十二月も終盤に差しかかると母親から実家に帰って来い、と連絡が来る。去年は何のかんのと理由をつけて断ったが、電話口で聞こえる寂しげな母の声に絆されてついつい帰省してしまったのが運の尽きだった。実家はとにかくやることがない。食事や洗濯をしてもらえるのはありがたいが、二十五の男が過ごすには退屈な場所だった。
 そんなわけで、年末は怠惰に怠惰を重ねた生活を送った。母はありし日のように「いつまでもゴロゴロしてないで」と叱ったが、そこまでしつこくは言ってこなかった。それも東京で頑張っている息子を思ってのことなんだろう。実際は未だにフリーターでなんとか食い繋いでるだけだったが、何も自分から母の幻想を打ち砕くようなことをしなくてもいいだろう。
 年が明けても俺の人生は何も変わらない。いつもの日々が続くだけだ。だから年越しそばにもおせちにも興味がない。自分の体温で温まった布団の中で気が済むまでこうしていたい。そんなささやかな俺の願いは、騒々しいノックの音で打ち壊された。
「あけましておめでとうございまーす!」
 高らかな新年の挨拶とともに誰かが俺の部屋に入ってくる気配がした。誰の声かなんていちいち確認せずともわかる。どうも妹の智代は若い力をあり余らせているらしい。それに付き合ってやれるほど俺は若くないし、優しくもない。拒絶の意思を示すために布団を頭までかぶったのだが、
「はい、起きてくださーい!」
 と、布団が剥がされてしまった。途端、冷気が俺の体を突き刺す。暖房はお休みモードに設定した時間に切れていた。
「何すんだよ」と俺は至極真っ当な怒りをぶつけたが、智代の顔は笑ったままだ。
「まあまあ。新年早々イライラしてないでさ、初詣行こうよ、初詣!」
 朝日のように無駄に眩しい笑顔を見せる妹から視線を移し窓の外を見た。まだ外は薄暗い。当然だ。日の出の時間にはまだ早い。
「嫌だ。寒いし眠い」
 布団を妹の手から取り返すことすら億劫だった。ベッドの上に丸まって、再び目を閉じる。
「またそんなこと言って。同級生に会いたくないだけなんじゃないの?」
 図星だった。このままだと兄貴の面目が丸潰れだ。何か言い返してやろうと言葉を探したが、見つからなかった。そんな俺を見て、智代は勝ち誇った笑みを見せたのち、
「この時間なら誰にも会わないって。それにたまには運動しないと体に悪いよ」
 と言い残し、部屋を後にした。妹の手のひらで転がされているようで気乗りしなかったが、どうせこのまま二度寝しようにも今度は母が部屋にやってきて智代と同じようなことを言うに違いない。俺は負け犬の心で着替えて、リビングに降りて行った。
「ほら、日が昇ってきた!」
「あら、本当だ」
 軽い朝食を済ませ、外に出ると太陽が少し顔を出していた。俺よりのんびり起きてきやがって、と訳のわからない怒りが込み上げてくる。女性陣二人は口から白い息を吐きながら楽しそうに初日の出を拝んでいた。
 二人の後ろをとぼとぼと歩いていると段々頭が冴えてきたのか俺は激しく後悔した。初詣に行く労力と対価がまったく見合ってないじゃないか。神様に祈って何とかなるなら皆とっくに幸せになってるはずだ。そんなことを思いながらとうとう一行は近くの神社の鳥居までやって来た。歩いたのはほんの数十分だろうが、俺には倍近い時間に感じた。
「史彦、待った」
 鳥居をくぐろうとした瞬間、母が俺の行く手を防ぐように腕を突き出した。
「ちゃんと服が乱れてないか見て、それから頭を下げてくぐるんだよ」
 どこか得意げな母の口調に適当に返事をして、服の襟を正すふりをした。妹はデート前の恋する乙女のように何度も前髪を指で払い、コートの埃を払った。まず最初に母が鳥居をくぐり、その次に智代、そして最後に俺。妹が鳥居をくぐったのを見て、鳥居の前まで進んで頭を下げた。
 そのとき、軽い眩暈がしてふらりと足元がよろけた。慌てて体勢を立て直して前を見ると、先ほどまでいたはずの母と妹の姿はなかった。まさか神隠し、なんてことはないだろう。どうせ俺が見てないうちに二人で走って、道を曲がったところの死角に隠れたんだろう。妹はともかく、それに乗る母も母だ。
 俺は黙々と神社に続く山道を歩いた。智代が言っていた通り、人の気配はなかった。それどころかいくつ道を曲がっても母と妹の気配すらない。きっとどこかで道を逸れて、二人かしましくやってるんだろう。
 神社に着いたときにはすっかり息が上がっていた。あれだけ寒くて着込んだのに、今やコートもマフラーも鬱陶しいほど体がぽかぽかしていた。脱いだコートを手に持って、財布からなけなしの五円玉を賽銭箱に入れた。
「願い、か……」
 改めて自分の願いは何だと問うと即答できなかった。金とか恋人とか俺に足りないものなんていくらでもあったはずなのに。何故だか一つに絞らなければいけない気がして言葉に詰まった。
「何でもいいんですよ。ほんのささいなことでも」
 俺の長考を打ち破ったのは智代のやかましい声ではなく、静かな、それでいて輪とした女性の声だった。慌てて振り向くとそこに立っていたのは一人の少女だった。声の印象では俺と同い年か、少し下くらいを想定したので面を食らった。
「じゃあ……俺がこっちにいる間は雪を降らせないでください、とかにしておこうかな。雪かき頼まれると面倒だし」
 わりと本気で言ったのだが、少女はくすくすと小さく笑い声を立てて笑った。なんだか気恥ずかしくなりながらも、手を合わせた俺は少女に宣言した通りのことを神様に願った。きっと神様も天界で苦笑してることだろう。
「あんた、いつまでそうしてるつもり?」
 次に聞こえてきたのは大人びた声の少女ではなく、聞き慣れた母の声だった。その声にはっと我に返るとそこは鳥居の前だった。俺は手を合わせた状態で立っていた。その少し前で訝しげな顔をしている母と、首を傾げた智代がいた。
「……あの子は?」
 咄嗟に口をついたのは少女のことだった。当然のように母は「あの子って誰よ」と眉間に皺を寄せ、智代は「早くしないと置いていくからねー!」と言って、跳ねるように軽々と山道を歩いて行った。その背に母も続いた。
 釈然としないまま俺は頭を下げて、鳥居をくぐった。前方で智代が立ち止まり、こちらに手を振っているのが見えた。早く来いと言いたいのだろう。俺は渋々歩くスピードをわずかに速めた。体はぽかぽかと温かかった。
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2023/1/14 トゥーライ お題「鳥居」
初公開日: 2023年01月14日
最終更新日: 2023年01月15日
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