自分の恋人に、翼が生えたのだという。
天使のそれではなく、しいて言うのなら、恐竜のようなそれが。
『いまにしてぃっくこーど』
怪獣映画に出てくるようなそれが、何でもない、症状の一つなのだと聞いた時には、それを診断した人は治療を速めるために|自分の世界に戻っていて、詳しい話は誰にも聞けなかった。
ただ、一応話を聞いたところによると、何もしなくても2~3週間で元には戻るらしいということと、それでも進行しないわけではないので対応が必要ということ。
それから、|成って行く動物の特性が出てくるらしいので、対処が必要だということ。
そうなると…つまり、どういうことなのだろう。
慌てて駆け込んだ部屋の中は、適度に冷房が効いていた。
◇
「結論から言うと、つまりドラゴンだね。」
「ドラゴン」
「イエス、ドラゴン、厳密には|白竜です。火山、溶岩、自然の畏怖の側面が強いドラゴンです。
恐らく|イギリス《あっち》の方面から流れてきたんでしょうが、アングロサクソンでもないのになぜ白い竜なのかはちょっとよくわからな…ああ、いえこれはどうでもいいことでした。
とにかくそういうわけで、ドラゴンです。
ということで、部屋はできれば冷房をキかせてください。今日の気温は地獄級なので。お湯に入るときは重々気を付けて。あと多分大丈夫ですが、すぐに火を消せるように準備を。
それから―――――――出来れば、あなたの愛おしい人をよんできてください。
出来れば、性欲とかの意味合いの。」
◇
「―――と言って、丸焦げになって出ていった。」
「まって、まさか吐いたの?炎?」
「意外といけるもんだね、風邪程度に喉は痛いけど」
「ウワーーーッとりあえず水!」
ということで。
「申し訳ないけど、傍にいてほしい。」
「………まあ、それは、良いよ、むしろ望むところだけどさ…。」
むしろ何も言われなくとも乗り込む所存ではあったが。
というと、さすがに愛が重すぎるだろうか。
気のせいか高い体温にしかし自分が追い付いている。
その事実に気恥ずかしさを通り越したものを想いながら、しかしその体温にそっとすり寄った。
暖かいとは言えない気温だがしかしそれでも、不自然なほどに引っ付いている体温だ。
燃えるような体温。
どことなく尖った瞳孔。
何よりも、ところどころに入った白い鱗に、背中を割り開くように生えた、骨のような翼。
おぞましさより畏怖を、畏怖より先に美しさを感じる。
そんな、一種なまめかしく一周回って全裸よりも観ていられない艶姿に、くらりとめまいを感じた。
因みに羽のせいで洋服を着づらいのか、今の彼は上半身裸に何か羽織っているだけの姿である。少なくとも上半身はそれだけだった。下半身は怖すぎて観れていない、主にエッチな意味で。
「ねえ、その服…服?」
「ああ…羽織だよ。これしか着れなかった…ってわけでもないんだけどね。
どうにも、おかしなものが生えているからかな。普通の服だと、ぞわぞわして…ね。」
そう言いながらももたれかかってくる体重を、いつもならうれしいと思うのに。
見るからに上質な刺繍のほどこされたそれは、おそらくこの家の中でも屈指の逸品。
それを、そういう使い方をするものでもないだろうに、何の惜しげもなく翼に、体に、その身を隠すようにかけられていて。
それを、なんというべきかはわからない。
わからないが、それでも、それを愛おしいと思った。
ぐっときて、思わず抱きしめそうになるのを、必死で抑えた。
「あっ、の、さむ、くない?愁君。リモコン、23度、だったけど」
「ん…大丈夫。むしろ熱いくらいだよ。正直脱ぎたいくらいだ…」
「えっだめ、それは本当にダメだよ!?!?!」
「わかってる。君の前でなければそうしたってだけの話さ。」
「それはもっとまずくない…?」
「ふふふ。」
くすくすと笑う彼の顔は、どことなく困っているような、それでいておかしいと上品に笑うような。
いつもの世界で一番愛おしい笑顔。比喩がおかしいのは100も承知だが、まるでべっこう飴のような。
――その愛おしい笑顔を、今日はなぜか、見られない。
要所要所は変わらない。むしろこんな異常にさらされているというのに、彼はいつもと変わらない。否、変わらないように見える。
だが。
そう、だが。
「あの、愁さん。」
「なに?」
「…つの、当たってます。」
「………こういう時は”あててんのよ”っていうんだったっけ…?」
「どこから勉強したのそんなこと」
すりすりと、背中に固い感触。
次いで柔らかい感覚。
次いで、そっと、重みを感じる。
そう。現在進行形で自分は背中にほおずりされているのだった。
―――なんで?
