気が付けば私の周りはえらく浮付いていた。
本当にいつの間にか、だ。いや、朱里に関しては割とバレバレだったし報告も受けていたのだけど、問題はそっちじゃなく。
……なんというか。これまでそういう素振りのなかった友人の浮かれた姿は、ちょっとばかり距離を感じてしまう。
「はぁー」
そうやって何度目かも分からない溜め息を零すと、小さなテーブルの向かいに座っていた菜月がじろりと睨んできた。
「さっきからなんだよ、こよみ」
「いや、なんていうか……単純に溜め息が出るってだけ」
そう言いながら、私はドーナッツにかぶり付く。
今日は恋人の祭典、蝉の如き告白が飛び交うバレンタインデー。
待ち合わせしていたこのドーナツ屋でもカップルや家族連れが目に付くし、当然、朱里も、そして侑もこの場にいないだけで同じようなことをしているのだろう。
おかげで今日は休日だというのに集まったのは私たち二人だけ。中学以来の友情も、この日は恋愛には勝てないらしい。いや、今や恋愛に関する日は割とあるから、友情は常に劣勢だったか。
「侑が先輩と付き合ってたの、そんなのショックだったのか?」
そんな私を見てなにを誤解したのか、菜月がにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
全く。相変わらず人をからかうのが好きらしい。
「別にショックじゃないよ。先輩後輩にしちゃ仲よかったからそんな節はあったし」
「だろーな。学校が違う私だって分かるくらいだったしな」
ずごご、とバニラシェイクを吸い上げながら、菜月が呆れる。
もっとも、それが恋人同士として、と確信するのはかなり難しかった。だって七海先輩には佐伯先輩がいたのだから。侑とそういう関係にあるんじゃ、という疑念こそ湧けど、納得したのは侑から打ち明けられてようやくだった。
その点、菜月は学校が違ったからこそ、情報が侑との会話だけだったから、先入観なしに確信に至れたのかもしれない。
ともあれ、私のこの気持ちは中々に説明するのが難しい。眉根を寄せてこめかみを押さえながら、近しい言葉を選んでいく。
「だからなんて言えばいいかな……侑も朱里もよろしくやってるのに私たちはこうして管巻いてるんだなーと思うとね」
それ以上の言葉は上手く出てくれない。
寂しい? それも少し違う。
ただなんだかちょっぴり……取り残された気がする。
「ははーん。ずっとその手の話がなかった侑に先越されて羨ましいってか?」
「んなわけないでしょ」
なんでそうなるの。
むしろ私は、そんな侑だから諸手を挙げて喜んだというのに。
「そういう菜月は?」
「んー?」
「まぁ今日こうして私とくっちゃべってるからそういうのはないんだろうけど」
「まぁないな」
あっさりと菜月。そりゃそうだろうね。いたんだったら逆になんでここにいるのって感じだ。
「でもちょっと意外。菜月ならモテそうなのに」
髪がショートなのも相まってボーイッシュで容姿も整ってるわけだし、ソフト部現役は伊達でもなく運動だってできる。性格だって陽気で話しやすいタイプだ。それこそ男女分け隔てなくモテるだろうに、菜月のそういう話は中学から一貫して聞いたことがない。というか中学でもこの日になると、四人の中でチョコを一番もらってたのに。
「私はまだまだソフト第一だからなー」
菜月はそれにあっけらかんと答えた。
……だろうね。このソフト馬鹿。
「私も小説第一だし」
「なーんだ、結局こよみもそうなんじゃんか」
私も人のこと言えないわけだけど。
「だから溜め息が出るだけだって」
「あれ、前年上好きって言ってなかったっけか?」
ん、とその疑問にやや言葉が詰まる。
林錬磨先生のサイン会から考え続けて、気付いたことがある。
多分私は、想像上の錬磨先生に一方的な片想いをしてただけなんだろう。
どうにも他の年上の人を見ても、あの時のような気持ちは湧き起こらなかった。
……こうして事実を振り返ってみると、過去の自分がとても馬鹿らしく見えてしまって身悶えしそうだ。
あるいはひょっとしたら、その片想いは、あの小説で全部昇華してしまったのかもしれない。
今の私は、自分にとって好きな人がどんな人なのか、分からないでいる。
「んー……今は恋愛そういうのいいかなって気分だから」
「ふーん」
ドーナツの最後の一欠片を口の中に放り込む。
別にそれでいい。
結局のところ、今の私に小説を書く以上に魅力的な人がいないということなのだから。
……とはいえ、今日は奇妙なセンチメンタルに襲われてしまうわけだけど。
「それで、これからどこ行く?」
菜月もシェイクを飲み終わったみたいで、肘を突いてそう切り出した。
私はそれにいつものように答える。
「途中で本屋寄るならどこでも」
「なら映画でも観るか? 恋愛物」
その提案に私は「はぁ?」と苦笑いした。
「わざわざ私たち二人で? こんな日に?」
「今観たいか、観てもいいか、だろ。観たくないならそれで終わり」
「……はぁ」
包装紙をくしゃくしゃに丸めて、私はトレーを持って立ち上がった。
「お、行くか?」
菜月もそんな私に続いて立ち上がる。
だって仕方あるまい。他に特にしたいことだってないのだし。
「そういうことなら観たかったのがあるからね」
「ってことは原作ありか?」
「そ。もうすぐ公開も終わるし、ちょうどいいよ」
そんな会話を交わしながら、私たちは映画館に向けて歩き出した。
そう。別に寂しくなどないのだ。
こうやってこんな日にも一緒に遊んでくれる友達が、私にはいるのだから。