連日残業に残業が続いた水木からはさすがに異臭がしてくる。
「営業職としてそれはどうなんじゃ? 風呂に行くぞ⁉ 風呂⁉」
そうなってくると決まってゲゲ朗が登場する。この男。どうやら鬼太郎の妖力を分けて貰うことで数時間限定で元の姿に戻ることが出来るらしいのである。サッサと銭湯用の桶や石けんを引っ張り出したゲゲ朗は、渋る水木とはしゃぐ鬼太郎を連れて最寄りの銭湯に向かった。
「まだそんなに臭わないから大丈夫だ」
「ダメじゃダメじゃ。臭うてたまらん」
「ちゃまらん!」
「ほれ、鬼太郎もそう言うておるではないか」
「ないか!」
「鬼太郎のそれはお前の真似してるだけだろう?」
「だろう?」
「ほら」
風呂桶の中に入れた石けんをカタカタ鳴らしながらよれたスーツの男と着流しの男が小さな子供を連れて歩く様は周りにはどう見えているのだろうか? 似ても似つかない水木とゲゲ朗だ。兄弟には見えないので義理の兄弟辺りと思われているのかもしれない。まさかゲゲ朗が幽霊族で普段はただの目玉に手足が生えている居候とは誰も思わないことだろう。
真っ暗な街の中、煌々と明かりが点くその大きな銭湯はこの辺りではかなり繁盛している方の湯だ。男湯の暖簾をバサリと翻し入っていった親子3人は、脱衣所で十人十色に過ごす老若男(女はさすがに居ない)を見るとも無しに眺めた。出入り口に近い棚が空いていそうであったので、そこにタオルと着てきた服をバサバサと置いていけば、ゲゲ朗と鬼太郎は「風呂じゃ風呂じゃ」「じゃ」と浴室に駆け込んでいく。どうやら風呂好きのゲゲ朗が風呂に入りたいがために水木を臭いと言っていちゃもんを付けたのかもしれなかった。大人二人分の湯銭を払った水木は、はぁと溜息をつきながらのんきな親子について浴室に向かった。
浴室のドアを開けると、むっと熱気が溢れてきた。湯気に曇る浴室の最奥には雄大な富士山が堂々と描かれている。その手前の最も大きい湯船にもう既に幽霊親子が浸かっていた。
「ちゃんと身体洗ってから入ったのか? お前ら?」
「わしらは水木とちごうて清い身体じゃからいいんじゃ」
「良くねぇだろ」
そう注意しながらも、外の寒さに身が縮まった水木も早く熱い湯に入りたかった。せめて、蛇口から出る湯を多めに使い、サッサと全身を洗う。
「兄ちゃん、兵隊上がりかい? すごい火傷だねぇ?」
水木の隣で頭を洗っていた男がふと顔を上げ、水木の右肩の大きな火傷を見て痛々しそうに眉をしかめた。
「もう痛くないんで」
「そうかい。にしても、良い身体してんなぁ」
ぺちぺちと勝手に背中を触ってくる男に少しだけ違和感を感じながら、水木が「はぁ」と相づちを打っていると、バッサリと湯から上がってきたゲゲ朗が水木の後ろに立った。
「わしも身体を洗うぞ。水木、そこをどけ」
「他のトコ行けよ」
「混んでおって空いてないではないか。どいて早く湯につかれ」
「勝手なやつだ・・・・・・」
やっぱり湯に入る前に身体を洗っていなかったのかとか、まだ頭を洗っていないのにとか、水木にはいろいろとゲゲ朗に対して文句があったが、全て飲み込んで一人湯に浸かる鬼太郎の元に向かった。いくら鬼太郎が人間の子供でないといえども、小さな子供を一人やっと足の付くような湯船に残すのは不安に思われた。
ガシガシと頭を洗うゲゲ朗を遠目に見ながら、鬼太郎のすぐ横の湯に全身を浸す。ざばっと大きく湯が溢れた。その波を面白がってキャッキャと鬼太郎が笑う。
「お前の親父さんはわがままで困るなぁ?」
「こまるなぁ?」
