天童覚の思いつきはいつだって突然だ。東京オリンピックの開催と、それに長年の交友のあるマブダチが出場すると聴いた時。彼は、マブダチを訪ねに行くことを決めた。
季節は初夏。久々に降り立った東京は梅雨に向かう直前の、しかし、スッキリとした快晴だった。
突然の訪問と言えども、久々の直接の再会だ。手ぶらで行くわけにはいかない。ただ、食品系は本日中に会えるか分からない(アポをとらずに東京に来てしまった)から避けたい。そして、折角なので何か華やかなプレゼントにしたい。
そう考える天童の通ったその道に、もっさりと美しいバラをふんだんに飾った花屋があったことが事の始まりだった。そういえば、半年ほど前に牛島から開店祝いの花を送られて嬉しかったことを天童は思い出していた。そして、予想していたよりも花というやつは長持ちで長く天童の部屋を明るく飾っていてくれたことも。
「花、イーかも」
ふらりと入ったその店は、店自体にバラの華やかな香りが充満していた。赤、白、黄……様々な色合いのバラがある中で忙しそうに働くメガネのヒョロリとした男性。彼が一人でいそいそと花の世話をしていた。
そう。いかにも忙しそうに。客らしき天童が入店してもチラッと視線を送って「らっしゃっせ」と言ったか言わないかといった体なほどに。そのやる気のなさはどこか高校時代の後輩を思わせ、天童は逆にワクワクとその店に興味を沸かせていた。
「友人にバラを贈りたいンですけど。プレゼントにオススメとかってありマスか?」
「記念日とかですか?」
「えぇ。オリンピック出場が決まったマブダチに盛大すぎるお祝いをしたくテ」
「オリンピック……」
通常ならばそんな規模のデカい話をしたらもっとリアクションがありそうなものだが、予想通りその店員は大したことでも無いような風でバラを眺め始めた。
「それなら、ぴったりのバラが入荷しましたよ」
「なら、それを100本花束にしてくだサイ」
100本、とあっさりと言った天童に対して、やっと店員の表情が変わる。しかしそれは驚きに変わったのではなく、めんどくさそうに軽く眉をしかめたのだ。その様子が本当に後輩そっくりで天童は思わずニヤニヤ笑ってしまう。
「ちょっと時間かかりますよ?」
「ちょーどイーです」
ラッピングしてもらう間にアブダチにアポを取ってみよう。そう考えた天童はスマホを取りだしながら久々に会うマブダチの驚く様子を思い浮かべていた。
牛島若利は誠実であった。長年マブダチとして付き合いのある天童に、オリンピック出場が決まったことを真っ先に伝えていた。だけでなく、それを聴いた天童が突然日本に帰国し、「お祝いしたいから会おーヨ。今、東京」という連絡が朝方届いたのに気づいた際、すぐにその日の予定をできる限り開けた。それが遠路遥々やって来たマブダチへの誠意だと彼は考えていたから。
「16時ごろからなら予定がないが、そこまで待ってくれるだろうか?」
「ヘーキ! 久々の東京、敵情視察してくるワ」
天童の書く「敵情視察」とはどうやら菓子店やショコラ専門店を見に行く、もしくは、食べ歩くことらしかった。そうやって余暇も上手く活用できているらしい彼の様子に天童らしいと誇らしく感じる。
「ちょっと荷物多いから直接若利くんち行ってイー?」
「わかった。待っている」
そんなやり取りをしたのが午前中の比較的早い時間帯であった。牛島は、その日に行う予定のことを思い描き、その最後に天童と久々に会うことができることに心が浮き立つのを感じていた。
ピンポーンと自宅のチャイムを長めに押すのが天童の癖だ。それに気づけるようになった牛島は付き合いの長いマブダチのおかげで少しずつ情緒というものが育ちつつあるらしい。
ガチャリとドアを開けて出迎えたのは予想していた坊主頭の天童覚ではなく、もっさりとした大量のバラの花束だった。白い花弁の縁のみが赤いそのバラを大量に持った天童が花の影からヒョッコリと顔を出し、久しぶり、と笑った。
「オリンピック出場決定おめでとう」
「ありがとう」
そのための祝いの花束にしては過剰では無いかと牛島は一瞬思ったが、こうやって天童が自身を祝ってくれること自体は大変に嬉しく面映ゆい。バラの芳しい香りに心が緩み、表情までも柔らかくなったのも頷けることだろう。
「いくら若利くんちでもこんだけデケェ花瓶ないだろぉなぁって思ったカラ、買って来たヨ?」
そう言って天童が差し出したのはプラスチックで出来た袋のようなものだった。どうやら水を入れると膨らんで安定するらしく、使わない時は折り畳んでしまえるらしい。真っ赤な切子グラスのようなデザインが描かれているそれに真っ赤ではなく、花弁の縁のみが赤い薔薇とよく合った。
「天童はいつでも用意周到だな?」
「ん〜? ッテか、うちの店の開店祝いで花もらった時、俺が困ったら」
考えてみれば、半年ほど前には逆に牛島が天童に花を送ったのであった。その時は天童が支店といえども、自分の店を持てることになったことへの祝いであったが、確かに牛島は天童の家に花瓶があるかどうかなど配慮していなかった。