◇
冒頭の申し出に合致したということからもわかる通り、遼平と愁は現在交際中である。それも友人という意味ではなく、恋人という意味で。
昼下がりの穏やかにすぎゆく微風の日々はもちろん、月下の甘くとろけるような逢瀬さえ幾度も重ねて、もうそろそろお互いのほくろの数さえ知りつくしそうになっている程度には関係性を重ねている。
もうそろそろ両親に相談するかとか、お見合いの話きたらどうしようとか、最近姉従者妹の目線が|生ぬるい《優しい》目になってきてどうしようとか、目下くだらなくもささやかで、そして無視できない問題は山ほどあるが、それでも、その問題を解決する道行きですら、この人となら結婚式のロード顔負けと言えるほどには惚れこんでいる。
だが、だからと言って、こういう道行きをはずれた、つまり外法な、非常識な、無秩序な困難にはほいほい対応できるわけではなくて―――その対応が、つまり当の本人が、妙に乗り気なのも加えてなおさら、遼平の頭は混迷を極めていた。
―――端的にいうとつまりえっちだ。えっちすぎる。
異形の姿になったというのに生理的嫌悪を抱くどころかむしろ艶やかでなまめかしくてどうしようもないくらい生唾を飲み込んでしまうというか羽織の下の裸体ですらドキっどころではないというかむしろ勃起というかというか待ってくださいああああああ凄いいいにおいするなんで?!!どうして?!あお香かそりゃそうかその着物凄いいいものだもんねお香の一つや二つ焚き込んであるよねそうだよねどそうだけどちょっと待って御願いああああああ固いのに筋肉しっかりでふにふにしてておれ知ってる腰を挟むみたいなこれはいつも強引につかむとちょっとうれしそうにする太ももでうおわあああああああああああ
背中越しに感じる、甘い吐息。
布越しからもわかる、熱い体温。
ほんの少し違う|骨や鱗の感触ははっきり言って|そそる理由でしかなくて。
何よりも、もたれかかってくる体重や、甘えるように添えられる手やの肉の感触。
背中越しにでもわかる、しつこくない程度の香の香りと交じって、普段より強く薫る彼のにおい。
そしてなぜか先ほどからひっきりなしになっている布ずれの音、一つ一つにすら神経が煮えたって、もう、もう。
たまらない。
部屋がいつもと違うのも精神を昂らせた。
いつも開いている遮光カーテンは締まりきっていて、隙間から強い日光を漏れ出させるだけになっているし、窓は言うまでもない。
いつもならば遠くで鳴り響いているはずの人々の生活音も、朗らかな会話も、まるで誰もいないかのように静まり返っている。
無理もないか。細かいことを知っているのは数少ないが、主が重い症状だと聞いていれば、それはそうもなる。
だが、その静けさが。
まるで、人々が寝静まった、あの夜を想起させるようで。
『ぁ………りょうへ、くん』
『うん、大丈夫だよ、ここだよ。』
『…ね、もっと。』
『…ぅん、わかってる。大丈夫。…ねぇ、もう少しだけ、良い?』
『…ン…♡ふ、あ”っ、ああ”っ…♡』
自分の頭が爆発するのを感じた。
首を振り、必死に思考を戒める。
ああ、なんてことだろう。俺の大事な恋人は、こんなに大変なことになっているのに。
一寸楽しんでるっぽいけど。なんか乗り気だけど。それはそれとして。
ええい収まれありとあらゆる思春期男子的部位!特に下半身!
