ウェンドリンが夢に見たのは、白い騎士だ。
 岩だらけの戦場で、ひとり剣を振るい続けている。矢が乱れ飛ぶ。火が、魔術が、見たこともない生物が、戦場を駆け巡っていた。
 この夢の末路は、いつも決まっている。
 神授ならぬ騎士の身に、やがて矢が届く。敵の刃が、いくつかは掠り、さらにいくつかは、血を流させる。それでも騎士は戦い続ける。地を揺るがさんばかりの鬨の声で、己を鼓舞する。血が流れる。血が流れる。限りある命が、流れ落ちていく。
 最後の一撃がどれなのか、もはや意味はなく。
 ウェンドリンは、騎士が斃れるのと同時に目覚める。
 戦いの日が、刻一刻と近づいている。
 テオルがホルムに帰投してから、街の士気は高まる一方だ。志願兵は後を立たず、公国からの援軍も続々と到着している。
 そんな状況にも関わらず、ウェンドリンは毎夜不吉な夢を見る。自軍が負ける不安ではないことが、領主の娘の良心を痛めさえする。
(……あの騎士は父上だ)
 公国の諸侯を出迎えながら、火車騎士団の誰かをアルソンに紹介されながら、――カムールに、出生の秘密を告げられながら。
 ウェンドリンはもはや確信していた。父カムールは戦場で死ぬさだめ。
 騎士として、父と共に戦うのは、やぶさかではないつもりだった。あの夢を見ていなければ、ウェンドリンは無理にでも、共に戦場へ行くと言い張っただろう。未来を確信して言葉に詰まったまま、置き去りにされることは、なかっただろう。
 騎士のウェンドリンには何の力もありはしない。あんたが必ず死ぬと言ったところで、歩を止めるカムール・グリムワルドではない。
 貴族のやり方では、決して父を救えない。
(この戦が、起きる限りは)
 ウェンドリンは、一騎当千の戦士である。
 ホルムに帰投したテオルがまたがっていた、あの鉄馬をすら笑えない。あの場でもっとも血を浴びていたのは誰か? 怒れるホルムの娘御である。兵を率いる貴族のいくさではなかった。落命を許されぬ未来の君主の姿でもなかった。ウェンドリンが出来るのは、いつも、ひとり剣を振るう戦士のやり方だけだ。
 荒野で生きる術を知っている。右手で櫂を操りながら、左手で、するりと百手の水魔の額を貫く。
 魔性の言葉を知っている。人を率いていくさをすることは出来なくとも、稲妻どもを精神の威力でねじ伏せ、己の小間使いとすることは出来る。剣の先から、雷鳴が走る。
 ウェンドリンのまことの家族を喰らって暮らしてきた魔獣は、そのようにして仇を討たれた。
 走った。殺すことしか出来ない腕で、どうにか父を救うために。
 ひとり走った。ホルムの誰ひとり、これまで行を共にしてきた仲間達の誰ひとりにも、合わせる顔がないと思った。
 間に合え、ああ、どうか。
 神ならぬものへとそう祈った。剣を置いて手を伸ばし、はっきりと誓った。
「神帝タイタス、御身の力を揮いたまえ!」
 ウェンドリンが最後に見たのは、赤い部屋だ。
 その色彩に圧倒されて一瞬。遅れて強い血臭が漂っていることに気付く。さらに遅れて、ここは一体どこだろうと、浮き世離れたように考える。
 自分は、地下の墓所から出て、一目散に我が家へと――伯爵邸へと、走っていったはず。目の前には、大机。宴のような席の、しかし座した人々はみな、血を吹き出して絶命している。――酸鼻極まる光景だが、その調度は、構造は、ウェンドリンが育ってきた我が家のものだ。
 宴席の主がいるべき席には、見知った人影が二つ。
「遅かったな」
 この場でただ一人の生者であるレンデュームの若長は、そう言ってウェンドリンを出迎えた。彼の手元で、今まさに。公子テオルが、頸動脈を切られて、死んでいた。
「……どういうこと?」
「お前が姿を消してから、いくさがあった。伯爵が娘に慈悲をかけたと思っていたが……どうも違ったようだな」
 とっさに、絶命した騎士たちを見た。ほとんどは火車騎士団の衣装で、顔の区別はつかない。カムールがいるようには見えなかった。
「父上は、」
 縋るように口から言葉が滑り出て、
「生きていると思うか?」
 影の戦士は、すぐにそれを叩き落とした。
 ――嗚呼。
 ウェンドリンは、すぐに悟った。タイタスの魔術が掛けられた遺跡では、時の流れさえ自由にならない。これまでだって、あったことだ。それと同じだ。
 謀られた。ウェンドリンがどれほど忙しく足を動かそうが、同じことだったのだ。制御できない月日が、地上で流れ去っていた。
「公子はすっかり求心力を失った。せめて、ホルムの僭主討ち取ったりと首を上げて、我々の存在感を示すつもりだったが……」
 ギュスタールは、重苦しい死骸を引きずって、ウェンドリンの方へ歩きだした。