「すまない。配慮が足りなかったか」
「いやいや。あの時、花貰うのってウレシーな! って思ったから今日、花束にしたンだ」
あと、花屋のにーちゃんが面白い人だった。太一みたいで。
久々に出た後輩の名前に懐かしさを覚える。そういえば彼とは特に連絡を取っていない。今どこでどうしているのか牛島には情報がなかった。
「このバラね、ちょっと変わってて、花びらが開いていくとどんどん赤いところが多くなってくンだヨ?」
確かに、そのバラの花束は花によって赤さが違うのだ。まだ蕾の花などはほとんど白く、逆に満開に咲ききっているもののいくつかは白いバラという印象よりも赤い部分の比率が多くなっていた。
「聖火っていう名前のバラなんだって。日本産の育てにくい花でちょっとレアらしいヨ?」
太一みたいな花屋のにーちゃんからの受け売りデス。
そう付け加える天童に、牛島は自分の胸の中にもやりと心地悪さが浮かぶのを感じていた。そして、彼は知っているそれの理由も、解決方法も。
「天童」
だから彼は実行したのだった。
「花束をありがとう。それから、わざわざ祝いに来てくれて嬉しい」
天童の開店祝いの時、確かに牛島は花を送った。しかし、リーグ戦の直前だったその頃、彼は日本を離れることは難しかったのだ。そのため、花だけを贈り、少々通話をして終了であった。もちろん、それでも天童は喜んでくれたが、その時も牛島はもやりとしていたのだ。
「直接会えた時に言おうとずっと思っていた。俺は、天童のことが好きだ」
「うん。俺も好きだ〜ヨ?」
「それは、付き合いたいという類の好きと理解してもいいだろうか?」
「……ン?」
ぽんぽんと返って来ていた天童からの応答のリズムが急に遅くなる。そして、天童からのリアクションがないことを確認した牛島は、もう一度、口火を切る。
「天童の言う『好き』も恋愛的な意味合いの『好き』と捉えてもいいのだろうか? 俺の言いたい『好き』とは単にマブダチとしての『好き』ではなく、恋愛的な『好き』なんだ」
「ん? え……?」
「ずっと、伝える機会に恵まれなかったので、言いそびれていた」
牛島は本当ならばもっと早くこの想いを天童に伝えたかったのだ。もし、天童がもっと近くにいれば、きっともっと早くこの想いを伝えたことだろう。もしくは、天童がそばに居た高校時代に天童に対する感情がマブダチだけでなく、恋愛的な好意であると気づいていれば良かったのかもしれない。
しかし、残念ながら人間という奴は大抵、手遅れになってから、手に入りにくくなってからその重要さに思い至るものなのである。損失の痛みから手の届かないものへの愛着を思い知らさせるのである。まさに、牛島がそうであったように。
「天童、好きだ。いつも応援してくれてありがとう」
ハッキリと言い切った牛島の前で、天童が徐々にその白い頬を赤く染めていく。それはまるでさっき天童が解説したバラの特性のようだった。ふにゃりとほころんでいく天童の表情に合わせるように、頬が赤く染まる。
「お、俺も……好き。若利くんのこと。言えると、思ってなかったし、言ってもらえるなんて……もっと思ってなかった……」
いつもシャキリと、もしくは、人を食ったような笑みで整えられている天童が、そんな無防備な表情をすると思っていなかった牛島は、不意のことに虚をつかれる。ヒュッと飲み込んだ息の、そのままに、いつの間にか、そっと赤く染まる天童の頬に左手を伸ばしていた。
一瞬ビクッと飛び跳ねた天童は、しかし、大人しく牛島の掌に頬を預け、それから、やや上目遣いで牛島を見上げた。何かを天童が期待しているらしいと思う前に、身体が動いていた。
そっと瞳を閉じ、互いの顔を近づける。それから、少しだけ首を傾げ、互いの唇を軽く触れ合わせ、小さなリップ音を立てる。
ゆっくりと体勢を離し、瞳を開けると、天童の瞳の中に緊張した面持ちの牛島が映っていた。
「コイビトってのも、俺たちの関係に追加、でイーのカナ?」
「そうだな。マブダチ改め、ではなく、マブダチに恋人も追加してくれ」
ハッキリと言い切ってから牛島はその自身の言葉の大胆さに、贅沢さに驚く。そして、少しだけ珍しく照れてしまう。そんなにも大胆な行動をしたのは、たぶん、日常生活では生まれて初めてかもしれなかった。それはもちろん、天童にも気づかれたらしく「照れてる。メズラシー」と微笑まれた。
ただ、牛島は気づいている。他人を煽ることが好きでたまらない天童がそんなに大仰に牛島を揶揄わなかったのは、きっと、天童も牛島同様、照れを含んだ表情をしていたせいだろう。互いに、ぽっと灯った胸の中の小さな炎をむず痒く感じながらも、微笑ましく見守りたい気持ちだったのかもしれない。
「これからもヨロシク。元チームメイトでマブダチで恋人の若利くん」
「あぁ。こちらこそ」
もう一回、と今度は天童からされたキスも、また、軽く子供同士のお遊びのようなキスだった。
Happy キスの日!!!! Thanx キスの日!!!!