天立甲が好む役者という観点で見るならば、竺川葵士は真逆と言ってよかった。
「よう、三下役者。燃え盛る舞台は楽しかったか?」
劇団百花の再起がかかった新作舞台『焦土の摂理』の初日が終わり、葵士は甲からそう声をかけられた。
「楽しいわけないですよ。熱気に巻き込まれないようにするだけで疲れるんですから」
ふうとため息をつきながら答えると、甲はいつも通り意地の悪い顔で笑う。
「巻き込まれれば良かったんじゃないか?」
「そうしたら誰が舞台を整えるんですか?」
「別に摂津でも問題ないだろ。あいつは舞台を暴走させるタイプじゃないからな」
「それはそうですけど、だからって僕が手綱を放していい理由にはならないでしょう」
「まったく……だからお前はいつまでも三下役者のままなんだよ」
三下役者。葵士を評する時、甲はいつもその言葉を使う。言われたからと言って特に今更何も思わないが、だからと言って嬉しい訳でもない。
特に、今の今まで散々万里や十座を(甲にしては)べた褒めした後だから、多少思うところがない訳でもない葵士だ。
「……じゃあ、甲さんはなんでこんな三下役者をいつまでも使ってるんですか?」
「!」
葵士の質問に、甲は微かに目を見開いた。葵士は普段何を言っても動じない。それが面白くもつまらなくもあったのだが、今日の葵士の反応は意外だった。
「――お前はなんでだと思う?」
聞き返すと、葵士はあからさまに不機嫌な顔をした。
「答えたくないなら別にいいです、興味はないですし」
そう言って駄菓子を取りに行こうと立ち上がった葵士の頭をぐりぐりと頭を撫でて、それを遮る甲。
「ちょっ、何するんですか?!」
「別に? 拗ねたガキにご褒美あげただけだ」
「誰が拗ねたガキですか……ご褒美なら、そんな乱暴なものより駄菓子ください」
「あげただろう?」
「だから今から取りに行くんです、邪魔しないでください」
そう言って甲の手を振り払った葵士はもういつもの葵士で、甲は軽く肩を竦めた後でボソッと言った。
「『――泉は流れる所を知らずにあふれ、鶏は卵を生んで生んで歳をとつてゆくのだ。』」
葵士は振り返って、「……誰ですか、今度は」と一応尋ねることにした。
「武者小路実篤、『泉』」
「そんな華族出身の才能溢れる人間の言葉なんて、僕には響かないですよ」
そう言って今度こそ行ってしまった葵士に、しかし甲は楽しそうに唇を歪めた。
「俺が鶏なら、お前はひよつこだな」
●
初めて桂樹に連れられた葵士を見た時、甲は(天立桂樹が好きそうな役者だな)と思った。
脚本読解力が高く、表現が繊細かつ堂々としていて美しい。なにより、演出家の言うことに忠実で従順。面白みのない役者の見本のような少年だった。
桂樹が気に入って舞台によく起用するから一緒に芝居をすることが多かったが、その印象はさして変わらなかった。ただ――そう、彼は変わらなったのだ。
多かれ少なかれ、甲と一緒に舞台に立った役者はその圧倒的な熱量に影響を受ける。
それが甲に負けまいと奮起する良い影響のこともあれば、甲には敵わないと委縮して舞台装置となり下がってしまう悪い影響のこともある。
しかし、葵士にはそれが全くなかった。甲がどんな凄まじい芝居をしても、それを受けきって自分の芝居を淡々とする。
それはまるで泉に熱した鉄を浸しているかのような妙な虚しさと快感があった。
滾々と湧き出でる泉は、熱した鉄で少し蒸発することはあるが、温度も変わらなければ勢いも揺るがない。そして鉄もまた、泉に冷やされた程度では色も形もなにも変わらない。互いに交わるのに、お互い何も変わらない。それが――不思議と心地よいのだ。
「……カブトさんが葵士のこと気に入ってんの、なんか意外」
「ほう」
舞台の中日、ふとしたタイミングで、万里がそう呟いた。甲は面白そうに目を細める。
「なぜそう思う?」
「だって、カブトさんが好きな役者って、兵頭みたいなヤツなんだろ? 葵士って真逆じゃん」
それをこの短い付き合いの中で看過する万里を、甲は好ましく思う。勿論顔には出さないが。
「摂津はあの三下役者をどう思う?」
「三下役者って……あいつは普通にすげー役者だろ。とにかく受けんのがめちゃくちゃ巧い。それでいて芯の通った芝居するし、全体がすげー見えてる。こっちの意図を汲み取って、即座に対応できる技術も度胸もある。演出家目線で言ったらむちゃくちゃありがたい役者だ。だからこそ――カブトさんは面白くないんじゃないか? 前に似たようなこと、俺に言っただろ?」
「そうだったか?」
甲がとぼけると、「覚えてねえのかよ……」と万里が呆れた。甲はそれには答えず、以前葵士に投げかけた武者小路の詩を詠んだ。
「……とりあえずそれっぽいこと言って誤魔化す手法、面倒だからやめてほしいんすけど」
「俺としては簡潔に答えたつもりなんだがな」
甲の飄々とした答えに「どこがだ……」と呆れつつも、万里は素直に今読まれた詩について考える。
「…………要は、カブトさんは葵士に期待してるってことか」
「ほう……お前はそう解釈するのか」
「この詩のキモは、『だが何処かで、ひよつこがかへるかも知れない。』から『毎日々々生みつぱなしにするのだ。』ってとこだろ? つまりは、カブトさんが葵士に期待してっから、傍に置いて色んな芝居を見せて、やらせてるってことじゃねえの?」
万里の答えに、甲は目を閉じて小さく笑った。
「……さあ、どうだろうな?」
そんな甲に、万里もニヤリと笑って言う。
「……珍しく、全然誤魔化せてないぜ?」
甲は目を閉じたまま、詩の一節を諳んじた。
「『生むのは私の任務だ。それを食べるのは誰かの任務だ。食べられなければ、くさりもするだらう。』」
「『だが何処かで、ひよつこがかへるかも知れない。』」
甲が詠うと、万里がそれを継いだ。甲は満足そうに頷く。
「そういうことにしといてやる」
「結局答えになってねー」
そう言いながら、万里は思った。
(案外、このコンビはいい関係なのかもしれねえな)
万里と十座が互いに『死んでも負けたくない』と変わっていくのに対し、甲と葵士は互いに存在を確立することで芝居を研ぎ澄まし合っているかもしれない。
――それはまるで、砥石と刃のように。【終】