「お前がいるなら、話は別だ」
 ……この街に内戦を起こしたくはないだろう? そのように続けて、男はウェンドリンへ、力をなくしたテオルの骸を突き付けた。
 ウェンドリンは、テオルの白濁した眼を見つめた。顔を上げて、変わり果てた我が家を見つめた。つと、意識を広げれば、動乱のさなかのホルムの街が、見える気がした。
 すべての元凶は、自分自身だ。
 謀りごとは千年の昔に遂げられて、ウェンドリンの物語はこれでおしまい。
 テオルの威信は戦において大いに高まり、その瞬間から凋落が始まった。
 まず、戦勝の演説台が彼の足元から崩れて落ちた。いかな安普請の台とはいえ、それだけは起こらないようにと、彼も気を使っていたはずのことだった。
 鉄騎兵が、今度こそ本当に動かなくなった。彼が遺跡と結んでいた超常的な繋がりが失われたのだ。護衛として共に遺跡に赴いたことのあるギュスタールは、製法の秘密は理解できなくとも、本質的にテオル自身が鉄騎兵を支配しているわけではないことを知っていた。
 それでも、テオルはきわめて慎重で、狡猾であり続けた。演説台から尻餅を付いても、笑って補った。多くの力を失って動揺著しかっただろうに、そんなことは無いように振る舞った。「こんな時こそ、貴公らの力が必要だ」と、ギュスタールの肩に手を置きさえした。
 しかし、異変は止まらなかった。遺跡の力はテオルから去ると共に、彼の精神に何らかの打撃を与えていったようだった。
 雨の中、ぶつぶつと何事か呟きながら、延々と広場のオベリスクの周囲を歩くことがあった。従兄弟の顔を見て、何かと見違えたように、悲鳴を上げることがあった。父である大公逝去の報を受けて、何事か失言したとも聞いている。
 そんな様を見て、人心は乱れた。多くの志願兵と同じように、レンデュームの戦士たちがテオルと交わした契約も、当座の口約束に過ぎなかった。その相手が正気を失ったとなっては、如何ともしがたい。
 動揺する同志を、ギュスタールは数度、刃をひらめかして鎮めなければならなかった。
 連れてきた戦士の中で唯一、先のラルズーエ戦争を経験したという年長者が、「御老公を害すほどの価値が、あの男にありましょうか」と、諫言した。
 ギュスタールと出会ったとき、テオルは確かに覇者の気風を持っていた。それを否定する者は、今でも戦士達の中に一人もいまい。
 ――何があったのだろう? 唾棄すべきことに、ギュスタールはこの感覚に覚えがあった。すべては自分の預かり知らぬうちに決まり、物事は動き、人の心は変わる。――屋敷のどこを探しても、ホルムのどこを探しても、姉の姿は見つからないままだった。
 レンデュームの戦士たちは、雑多の傭兵と同様に、かつての火車騎士団から侮りの視線を向けられた。その内のいくらかはテオルの後を襲おうと画策し、いくらかはより乱暴な振る舞いに走った。
 戦士たちは、勝ち馬を探してさ迷っていた。己に轡を食ませ、勲章を与えてくれる貴族を求めていた。ギュスタールは、自分がその流れの中に身を投じていたことを、否応無くなく自覚させられたのだった。
 永遠に思えるほど昔のことだ。
『――それなら、豚を捌けるね』
『……は?』
 ホルム伯の命でやって来た、とだけ名乗った女が、そんなとぼけたことを言った。
『ここに来るまでに、逃げ出した豚と争いになってしまって。この人数では肉も余らせてしまう。しかし人里に戻るには時が足りないと思っていたところで』
 剛力の女は、たしかに綺麗にひっくり返った豚を背負っていた。
 じっとりと腹が立った。こちらは少ない蓄えを削りながら、ひりひりとした毎日を送っていたというのに、豚とはなんだ。それを軽々しく背負う、頓狂な風体は何事だ。
『……まあいい。だが、大猿に手を出そうとは思わんことだな。彼らはおれたちの同志だ』
 しかし結局、突然の小さな宴は違いなくレンデュームの民を和ませた。姉も時々あのようにして、人々を安らげることが出来る。――少し後に、女の素性を姉から告げられたとき、ギュスタールはそのように直感した自分をどう思えばいいのかわからなくなった。
 ギュスタールは、貴種の心を忘れたことはない。自分に人を統べる才覚がないことを、なかば自覚しつつあってさえ。
 この女は、いつも来るのが遅い。
 ――それとも、『ちょうど良い』のだろうか? 魔術師でもない身には星辰など測れない。けれど後から振り返ると、物事がまるで物語のように連なっていくように思うことがあった。
 血濡れの晩餐会の中に、ホルム伯の嫡子、この土地のもっとも正統な後継者が、呆然と立ち尽くしていた。
