた。
「久しぶりに血舐めたな……」そんな呟きと
「とりあえずそれで抑えてて、ちりがみは持ってる?」
首を振る。
「俺とってくるから待ってて」
そう言って、ひとり喫煙所に取り残され、ぽつんととりあえず、鼻を抑えて下を向く。
また扉の開く音。
「具合悪くなった?大丈夫?とりあえず、これ貰いもんだけど使って」
差し出されたポケットティッシュは広告の入ったテッシュ配りでよくみるやつがみっつ。
受け取って、鼻に詰める。
「あー助かりました。酒飲みすぎて結構良くなったんですかねぇ」
「具合は?下向いてたから、気持ち悪くなったのかと」
「あれは、下向きながら鼻を抑えると止まりやすいっていう」
「上向かなくなったんだ」
「上向くの良くないって教わりましたね」
「今はそうなんだ」
「はい、というか本当に何から何まですいません」
「こっちこそ、鼻血ごめんね」
「いえ、動揺はしましたけど、ティッシュももらったので…ハンカチはどこかでまた会えたらお返しします」
「楽しみにしとく、じゃあね」
そう言って、喫煙所から出ていった。そう言えば、鼻に詰めた不細工な格好で話してたことに気がついたのは、夜が明けて、鍵を取りに職場に着いて、指摘されてからだった。
終
3
あれから、ハンカチを洗ってみたが、血がなかなか落ちなかった。
お詫びとして、デパートに行って、少し高いハンカチを買った。
それから、ほんの少し遅い時間をあの人を探す様に散歩する様になった。
意外と、出くわすことがなく、このまま会えなんじゃないかと思っていた矢先、たまたま公園のベンチに座るあの人を見かけた。ただ、どことなく落ち着きがなく、何度もスマホの画面を見ていて、ああ、誰かと待ち合わせなのだと思った。冷水を浴びせられた様だった。
彼の邪魔をするのは良くないと思って、公園を後にした。
それ以降、彼を見かけることはなかった。公園には楽しそうに犬と遊ぶ男の人がよくいる様になった。それから、足を運ぶのをやめた。買ったハンカチは自分用になった。あの日きっとうまくいって、彼女さんと引っ越したのかな。そんな想像を勝手にして、胸が痛む。今日はちょうど憎らしいほど明るい、あの人と出会った日の様な綺麗で明るい月が寂しい私の部屋を照らしていた。
終演のブザーは永遠に届かない。
終