墓場で赤ん坊を拾った。その頃からだろうか? おかしな夢を見るようになったのは。
水木はその夜も例の夢を見ていた。出てくるのは一人の着流しの男と、真っ赤な桜だ。風も無いのにさざめくその桜は、その色も相まって嫌に奇妙だ。
周囲はいつでも真っ暗で、前に行っても後ろに行ってももちろん横に行っても桜の木の下に戻ってきてしまう。そうして、着流しの男が言う。
「ちょっと話さんか?」
のんびりしたその話し方に、声に、水木は何か感情が揺さぶられるような感覚がある。だが、記憶をたどってもそんな片目だけしか見えない男の顔に見覚えが無い。
「お前は誰なんだ? なんで毎回、俺の夢に出てくる?」
「お? やっと話す気になったか?」
「俺の夢のはずなのになんで思い通りにならない。不愉快だ」
「自分の夢の方が思い通りにならないもんじゃよ」
水木がドスッと地面にあぐらをかくと、何やらスーツの胸ポケットに膨らみを感じた。見てみれば、愛用のタバコとマッチ箱。いつの間にこんな所に、と思うよりも先に水木は、タバコに火を点け、それをプカプカとふかしていた。
「わしにも一本くれ」
「話が先だ。お前は誰だ?」
「相変わらずケチじゃのう? わしは、お前の拾った赤ん坊の父親じゃ」
似とるじゃろ? とずいっと顔を近づけられて水木は思わず身を引いた。銜えタバコの火が間近にあることにも構わず目前に迫る男のきょろりとした片目は、確かに拾った、いや、墓場から這い出てきたあの奇妙な赤子にそっくりであった。
だから、この男に見覚えがあると思ったのか? 一瞬、水木はそう考えたが、なぜかその案にもしっくりこない。なにがどうしっくりこないかと考えても、頭の奥がずぅんと痛むばかりであった。
「じゃぁ何か? 赤ん坊を返せとでも言いに来たのか?」
「まさか」
苦笑するその男の目元に、なにか哀愁のような物を感じたのはどうしてだったのだろう? 真っ白な男の長い前髪がさらりと流れた。
「鬼太郎を、見捨てんでくれて。ありがとう」
「鬼太郎?」
「赤ん坊の名じゃよ。岩子が名付けた」
「いわこ?」
聞き慣れない名前を次々に出されて困惑する水木の銜えていたタバコが、みるみるうちに短くなっていく。それを男はうらやましげにじっと見ていた。
「タバコ……」
「あぁーあ! 解ったよ‼ そんなに吸いたきゃ吸いさしでも銜えてろ」
物欲しげに見つめられていた短くなったタバコを男に差し出す。そんな吸いさしでも構わないのか、男は嬉しそうにそれを受け取り、すーっと一息吸い、満足げに微笑んだ。
「懐かしいのぉ」
タバコの煙を見上げる男の視線を追ったところで、水木は目覚める。
彼の寝床のすぐ横に、大声で泣き叫ぶ赤子が一人。全くサイズの合わぬ大人用の着物を掛けられて仰向けのまま大粒の涙を流していた。
鬼太郎、と名付けたその子供はどうやら普通の子供よりも丈夫なように水木には思われてなら無かった。なにより、水木が鬼太郎を一人残して仕事に行こうと、彼はただ静かにすうすうと寝ているばかりで近所から文句も来ない。大声で泣いたのを見たのは、水木の記憶の限り、あの、謎の男と話す夢を見たときだけであった。
「お前はやっぱり、人の子じゃ無いのか?」
夢の中の男は一見、人間に見えた。しかし、片目が前髪に隠れて見えなかったこともあるし、水木の知らない何かを知っていそうな雰囲気を醸し出していた。何度も夢に出てきて水木が話しかけるのを待っていた様子も人ならざる物のように思えてならなかった。もし本当に、あの男が鬼太郎の父と言うのならば。墓場から這い出てきた事も、日中一人にしようがすくすくと成長している事も、納得がいくような気がした。
最近流行の「粉ミルク」というものを水木は鬼太郎に与えながら鬼太郎の顔を覗き込む。懸命に哺乳瓶からミルクを飲む様はいかにも普通の子供のようだ。しかし、子育てもましてや結婚さえもしたことの無い水木が考えても、日中8時間以上一人にして問題の無い赤子が人であるとは思えなかった。
「もしくは……」
あの夢の男、もしくは、水木が墓場に埋めた女が生きていたのか? そうして、時々、水木の不在時にこの赤子の世話でもしている? そこまで考えて水木は自身の馬鹿馬鹿しい考えに笑った。きょとん、と鬼太郎が水木を見上げる。
鬼太郎を身ごもっていた女は明らかに死んでいた。何より、その顔が四谷怪談のお岩さんかのように酷く腫れ、その身も痩せ細っていたのだから。初めはその姿の醜悪さに水木は逃げ出した。しかし、思いとどまったのだ。なぜかその長い黒髪を思い出し、良心の呵責が生まれた。前にもどこかで黒髪の哀れな女性を見た気がしていたから、そして、彼女に罪を償わなくてはならない気がしていたから。
引き返した水木は、その痩せ細った女の遺体を墓場に埋めた。近くにあった大きな岩をいくつか積んで墓石のように見立てて線香をやった。その時、ぼこり、とその盛り土の中から小さな手が這い出て、鬼太郎が出てきたのだ。
あの時の衝撃は何度思い出しても身の毛がよだつ。それなのに、なぜ水木はその赤ん坊、鬼太郎をこうやって育てているのか?
