夕方というやつはなんでこんなに眠たくなるのだろうか?
久々に若利くんが来てくれたから、と思って3時のおやつにパンケーキを作った。それを多分お腹いっぱいに食べ過ぎたのかもしれない。腹の皮が突っ張れば目の皮が緩む。そんなことを遠い昔実家で世話になってたじいちゃんがよく言っていたっけ?
微睡む俺の横で、ソファにゆったりと座る若利くんが呟く。
「パンケーキといえば……」
「ん?」
「天童は覚えていないかもしれない。高1の時の体育祭だ」
若利くんの低音は心地よい。柔らかなソファにもたれかかっていた頭を若利くんの肩に引き寄せられる。そんなことされてしまえば、俺はもう、夢の中だ。
「覚えてねぇなぁ……」
その言葉は多分、最後まで言い切れていなかったことだろう。そんな天童の寝顔を見ながら、牛島は何年も前のことを思い出していた。
高校入学当初の天童覚は、まだ、中学の彼の面影を引きずっていた。というのは、つまり、少し尖っていたのである。誰彼構わず突っかかるところがあった。そうで無ければ何かに負けてしまいそうな気がしていたからかもしれない。
彼の学力に伴わぬ高学歴な白鳥沢学園へのスポーツ推薦、彼の今までの不遇にそぐわぬバレーボールでのスポーツ推薦入学という地位。確かに、推薦を受けた鷲匠監督は天童の実力を解っていたのだろうが、それ以外の人間は違う。春休みの練習からずっと、天童はバレー部部員にもクラスメイトにもどこかツンケンとしていたものだった。
しかも運の悪いことに、天童覚は牛島若利と同じクラスになっていた。成績優秀、スポーツ万能、東北のウシワカと呼ばれ、知名度の高い名実ともに併せ持つ牛島若利と天童覚は授業中も部活中もずっと同じ空間にいなければならない。それが、その当時の天童にはかなり気に入らないことでもあったのだ。
そんな中の、体育祭開催が5月。本来ならばクラス内の親睦を深めるための行事であるが、生徒たちにそんなことが解るわけが無い。天童はただ面倒だと感じるばかりであった。それから、なるべく牛島と関わらずにいられないだろうか? と願っていた。
スポーツ推薦がある白鳥沢学園では、得意種目に特定の部活の人間が出てしまわないように、出場種目は全てくじ引きで決ることになっている。天童はくじ運には本来、自信がある。しかし、どうしたことだろうか? その時はくじ運が最悪だったのである。つまり、牛島と同じ競技に出ることが決定し、しかも、牛島とペアを組んで競技に出なくてはならなくなったのだ。
その競技とは、障害物競争のペアというものであった。ルールは簡単である。ペアで二人三脚をしながら障害物競走をするというものであった。二人三脚、つまり、脚を結び、肩を組んでもしくは、時々手を繋ぎ、走らなければならないのだ。ということで、必然的にペアになる人間は身長差が少ない方が良いということになったのだ。
「俺、せぇちいせぇ子とやっても上手く走る自信ある」
「天童が良くても牛島がビリだったら意味ねぇだろ?」
どうにかして天童は牛島とのペアを逃れようと必死に言い訳を探したが、クラスで一・二を争う長身の二人と組みたがる者は出てこなかった。
「まぁ、仲良くやれよ。同じバレー部だろ?」
同じ部活でライバルだからこそ仲良くなンかできねぇンだヨ、と天童はさぞかし思っていたことだろう。が、それを口にするほど彼は幼くは無かった。しかも、牛島は天童が自分とペアを組むのを嫌そうにしているのを気にもして居なさそうなことに、天童はますます、いけ好かないと感じていた。牛島若利はその当時、なんとも表情の変化の少ない男だった。
体育祭という者は大抵、その日だけ競技をやるものでは無い。事前の練習が必要なのである。体育の授業などでペアを組まされ、障害物競走させられる。それが天童にとっては大変屈辱的な時間でさえあった。
何より、牛島は予想以上に不器用なのだ。人に合わせて、という観点が無ければ二人三脚でしかも障害物競走などできるわけが無い。
だからと言って、天童はその競技でみっともなく他のチームに負けるのも悔しいのである。どうにかこうにか牛島を上手く動かして障害物競走での成績を良いものにしたかった。
「牛島くん、もうちょっと俺の走るペースに合わせてヨ?」
最初の障害物競走での難関は、一定の間隔で置かれた障害物をリズムよく二人で飛ぶというものであった。それが、どうも牛島にはリズム感が無いのか、天童と飛ぶタイミングが合わなかった。リーチはほぼ同じはずなのに、なぜか踏切のタイミングが合わない。それを指摘すると、牛島は静かに「すまん」と答えた。
牛島が素直にそう謝ることに天童は一瞬、面食らった。「お前が合わさないから」くらいのことは言われるかと思っていたのだ。東北のウシワカという二つ名を持つ男だから。不遜な男だろうと思っていた。中学でも注目され、キャプテンでエース。いかにも性悪が悪いだろうと天童は身構えていたのだ。
しかも殊勝に「もう少し練習しよう。付き合ってくれないだろうか?」と訊いてくる。そんなことをされては天童だって、むにむにとその特徴的な口を動かしながら解った、と応じるしか無いだろう。
「ここの障害物飛ぶときはサ? 3拍子なンだヨ」
「3拍子?」
「そ。ワルツのリズム。ぞうさんトカ」