と思考回路をなんとか繋ぎ直そうと四苦八苦していると。
「…ね、遼平くん」
「はい愁君」
「…こっち、向いてくれないかい?」
「ミ゜」
「どういう発音…?」
爆弾が投下された。
必死に冷却を試みていた|頭が、即座に爆発四散する。
思わず振り返ろうとした顔をすんでの理性で|緊急停止して、遼平は「な、なにごとでしょう…??」と、普段の数倍はかしこまった声で…否、声にはならなかったかもしれない。何せ体はコンクリート製になったかのようにかっちこちになってしまって動かないし、まして喉ときたら、時折ショート動画で出てくる首絞めチキンのほうがまだましなのではと思うくらいか細く高い音しか出せなかったからだ。
しかし、それを正確に受け取ったのだろう恋人はというと。
「…はぁ…」
「今はぁって言った?」
|劣情に溺れそう《もうすでにあっぷあっぷ》な思春期男子になんてことを!?と思う程度には重く、しいて言うなら「あきれ果てた」と言わんばかりの(というかそういいたいのだろう)ため息でもって遼平の慌てっぷりに返した愁は、しかしそれに対して次の手を打った。
というか、回した。
背中から、腰、それから腹をなぞって。ちょうど、今高鳴ってしょうがない臓器の前へ、まるで腕を組むように、ぎゅっと。
抱きしめた。
瞬間、山之内遼平の認知は光速を超えた。
そしてしめやかに爆発した。
「…大丈夫ですか?」
「だめです…」
思わず敬語になってしまった。
真っ赤になった顔が床のラグに突っ伏す。
ちらと見あげた相手の顔は逆光で見えなくて、だけどその耳はまっかに染まっていた。
「ねえ、遼平君。」
「はい…。」
「おれのお願い、聞いてくれる?」
「はい…」
そっと、ささやくような声。
「寂しいから。こちらを向いてほしいんだけど。」
「……ちょ、ちょっと待ってほしい…。」
ああ、どうしよう。
嬉しいけど、でも、でも。
「それとも、こんな異形になってしまった俺のことは、もう嫌いになってしまったかい…?」
「ッ、そんなこと、あるはずない!」
ばっと顔を上げれば、彼と目が遭った。
息が一瞬止まる。
その美しいアメジストの色に、輝くようなその瞳に、どうしようもなく頭が停止する。
普段の彼の瞳とは少し違う。どこか、目の中で炎が燃えているような。
そんな、人とは違う、けれど普段の彼と同じ瞳が。
「――――。」
うつくしい、と思ってしまって。
頭の中が真っ白になっていった。
まるで、巨大な女神さまに見つめられたかのように。
「ねえ、遼平?」
静かに、こちらに手を伸ばしてくる。
ところどころに鱗が浮いて、どこか火の粉が見えるような、そんな神秘的なことになってしまった恋人のうで。
そんな風になってしまったけれど、それでも全てが彼のままの、恋人の腕。
その腕に、普段ならば無限の幸福と安堵を思うはずなのに―――なぜか、頭のどこかが警鐘を鳴らしていた。
待って待って待って、ちょっと待って御願い、御願いします。
その言葉には俺の思考がまだ追い付いていない。
そんな遼平の叫びには一切かまわずに、
目の前の恋人は残酷な口をうごかす。
「こういうのって、解除方法も摩訶不思議、らしいんだ。
…一応なんというか、早期寛解方法、聞いたのだけど…」
ねえ、協力してくれる?
そんな、絶対にNOと言えるわけない申し出を載せながら、赤い唇がこちらへと近づく。
薄暗がりの中でもわかる、その人の血の色は、遼平がこの世で一番よく知っている色。蠱惑の色だ。
「いいよ。」
少しの逡巡は、これからの行いに、アブノーマルなプレイが混じってたらどうしようという不安が一瞬脳裏をよぎったから。
だけど、それさえも、きっと自分たちなら楽しい道行きにできると信じる。信じるしかない。
だから、遼平は、そっと愁の後ろに手を添える。
それを見つめて、愁も静かに目を閉じた。
その無防備に、どうしようもなくやはり、喜悦を感じてしまうのを。
どうしても、隠せないまま、そっと。
唇を重ねた。
まるで純白の誓いのように。
END
おまけ
「…今日の中、いつもよりちょっと温かい、いだだだだだっ!!!!??」