そうだ、あの時も。人影が見えたのだ。化け物と思った鬼太郎を、墓場の墓岩に打ち付けて殺そうと思ったとき。桜の下で佇む着流しの男のような人影を。そう、まさに、夢に出てきた鬼太郎の父と名乗った男の様な出で立ちの誰か。
「うぅ……」
そこまで考えると、水木は頭を抱えた。なぜか解らないが酷い頭痛がするのだ。片手で抱えていた鬼太郎を寝床に下ろし、寝間着に着替える。サッサと歯でも磨いて寝るのが得策のように思えた。
「だぁ……」
珍しく、鬼太郎が声を発する。そうして、その小さな腕を目一杯に水木に向かって伸ばす。何かを訴えるかのようなその様子に、思わず水木も手を伸ばし返していた。小さな掌が、水木の指を掴んだ。その瞬間、びりっと何かが水木の身体の中を駆け抜けていく。通り抜ける、というよりもそれは吸い取られる、といった感覚にどこか近い気がした。
「お前……」
パッと手を離した鬼太郎はしかし、まだ、水木を見ていた。そうして、夢の中の男とそっくりな笑みで小さく微笑んだ、様に水木には見えていた。
最初の異変は、タバコだった。
カートンで買っているそれが、毎月一箱ずつ程度、足りない。いや、最初のうちはあるのだ。しかし、月の中盤にさしかかると無くなっている。
「無意識のうちに吸ってるんだろ?」
職場の同僚にはそうやって笑われたが、水木には納得がいかなかった。裕福な家で育った人間ならともかく、水木がそんなとぼけたことをするとは到底思えない。
「泥棒でも入ってるか?」
最初に思ったのはそれだった。だが、他にもっと金目の物などあるだろうし、何より、家には鬼太郎が寝ている。泥棒が入ったら真っ先に殺されていても不思議ではないし、何より、家の中が荒らされた形跡が無い。試しにタバコをしまう場所を変えてみたが、それでも月の半ばになると一箱行方不明になっているのだ。
水木は腹を立てていた。なぜだか解らないが、タバコが無くなる。鬼太郎のおかげで高い粉ミルクを買っている身としては少しの無駄遣いも出来ない身であるのに。
なのでその日は、水木は仕事に行く振りをして、こっそりと日中に家に戻ってきたのである。
すると、確かに鬼太郎しかいないはずの家の中から人の歩く気配がする。やはり泥棒か‼ と意気込んだ水木がドアを開けると、そこに、あの、夢の中の男が立っていたのである。しかも、銜えタバコで。
「げげ」
「お前‼」
叫んで部屋に入ってきた水木の形相に、一瞬、男はひるんだようであったが、すぐに夢の中と同じようなひょうひょうとした様子でとん、と後ろに飛び退いた。
「とうとう見つかったか」
「返せ‼ 俺のタバコだ‼」
男からタバコを取り上げようと飛びかかる水木を、ひょい、ひょい、と避ける様は、まさに夢の中の再現のようだった。
「いいじゃろが! 一本くらい‼」
「よくねぇ! 返せ‼」
ドタドタと走り回る。といっても、そんなに広い家では無い。広くないのに、トントンと身軽に飛び退く男からタバコを奪い返すことが水木には出来ずに居た。
「ううぇぇえぇぇぇぇえぇん!!!!!!」
大きな泣き声に、二人の男達の動きがピタリと止まった。そうして、高々と泣き声を上げる赤子、鬼太郎の方にゆっくりと視線を向けていた。
「おぉ、おぉ。鬼太郎よ。泣くでない」
先に動き出したのは着流しの男。その長い腕で大事そうに鬼太郎を抱き上げると、よしよしとぐずる鬼太郎に頬ずりをしていた。
「おめぇがタバコ持って逃げ回るからだろうが」
文句を言う水木の声も知らず小さくなる。滅多に泣かない鬼太郎が泣いてしまったことにさすがの水木でも良心が痛んだのであろう。
「もう吸い終わる」
ぷかーっと最後の一口を吸い込むと、男は吸い殻をぽいと窓の外に投げ捨てた。それを水木は恨めしげにただ見ることしか出来ない。
「お前は、俺の夢に出てきた奴だな?」
「おぉ。覚えとったか?」
「覚えるも何も、俺の夢に勝手に出てきやがって」
さっきまでぐずっていた鬼太郎が、しかし、男の腕に抱かれあやされていると、なぜかキャッキャと楽しそうにしていた。珍しく男の方に鬼太郎が両手を伸ばすと、男はおかしな顔をして見せ、また鬼太郎のご機嫌を取っていた。
「俺の家に何の用だ?」