「ぞうさん……」
天童が三拍子を指先で表現しながらぞうさんを歌ってみる。すると、牛島は確かに「なるほど」とは言うのだ。しかし、それできちんと三拍子を理解して跳べるかといわばそうではないらしい。再度二人三脚で跳んでみると、ますます、牛島は混乱したようであった。
「おし。なら、ぞぉ~、おさんっ! の「さん」でジャンプね?」
なので、天童はやけくそでそう提案してみた。今度こそ「馬鹿にするな」と言われるだろうと覚悟して。
しかし、意外なことに牛島は素直に「わかった」と頷いたのだ。そして、生真面目にぞうさんを歌い始める。歌詞の確認までされた。
そこで、半信半疑のまま天童と牛島は再度、障害物に挑戦してみる。天童の隣には、小声ではあったが生真面目にそうさんの歌を歌う牛島。低音で歌われるぞうさんはなんとも重々しい。そして、真面目に「さん」のところで彼は跳んでみせる。
それを身近で見ながら天童は「こいつ」と思う。こんなに素直な男だとは思いもしなかった。というか、男子高校生(しかも図体デカい)がぞうさんを歌いながら障害物を飛ぶ様があまりにもシュールだ。天童自身言っておいて引いてしまいそうでは無いか。
「天童。ぞうさんを歌うと飛べるぞ?」
「デスね?」
「ありがとう」
素直ににっこりと微笑まれ、そうか、牛島もこんな表情をするのだ。そう彼は思った。入学から約一ヶ月。春休みの顔合わせから考えたらもう少し長い間牛島を見ていたと思っていたが、天童にとっては初めて見る牛島の笑顔であった。
次の難関は、最後のパン食い競争ゾーンである。二人同時に同程度のジャンプを行い、そうして、頭上に吊されたパンケーキ様の平べったいパンの袋を引きちぎる必要があった。
「これも息を合わせた方が良いのか?」
「さすがに競技の間中ずっとぞうさん歌ってる訳にはいかねぇかンね?」
「そうか、なら、どうするんだ?」
「そうネェ……?」
パン食い競争の前の障害物は網だ。網の下をホフク前進で進んで、それから10M程度走り、パンゾーン。わかりやすさで考えたら、網から脱出したところからの歩数で踏切を考えるのが良いだろう。
「じゃぁ、こんどは亀さん。もっしもっしか~めよぉ、かぁめさんよぉ! の「よぉ!」で飛ぶヨ?」
「やってみよう」
網の下のホフク前進もなかなか大変だ。しかし、それは牛島のペースに天童が合わせれば進むことができそうだった。それもこれもきっと、天童の観察眼があってのことだっただろう。それを、牛島は気付いていたのかどうかは天童は知らない。
ただ、まずはパンゾーンだ。網ゾーンを抜け、立ち上がった最初の一歩を亀さんの最初の「も」と位置づけて息を合わせる。
「もっしもっしか~めよぉ、かぁめさんよぉ!」
今度は天童も声を出していた。そうすると、途中の10M程度の滑走も互いの息が合い、走りやすい。しかも、最後のパン食いゾーンでの踏切も完璧であった。真っ青な空に跳ねるパンケーキを見事に二人でキャッチする。
「できたぁ!!」
初めて成功したそれに、思わず天童が牛島に抱きつく。パンを捕まえられたことだけで呆然としていた牛島の両手は天童の背に回すべきかどうかも解らないようで、ただ宙をさ迷う。そのうちに、衝動のまま牛島に抱きついていた天童がハッと我に返る。つい昨日までライバル視していた牛島に抱きつくとは。しかし、離れたくても脚が結ばれている状態で離れるわけにはいかない。
「天童は、すごいな」
咥えていたパンを手に取った牛島が感慨深げにそう呟くのを、天童はただ「へ?」と間抜けな音で聞き返してしまう。だが、牛島はそんな天童の返答を気にも留めないようであった。
「すぐに新しい対処法を思いつく。見習いたい」
今度、スパイクの踏み込みでも亀さんを試してみる。
そんなトンチキなことを言われてしまえば、もう駄目だった。ぶっはぁ! と天童が思いっきり吹き出す。
「ちょっと待って⁉ スパイクでまで歌わないで⁉」
「良い案だと思った。高く跳べそうだ」
「絶対セッター笑ってセットできねぇから止めて⁉」
「そうだろうか?」
天童の想像の中でぞうさんや亀さんを歌いながら跳ぶ牛島若利が鮮やかに映像化されてしまう。どの牛島もしごく真面目にその低音で童謡を歌いながら跳ぶのである。シュールを通り越して愛らしくさえ見えそうだった。
「牛島くん、おっもろ⁉」
「そうだろうか?」
「天然かぁ⁉」
一度ゲラゲラと笑い出した天童は止まらない。しかし、牛島は何かを納得していた。それはもしかしたら、いままで毛羽立っていた天童の心が少し柔らかくほぐれていくような様を見たからかもしれない。
「ヤベーわ。俺たち、良いコンビニなりそうじゃネ?」
「あぁ。首位でのゴールを目指そう」
「モチロン!」
その年の体育祭は大いに盛り上がったというのが、実は何年も後にまで語り継がれている。
カット
Latest / 111:04
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
2023/05/10
初公開日: 2023年05月10日
最終更新日: 2023年05月11日
ブックマーク
スキ!
コメント
快晴に踊ったパンケーキ、微睡む、さ迷う、繋ぐ手で書きます