頭に浮かんだことばをひたすら書いていく。自由連想文ってやつをやります。目安の時間は10分。
今回のはじめのキーワードは「カメラ」。
カメラを手にしたらみんなカメラマンだ。技術の有無は関係ない。きっと、みんな写真を撮ることに夢中になれるはずだ。
誰かがナニカに変わるきっかけは、きっとそんなたったひとつの道具だけで十分なのだろう。いい感じの木の棒を拾いさえすれば、そのへんのクソガキだって世界を救う勇者になれるのだ。
何者かに簡単に変わることができるのが人間なのだと思う。人間。ひとの、あいだ。人間。だからきっと、それはきっと、何者にもなれるということ。狭間でふらふらしている僕らだから、きっと左右のどちらにだって流れていける。
自分は何者なのだろうか、とか、考えることにもきっと意味はあるのだろうけれど、そのことで深く悩んでしまうくらいなら、とりあえずそのままを受け入れてみれば良いんじゃないだろうか。
何物でも無い自分も、何者にもなれない自分も、それを個性と胸を張ることを否定する理由にはならないはずだ。
私は、結局私でしかなかった。誰かにとっての何かになれたつもりはない。私にとっての私でしかない。でも、それでいいと思う。ああ、これが自己肯定感か。
僕はたぶん、自分のことが好きなのだと思う。だから死んでしまいたい。自分が自分のことをすきでいられるうちに。
いちばん大好きで幸せな時間に、ハッピーエンドで人生の幕を下ろしたいと願うことは、そんなに珍しい物なのだろうか。
ほんとうは、みんな死にたがっているんじゃないの、なんて思うことがある。世間一般的には、希死念慮を抱いている人の方が珍しいらしいけれど、本当にそうなんだろうか。理想的な安楽死装置があったとしたら、みんなこぞってそれをほしがるのではないかしら。
僕は死にたいよ。というか、生きていたくないよ。溶けて無くなってしまいたい。人であることをやめたい。理想を言えば、生まれてきたことをなかったことにしたい。
生きてて良かった、とか、生まれてきて良かった、とか、そんなことを何の臆面も無く口にできる人たちは、その言葉を、どのくらいの本気度で声に出しているのだろうか。
ほんとにみんな、幸せなのかな。ほんとに私は、幸せなのかな。
幸福。たぶん、僕は今幸福なのだと思う。人間関係にも恵まれている、と思うし、これまでの人生を振り返ってみても、間違いなく自分は幸福であったと思うことができる。まあ、ハゲたりしたことはあったけどね。ありゃたぶんストレスだな、原因は。
またまた激務の日々が訪れてきてしまったから、そのうち再び十円ハゲができるのかもしれない。仲良くする気はないけれど、きっと、付き合っていくしかないのだろうな。ハゲ、実のところそんなに嫌いじゃないんだけど、ちょっとやっぱり、みっともない感は出てきちゃうよね。
自分の見た目に無頓着な僕でさえそうなのだから、身だしなみをけっこう気にする人たちにとっては、ハゲはきっと重大な問題なのだろうなぁ。
わらって流せればいいのにね。重大な問題も……そうすれば、きっと、少しは気持ちも楽になるのかもしれない。
けれど、それで問題が解決するわけじゃない。問題はじっと僕らに絡みついて、そのうち、致命的なキズに発展する。
僕らは逃れることはできない。生きている以上、傷付くときが必ず来る。私はそれが嫌なんだ。
生きてさえいなければ、それ以上傷付くことはないのだから。
生まれてこなければ良かったのに。