ヴァンパイアにとって、血を吸うことは食事であり、また娯楽でもあるという。
 食事そのものが娯楽という意味でもあるが、吸血行為自体が、そうらしい。よく譬えられるのは狩りだけど、中には自慰行為と同じ快感を得られるのだと言って憚らない者もいる。人間かぶれなんかは「特に生娘の血は麻薬のようなもの」とまで謳っている。
 ――よく分からない。
 わたしにとって、吸血とはただの食事だ。味の好みもない。ただ生きるのに必要な行為だからやるだけ。それが娯楽だと言われても全然ピンとこないのだ。
 だって楽しくない。気持ちよくもない。腹が満ちて命を長らえた実感以外になにも得る物はない。そんなことに嬉々として励む同属たちのことが、わたしには分からなかった。
 人間かぶれの同属から、ワインよろしく保管してあった生娘の血をもらったこともあったけど、わたしにはそれが男や老人の、もっと言えば牛や馬のそれとなにが違うのか、まるで理解できなかった。
 もしかしたら、わたしはヴァンパイアとしてあるべき感情が欠けているのかもしれない。
 果たしてどちらが正しいのだろう。血を吸うことに耽溺した結果人々に狩られていった彼らと、必要以上に血を吸わないでいたために未だ生き長らえている無為なわたしと。
 この頃などは電灯とやらで夜中だろうと明るい場所ばかりだ。夜だからと警戒を怠った同属たちはあっという間にハンターに狩られていった。ここ十数年は同属を目にしていない。
 ひょっとしたらわたしは最後のヴァンパイアなのかもしれない。それがヴァンパイアらしくもないわたしっていうのは皮肉だけど。
 ……またいつもみたいに悩んでいるな、と溜め息。こういうことを考えるのは大抵空腹の証拠だった。
 まぁいいや。いつものように適当に食事を済ませよう。
 雑食のわたしは人に限らず家畜でも充分なのだけど、ちょうど折よく女が歩いてるのが目に入った。
 もはや地上は天から照らし付ける満月の灯りよりもなお明るい。おまけに地面はコンクリートに舗装されていて、大地よりも靴の音を響かせる。飛ぶのが得意じゃないわたしには向かない狩場へと、町は進化していた。
 けれど、それでもわたしはこうしてひっそりと生きていけてる。
 わたしは体を無数のコウモリに崩した。
 そのままわたしの体――コウモリの群れは鳴き声を発しながら女へと突っ込んでいく。
 女は振り向き、驚きの表情を浮かべて小さな悲鳴を上げる――その脇を群れは通り過ぎていく。
 背後に回ったわたしは群れを集わせ肉体を再構成し、そのまま首元へと噛み付いた。
 ……作戦は単純。恐怖ではなく驚愕を。棒立ちではなく反転させてその後ろを取る。悲鳴や抵抗を最小限に抑えて食事を済ませる、ただそれだけ。
 わたしたちの牙は麻酔のような物質を分泌し、痛みを和らげ筋肉を弛緩させ、眠りに落とす。そのまま全身の血を吸う輩もいたもんだけど、わたしは小食だから必要以上を摂らなかった。
 だから今日もいつも通りに牙を立て、溢れ出した血を飲み下す。
 ――途端、わたしの頭は真っ白になった。
 初めての、味。
 いや、本当にこれは味なのだろうか。
 とにかくその血を飲んだ瞬間、わたしの舌は、口は、咽喉は、頭は、心の臓腑は、これまでにない至高の恍惚を得た。
 これまで摂取してきた血は全部ドブだった。わたしは初めて味というものを知ったのだ。
 あぁ、分かる。これは娯楽だ。全身の血を飲み干してしまうほどの。
 もっと。もっと。
 わたしは更に強く噛み付き血を流させる――
 その時、がつんという衝撃が頭を横殴りにした。
 浮遊感――全身が叩き付けられる衝撃。
 ぐぅ、と悲鳴が口から零れる。わずかな間、わたしは痛みと衝撃とで、なにが起こったのか理解できずにいた。
 ……一体、なにがあった?
 ようやく頭に上った血が下がり、普段の思考が戻ってくる。
 よもや現を抜かしてハンターに見つかったか?
 身を起こして周囲を警戒してはみたけれど、女以外に誰の姿もない。ただあの女が未だに一人で立っているだけ。
 ……いや。
 なんで女はまだ立っている?
 牙の分泌液は人間が抵抗できるわけもないのに……
「う……うぅ……」
 ――あぁ。
 分かった。理解した。
 ざわざわと、女のシルエットが変わっていくのを見た。
 女の長い黒髪から生えた。獣の耳が。
 女の腰の下から生えた。獣の尾が。
 そうして女は、満月の下で遠吠えを上げる。
「……ウェアウルフ」
 その名を口にすると、女は反応するように振り向いた。
 端正な顔をした女の、黒い瞳がわたしを捉える。
 ――女は、笑みを浮かべた。
「……君、ヴァンパイア?」
 こつこつと靴を鳴らしながら、ウェアウルフは挑発的に呼びかけてくる。
 まさか異種同業者だとは。流石の馬鹿力だ、立ち上がるのが精一杯。このダメージじゃ逃げるのは難しいだろう。これは非常にまずい……
「ねぇ」
 とうとう女はわたしの目の前に立った。
 ……あぁ、死ぬのか。わたし。
 それも仕方ない、か。結構長生きできたんだし。終わり方がこんな間抜けなのは馬鹿みたいだけど。
 せめて一矢だけでも報いてみようか――そんな悪戯心めいた感情に見上げようとした時、手を取られてぐいっと引き寄せられる。
 女に抱き付くようによろけ、その意図が分からず今度こそその顔を見上げる。
「ヴァンパイアさん――私の血を全部吸ってくれる?」
 その瞳は、星空のように黒く輝いていた。
 さっきの味が、わずかに思い出される。
「……え?」
 かけられた言葉を理解できずにポカンとしていると、遠くから人の気配が近付いてくるのを感じた。
「ありゃ、結構騒がしくやっちゃったもんね」
 ウェアウルフも気付いたらしく、小さな溜め息を吐いてからわたしに手を伸ばす。
「よっと」
「はっ、え、ちょっと」
 なんで抱きかかえるのさ?
「その怪我じゃ逃げられないでしょー。襲ってきたそっちが悪いけど私も怪我させちゃったし、これでお相子ってことで」
「そうじゃなくて、いやそうだけど」
「そんじゃー舌噛まないようにね」
 ウェアウルフがそう言ったかと思うと、どんという音と共に強い風が吹き付けた。
 一瞬の風圧に瞑った目をそろそろと開く。
 目の前には満月に照らされたウェアウルフの顔。
 見下ろせば、高速で映り変わりゆく景色。
 ……いつも通りの日々は、この日を境に変わっていくのだろう。そんな予感がした。
 しかしこの時ばかりは、わたしを抱えるウェアウルフのきれいな顔を、見上げていることしかできなかった。
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やが君ワンライ75
初公開日: 2022年11月01日
最終更新日: 2022年11月01日
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