「選べ。おれたちと共にテオルの残党を狩るか、否か」
 彼女の後ろに、ギュスタールと共にこの殺戮を行ったレンデュームの戦士が二人、潜んでいる。何か口応えするようなら、挟撃して殺すことが出来る。
 ウェンドリンが顔を上げて、ギュスタールを見た。
「お前が私に、そう命じるのか」
 瞬間。ギュスタールは、彼女から殺気めいた気迫を感じた。入っていなかったはずの間合いに、既に捉われていることを自覚した。――彼女は尋常の剣士ではない。レンデュームの戦士の機敏さともまた異なる、魔術めいた太刀の軌道を見たような気がして――自分の首が繋がっていることで、それが単なる幻視に過ぎないと気付いた。
「不忠者即ち殺すべしとはよく言ったもの。父祖の代からの縁故を曲げておきながら、跪いた相手をもう裏切ったのか」
 ウェンドリンは、刷いた剣に手をかけてもいない。背後に控えた戦士たちは、彼女に切りかかろうとした。――敵うわけがない。手で制すのが、なんとか間に合った。
 ――煩わしいことに、ギュスタールはこの感覚を知っていた。
 出会った頃のテオルは、貴族の尊大さと戦士の荒々しさを兼ね備え、馬上から人を見下ろして憚らない男であった。しかもそれに、何の後ろめたさもない。彼と言葉をかわすうち、そんな振る舞いにこちらも納得してしまうような気風を持った人物であった。
 ウェンドリンは、頭一つほどもギュスタールより小さい。己の足二本で立っているだけだ。
 それが、在りし日の大人物のごとき威容を感じさせるとは。
(……それで?)ギュスタールの、どこか冷静なままの部分が、呟いた。(こいつもいずれ、阿呆になるのか?)
 答えは出なかった。わからなかった。自分の人を見る目など、もはや信用できなかった。それでも、今にも剣を抜かんとする女に、答えなければならない。
 貴族の腹芸は、苦手だ。
「……返り忠など、するものかよ」
 言ってから、自分の声の小ささに驚いた。黒衣には血が染みついて、重苦しかった。荷物を投げ捨てるように、ギュスタールは目前に掲げたテオルの死骸を、首だけ残して切って捨てた。
「我が主。これなるは御父上と我が祖父を斬った大罪人。遅ればせながら、仇を討った次第です」
 初めて他人に跪いた。そうしてから、かつてのホルム伯カムールが、こんな形で自分に臣従を要求したことがないことを、ぼんやりと思い出していた。
 鞘走る音がした。テオルの遺骸から、ウェンドリンが剣を奪う音だった。
 一閃。
 激しい痛みが顔の左側に走った。はっきりと目を狙った、浅い傷だった。殺意はない。
 一週間前のギュスタールならば、それでも声を上げて呻いたかもしれない。今は堪えられた。身体はこれほどの傷を受けなくとも、誇りが幾度も幾度も傷つけられていた。『山猿』とは、故郷では見どころのある若者を指す言葉で、この土地では侮蔑でしかないことを知った。
「……我が父を守れなんだ不作為、それで許す」
 ばたばたと血が落ちるままの剣を、ウェンドリンはギュスタールの肩に置いた。
「今この時より、お前を騎士に任じよう。付いてこい。戦は終わっていないぞ」
「……御意」
 重かった。傷ではなく、主の言葉に押し潰されそうだった。剣が体から離れたとき、ギュスタールは、袈裟懸けに斬られて絶命する自分の可能性を、羨望と共に見送った。
 夜明けまでは、まだ時がある。ウェンドリンの帰還は、テオルが演説の前にしたようないくらかの準備の後に、大々的にホルムに告げられることになるだろう。彼女はホルム伯を名乗り、今のような威力で多くの家臣を得るだろう。おあつらえむきに、大公逝去の報に大貴族は地理的にも心理的にも散らばったままだ。
(いちばん強い奴に付くと、決めたじゃないか)
 左目は、じき視力を失うだろう。なんのことはない。体が欠けた際に備えた訓練も、ギュスタールは十分に受けている。例えばそう、片目を隠した岩飛びを、遊びのように彼に伝授したのは誰だったか。
 ――姉の顔が浮かんだ。ウェンドリンと同時期に行方をくらまして、それきりだった。遺跡で共に死んだのではないかと囁かれていた。身内の情にばかりかまけるべきではないと、家臣の前では気に掛けていることをひた隠しにしてきた。
 なぜ、彼女を伴っていないのか。聞けるだろうかと思って、すぐに呑み込んだ。
 ギュスタールが黙っていたのは、何も若長としての責任感だけではない。殺しは静かにするもので、私情はなるべく漏らさないもの。
 それが、賢い戦士のやり方だ。 
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