天童覚は土日を利用して、生まれて初めて料理教室体験というところに行くことにしていた。これも高校卒業後の進路を見据えての事だ。進路として考えているいくつかの専門学校。それらは全て調理や製菓の学校だった。そして、そう言った所はこの時期、学校説明会を兼ねて製菓や調理の教室体験というのを実施するのだ。
東京までの片道切符をとりあえず買った。それから、最近はまっている「黒胡椒にんにく」という調味料。これを入れれば大抵の肉料理は美味くなる。それから、簡単な外泊セット。日帰りも考えたが、料理教室の終る時間が明確には解らなかったので東京のどこかで1泊する予定だ。
折角の上京。一人旅行。東京でのんびりと遊んでくるのも良いかもしれない。そんな期待もあって、帰りの新幹線のチケットをまだ取っていなかった。
冬の始まり。陽だまりの中、ゆるゆるとバスに揺られて仙台駅に向かう。学校の寮には外出届を出した。志望している専門学校の体験料理教室に行くことを伝えれば外泊許可も簡単に取れた。
バレーの試合以外での外泊はもしかしたら初めてかもしれない。
バレー部の対外試合も公式戦のための外泊もいつだって賑やかなものだ。大きなマイクロバス2台で出発すると、主に天童を中心に「暇だからなんかやろう」と提案し出す。許可が出ればカラオケなど派手なことも出来るが、大概は鷲匠に「うるさい」と一蹴されて行えないので、しりとりや伝言ゲームくらいが関の山だ。
「東京都」
「とまと」
「トッポギ」
「餃子」
「おい、天童。さっきからお前、食べ物ばっかじゃねぇ? 腹減ってんの?」
そう瀬見に指摘されたのはいつだっただろうか? 多分、最後の大会に向かうときのバスの中だった。天童の隣に座る牛島がそっと天童の横顔を見る。そう、その時も今日のような陽だまりの温かな日だった覚えが天童にはあった。
実は、もうその時には天童はバレーは高校で辞めると決めていたのだ。だから、夏休みから少しずつ製菓や調理系の専門学校の学校案内を調べ始めていたのだ。それで思わず、食べ物ばかり言っていたかもしれない。そんな些細なことに気付く瀬見の聡さに天童は心の中で「ちぇ」と小さく不満を漏らしていた。バレーを高校で辞めることは、まだ、誰にも話していない。そして、まだ、誰にも話したくない心境であった。だから、こんなところでバレてしまうのはあまりにも間抜けで嫌なのである。
「お腹はすいてないケド、東京遠征の時に泊まるホテル、ご飯美味しいから楽しみなンだ」
「それは解る」
「確かにあそこ、美味いよな」
「俺、あそこのふわふわスクランブルエッグ好き」
「あれ、すげぇふわふわだよな!」
天童が苦し紛れに言った言葉に、つまらなそうにしりとりをしていた面々が嬉しそうに話に飛びついてくる。運動部所属の高校生男子。やはり、食欲が旺盛であるのが一般的らしい。
「確かに、あそこの味噌汁はインスタントでない味がする」
今まで一言も発せずにじっと天童を見ていた牛島でさえもそう言って会話に参加してきた。
「そうそう! ちゃんとお味噌の味、するよネ?」
「実家では手作り味噌で味噌汁を作っていたのでその味に近い味がする」
「マジ? 若利くんち、味噌、手作りしてたの?」
これだけ便利な物が世に溢れている現代において、わざわざ味噌を手作りする家など少ないのだろう。その話の珍しさにいつの間にかその場はどうやって味噌を造るのか、味がどう違うのかという話題にすり替わっていた。
ガタン、とバスが大きく跳ねる。
ハッと気付くと、温かな陽だまりもなくなり、もうバスは仙台駅にほど近い場所まで来ていた。あと二つほどで降りなければならない。高校のある辺りとは全く違う景色。高いビルが多くなっていた。東京はもっと高いビルが密集しているけれど。そんなところに一人で行くと思うと、やはり少しだけ緊張した。
そんなに多くない荷物を再度確認する。片道しかまだ買っていない新幹線の切符も、すぐ出せるところにある。バスの中の人々がそわそわとしだした。停留所、あと一つだ。きっと、仙台駅前で降りる人間が多いのだろう。その証拠に、天童が降車ボタンを押す前にサッと誰かがボタンを押し、次、止まります、のアナウンスが早々に流れていた。
人の流れに乗って、バスを降りる。と、目の前になぜかさっきまで思い出していた牛島若利その人が普段着で立っていたのだ。
「若利くん?」
「天童」
「え? どしたの? 部活は?」
「3年はもう引退だ」
「ケド……」
卒業後もプロ入りを見据えてバレーを続けると言っていたような気がする牛島は、当然引退後もバレー部に顔を出して練習に参加しているものだと思っていた。確かに今日は休日で、学校はないにしても。
「俺も高校卒業後は都内の大学に行く予定だ。学校からはいつでも練習を見学に来て良いといわれているので、折角だから天童と東京に行けば良いと勧められた」
「誰に!?」
「瀬見が今日、お前が外泊届を出したと言っていたが、東京行きは今日ではないのか?」
「合ってるケド!」
「なら丁度良い。ビジネスホテルも取っておいた」
「え!?」
確かに天童は本日、東京のどこに泊まるか決めていなかった。一人であれば漫画喫茶に泊まっても良いと思っていたので気楽に考えていたが、牛島がそんな準備万端に天童を待ち構えているとは。
「細かいことは新幹線の中で話そう。時間がギリギリだ」
「確かに!」
片道しか買っていない新幹線の発車時刻が近付いている。突然の牛島の登場で時間を忘れてしまいそうになっていたがのんびりしている時間など無さそうだった。新幹線口まで小走りで向かう。
新幹線の中で話すと言っているのだから、きっと、牛島は東京までついてくるつもりだ。本気で。いくらマブダチだってやることが突飛すぎるだろ、と考えた天童の勘は大方当たっていた。
新幹線の中、牛島が天童を追いかけて仙台駅、ひいては東京まで行く事に決めた経緯、心情を話された天童は、気付くことになる。牛島が天童に対して「マブダチ」以上の好意を持っているらしいことに。
東京からの帰りの新幹線では、彼らは「マブダチ」だけで無く「恋人」という肩書きも付けて気恥ずかしげに隣に並んで居る二人が見られたとか見られなかったとか?