プライバシーとは、個人や家庭内の私事、私生活、 個人の秘密のこと。 また、それが他人から干渉や侵害を受けない権利であり、畢竟じて自己の情報をコントロールできる権利でもある。
 倫理の講義を受け持つ教授はそんなことを、迂遠に、長ったらしく語っていた。
 まぁその長い部分は面白くもある。プライバシーという概念が成立するに至った歴史や、そんな概念が希薄だった時代を生きていたからこその話が盛り込まれ、あっちこっちと縦横無尽に走り回っていた。
 もっとも、興味深いと思うのと同時に、脱線し過ぎて本筋に早く戻らないものかと若干の苛立ちを覚えるのも事実である。
 手元に配られた、要点だけ簡潔に書かれたレジュメ――なお講義においてその内容にはほとんど触れられていないのだけど――をぼんやりと眺めていたらなんとなく気にかかったのが先の文章だった。
 なにが気にかかったか――いくらか考えを巡らせたところで検討が付いてしまい、小さく息を吐いてしまった。
 至極単純な話。燈子のこと。
 今から振り返ると、あの頃の私の燈子への対応は、あながち間違いではないと思う。
 燈子が抱える私的な問題に対し、私は自らの恋心を抑え込み彼女を支えることを選んだ。
 お姉さんのようになろうとして無理し続けることを、否定できるはずがない。
 だってそれはプライベートの問題なのだから。他人に強制し、強制されるものではないのだから。
 下手に干渉すれば、それこそプライバシーの侵害に当たりかねない。
 ……結局のところ私が恐れたのはそこではなく、干渉することで燈子との距離が更に離れてしまうことだったのだけど。
 燈子の隣で、一番の友達でなくなるのが怖かったから。
 でもあの子は、それを知っててなお踏み込んだ。
 あの子も分かってただろう。自分のその行動はエゴだと。下手をすれば強制になりかねないと。燈子が離れていってしまうかもしれないと。
 それでもなお、燈子に変わって欲しいと願って。
 それはエゴだ。
 だけど、そのエゴこそが燈子を変えた。
 ……私は、変えられなかった。
 今にして思う。誰かと共にいたいと思うのであれば、その自らのエゴで他者のプライベートに入ろうとしなくちゃいけない。
 相手のプライベートの中に私を、私のプライベートの中に相手を、一部なりとも。
 思いやり、しかし思いやるだけで外縁をぐるぐるしているだけでは、意味がない。
 ……その意味で私は、そうやって踏み込むのが下手なのだなと改めて思う。下手というより、蹈鞴を踏んでしまうと言うべきか。
 けど、今は――
 講義終了のチャイムが鳴り響く。
 結局途中から変に考え込んでしまった。テストに影響はないだろうけど、ちょっともったいない気分はなきにしも非ず。
 まぁいっか。
 鞄を掴む。立ち上がってそのまま教室を去り、構内から外へ。
 慣れた道を、真っ直ぐに。
 アパートに着く。階段を上がり、合鍵を使ってドアを開ける。
「お邪魔します」
「沙弥香先輩、おはよーっ」
「もう昼よ」
 そんな気安い言葉を交わしながら、私は彼女のプライベートへと足を踏み入れた。
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