「父親が息子に会いに来て何が悪い」
「わざわざ日中に会いに来るなら、持って帰ってくれ。迷惑だ」
「そう言うな。わしにはこの子を育てられん理由があるんじゃ」
「どうせ金がないとかなんだろ? そんなん、どうにかして……」
水木がチッと舌打ちをしながら胸ポケットのタバコを引っ張り出す。そうして、その先にマッチで火を点けようと視線を外したそのたった数秒で。
つい今さっきまで目の前に居た男が煙のように消えていた。ただ、機嫌の良さそうな鬼太郎だけを畳の上に残して。
「どこ行きやがったあいつ‼」
だが、窓の外にもドアの外にもそれらしき人影は無い。ぽろり、と水木の銜えたタバコから灰が床に落ちていた。
「幽霊かなんかみてぇに消えやがった……」
呟いてから、水木は何かいやにその言葉がしっくりくるように思えてならなかった。
例の男の夢を見たのは、それから数日経ってからであった。
真っ赤な桜の下、しかし、その日は男は大きな酒樽を抱えていた。
「なんだそれは」
「タバコのお礼に」
良い酒じゃぞ、と杯を渡されたが、水木としては「どうせ夢だろ」という思いしか無かった。
「礼を言ってくれるなら起きてるときに酒でも持ってきてくれ」
「それはまだできんのぉ……」
「まだってどういうことだよ?」
「霊力が足りんのじゃ」
「れいりょくぅ?」
自分の夢にしてはおかしな単語が出てきすぎる。水木は、夢の中で自身の頬をつねってみた。全く痛くない。どう考えてもこれは、夢だ。
「鬼太郎は、やっぱり人の子じゃ無いのか?」
「……だとしたら、もう、育ててくれんかの?」
ちら、と横目で見られ、水木はぐうと息を詰まらせた。鬼太郎を拾ってからもうすぐ1年が経とうとしている。その間に情が移っていないとは言いがたかった。
「鬼太郎は、わしと岩子の子じゃ。訳あって、今では幽霊族の唯一の生き残り、というところじゃろ?」
「生き残り……ってことは、お前とその岩子さんはもう……」
男は、一人でくぴくぴと酒を飲んでいた。地面にあぐらをかくその脚は確かに人間の脚のようであったけれども、前回の部屋の中から一瞬で消えた事や、こうやって勝手に水木の夢に出てくることを考えれば、確かに男はこの世の者とは思いがたかった。
「岩子を、墓に埋めてくれて感謝しておる。それから、鬼太郎を育ててくれている事も」
微笑む男の髪の上に、はらはらと赤い桜の花弁が舞い散っていた。それはまるで血飛沫のよう。その光景に、水木はなぜか見覚えがあるように思えてならなかった。
「だから、俺の夢に出てくるのか?」
「そうじゃな・・・・・・そうでもあり、そうでもない・・・・・・といったところか・・・・・・」
また、桜の木がさざめいた。風も無いのに。真っ暗なそこに赤い花弁が光るようにして散っていく。
「辛気くさい話はなしじゃ。ほれ、水木。酒を飲め。美味いぞ」
パッと明るく笑う男を見ていると、なぜか水木は胸が潰されそうであった。それを少しでも誤魔化したくて、水木は男の差し出す杯を手に取り、ぐっと酒をあおる。かっと喉から胃にかけて熱くなり、そしてなぜか目頭が熱くなった。
「俺は、お前をなんと呼べば良いんだ?」
「わしのことを?」
「どうせまたこうやって俺の夢やら家やらに出てくるんだろう?」
「出ても構わんかの?」
「出るなっつっても出るんだろ? お前、そういう顔してる」
「そうじゃろか?」
男がペタペタと自身の顔を撫でさする。それから、杯に注いだ酒に自身の顔を映して「う~ん?」と首を捻っていた。
「何でも良いなら、俺はお前を『げげ朗』と呼ぶぞ」
家に男がいるのを見つけた瞬間、男が「げげ」と変な声を出していたのを思い出す。なぜ『朗』と付けたのかは水木にも解らない。しかし、なぜかその『げげ朗』という呼び名は水木の口に馴染むような気がした。
「好きに呼ぶと良い。わしも好きに呼ぶ」
乾杯、となぜか男、改め、げげ朗が杯を掲げる。そして、なぜか水木もそれにならってしまうのだ。
「まだもう少し、鬼太郎を頼むぞ、水木」
二杯目の美味い酒をぐいっとあおったところで、水木は目が覚めていた。外はまだ真っ暗で、糸のように細い月が闇夜に浮かんでいた。