意味がわかって居なさそうな鬼太郎はこてんと首を横に倒した。さらさらの髪を見れば、きっと鬼太郎の髪も洗ってやっていないのだろう。
「ゲゲ朗。鬼太郎の髪、洗ってやらないのか?」
「温まってからで良いじゃろ? もう少ししたらこちらへ来い」
「適当なやつだなぁ・・・・・・」
そうぼやきつつも、水木はふぅっと長い溜息をついていた。熱い湯に全身を浸からせ、機嫌の良さそうな鬼太郎の様子を見ていたら、そのままぐったりと湯船にもたれて何もせずにいたい気持ちにもならなくはない。
「極楽、極楽・・・・・・」
風呂に入る度にゲゲ朗が呟くのを真似て水木が呟くと、近くに入っていた老年の男が水木と鬼太郎を物珍しそうに眺めていた。
「兄ちゃん、奥さんに子供の風呂頼まんで一緒に入ってやってんのかい?」
時代は昭和。子供の世話は女がするものと皆が決めつけていた時代である。何の悪気もなく老人は言ったのだろうが、鬼太郎に母がないことを思わせやしないかと水木は一瞬、はらはらとしてしまった。
「岩子は自由なおなごじゃ。時には一人で風呂も入りたろう」
ほれ、鬼太郎、と鬼太郎を抱き上げ、髪を洗うぞ、と引き上げていったのはまたもやゲゲ朗であった。鬼太郎は大人達が何の話をしているのか全くわかっていない様子で、それよりも髪を洗われる恐怖に怯えきっていた。
「ちゃんと目を閉じておれば髪などすぐ洗える。じっとしておれ」
言いつけ通りにぎゅっと両目をつぶった鬼太郎の頭にジャバジャバと湯をかけるゲゲ朗の姿は、とても良い父親に見えた。まだ結婚もしたことのない水木には解らない父性というものがゲゲ朗にも出てきたのかもしれない。首まで湯に浸かりながら水木がのんびりとそんなことを考えていれば、先程の老人はいつの間にか湯から出て行っていた。
もう一度、ゲゲ朗が鬼太郎を連れて湯船に戻ってくる。じゃばりと湯に浸かる親子を見ながら、今度は水木が湯から上がり、自身の髪を洗った。
「水木。風呂から出たら牛乳が飲みたいのぉ」
「お前、またか」
「毎回の楽しみじゃ」
「金食い虫が・・・・・・」
髪からぽたぽたと水滴を垂らしながら水木がふたたび湯に浸かる。文句を言いつつも、しかし、水木も湯上がりの冷たい牛乳は美味いとは思っているのだった。
とん、とゲゲ朗の肩が水木の肩に当たる。何かと思って水木が視線をゲゲ朗に向ければ、ゲゲ朗はタオルを頭に乗せてピープーと適当な口笛を吹いていた。それに合わせて鬼太郎がうーあーと歌のような物を歌う。それらの音が風呂場の壁に反響して大きく響いた。
「平和だなぁ・・・・・・」
ぽつりと呟いた水木の言葉も反響する。それは小学生ぐらいの子供が騒ぎながら湯船に入ってきたことですっかりかき消されてしまっていたが。
鬼太郎の頬が桜色に紅潮してきた頃、彼らは浴槽から出て行く。そうして、ゲゲ朗の希望通りに牛乳を二本買い、3人で分け合って飲んだ。温まりきった身体に冷たい牛乳は気持ちよく染みこんでいく。程良く汗が引いたところで着てきた服を着て、外に出ると、電灯の少ない東京の空にキラキラと星が浮かんでいるのがよく見えた。そういえば、ゲゲ朗と初めて酒を飲み交わした夜も星が綺麗な夜であったと水木は思い返す。
からん、ころん、とゲゲ朗の履く下駄が軽やかな足音を立てていた。
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良い風呂の日
初公開日: 2023年11月26日
最終更新日: 2023年11月26日
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父水で無意味に風呂に入る