私の目の前には「星宮ひまり」がいる。高校生ファッションモデルとして数々の雑誌の表紙を飾る超人気モデルだ。ファッション雑誌とは無縁の私とはまるで別世界の住人だ。そんな人が美術室の椅子に長い足を揃えて座り、薄く微笑んだままこちらを見つめている。
 事の発端は先週、美術部の顧問の先生から聞いた絵画コンクールだ。美術部員の一人として私も何らかの作品をコンクールに提出しなければならない。とはいえ、コンクールに参加することは嫌じゃなかった。絵を描くものとして自分の実力がどこまで通用するのか試したいと思ったし、落選しても自分の絵をプロに見てもらえる機会なんてそうそうない。
 問題は「何を描くか」だった。美術室では他の部員たちが絵を描き始める横で、私といえば真っ白なキャンバスを目の前にうんうん唸るだけの日々が続いた。
 今にして思えば最初から彼女を描きたい、とどこかで思っていたのかも知れない。どこにでもある平凡な公立の学校にとって、彼女——星宮ひまりはまさに〝希望の星〟だ。彼女は容姿やスタイルがいいだけでなく人当たりもよく、生徒だけでは飽き足らず教師の評判までよかった。例に漏れず私もそんな彼女の光につられた一人だ。
「ねえ、どうしたの?」
 彼女の声にはっとなる。絵筆を持ったまま、つい考え事をしていたらしい。
「ご、ごめんなさい……しゅ、集中します」
 彼女からしてみれば絵のモデルになってほしいと頼まれてわざわざ時間を作ったのに、当の本人が絵筆を持ったままぼーっとしていたのでは怒って当然だ。私は絵筆を持ち直して作業に取りかかろうとしたが、
「あ、ううん。全然怒ってるとかじゃないの。ただ……」
 いつも明るい彼女が何かを遠慮するかのように言い淀んだので、私はキャンバス越しに彼女を見た。
「どうして、私をモデルにしようと思ったの?」
 至極の当然の疑問をぶつけられた。そういえば「絵のモデルになってほしい」と言っただけで、それ以上は話していなかった。
 私は一度絵筆を置いた。理由なんていくらでも挙げられる。可愛いからとか、そういったことを言えばよかったのに、このときの私はそこまで頭が回っていなかった。雲の上の存在だと思っていた彼女と接することができて、舞い上がっていたのかもしれない。
「……言ったら、引くと思います」
「なんで? 引かないよ」
 何でもないように彼女は笑った。その気さくな態度に私はほっとした。それでも、話し始めるまでには時間が必要だった。壁掛け時計の秒針の何周かして、ようやく私は決心ができた。
「星宮さんの真剣な表情が好きだから」
 今度は彼女が黙りこくってしまった。大きな瞳をさらに見開いて、ぱちぱちと瞬いた。その様子に何だかいけないことを言ってしまった気がして、私は必死に話を続けた。
「あ、そ、その! もちろんいつもの笑った顔もいいと思います! でも、だからこそ真剣な表情が引き立つというかなんというか……」
 しかし喋れば喋るほど言わなくていいことまで喋ってしまう。もうだめだ。絶対に気持ち悪いと思われた。怖くて彼女の顔を見ることもできず、自分の足元を見つめた。できることならこの部屋から出て行きたい気持ちでいっぱいだった。
 次に私の耳に届いたのは彼女の鈴を転がすような笑い声だった。私は恐る恐る顔を上げた。
「す、すみません。やっぱり気持ち悪いですよね、こんなの……」
「ううん、全然。というより……嬉しい、かな」
「う、嬉しいんですか?」
 少しはにかんだように笑って、彼女は小さく小首を傾げた。そのときに彼女の茶色い髪が重力に従って揺れるのを、私は思わず見惚れてしまって少し反応が遅れてしまう。
「うん。だって『真剣な表情が好き』なんて初めて言われたから」
「す、すみません……」
「だから何で謝るの」
 彼女は笑いながら髪を耳にかけ、それから少し真剣な表情になって言った。
「私がちょっとでも真顔になってると『怒ってる?』とか言われるの。私だって人間なんだから笑ってない瞬間くらいあるのにね」
 言いながら笑う彼女はいつもの——カメラの前での笑顔でも友人に笑いかけるときの笑顔ではなかった。どこか諦めているような、そんな笑顔だ。私は彼女にかける言葉が見つからず、黙ってしまった。私だってどこかで彼女を〝特別〟だと思っていた一人だ。
「ごめんね。愚痴っぽくなっちゃった」
 申し訳なさそうに謝る彼女に私は首を振った。彼女が謝ることなんてない。謝らなければいけないのは私を含めた彼女の本質を見ようとしない全員だ。
 私は何かとても強い意志に突き動かされ、気がつけば言葉を発していた。
「じゃあ……この機会に皆にも知ってもらいませんか?」
「え? 何を?」
 きょとんとなる彼女に私は彼女をまっすぐに見つめて言った。
「星宮さんの魅力は笑顔だけじゃないってことを皆に知らしめましょう」
 これからは無理して笑わなくていいんだと彼女に言ったつもりだった。しかし、彼女の方は違う受け取り方をしたらしい。
「あはは。今更恥ずかしいけど……紬ちゃんとならできるかも」
「え……?」
 そこでどうして私が関係してくるのか、すぐに答えが出なかった。
「紬ちゃんが描いてよ。笑ってない、本当の私を」
 彼女の瞳の奥に強い意志を感じ、私は大きく頷いた。それから絵筆を握り直し、キャンバスに向かった。
 彼女はすでに笑うことをやめていた。視線は私ではなく、窓の外を向いていた。夕日に照らされた彼女の横顔は今まで見た中でも一番綺麗だった。
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2023/2/4 トゥーライ お題「モデル」
初公開日: 2023年02月04日
最終更新日: 2023年02月04日
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