車のエンジンを止める。少ない荷物を手にドアを開けると、冷たい夜気が頬を撫でた。
やはりこの季節になると寒さが身に沁みてくる。それでもわたしは変わらずここに足を運んでいた。
勾配のある傾斜に歩みを進めれば、開けた場所に出る。
そこからは、地上の星が見えた。
ちかちかと、絶えることのない星々。天上の星と違いはどこだろう。そんなことを考える。輝き続ける長さだろうか。それとも輝きの強さか。
ほぅと息を零すと、雲が湧いて消える。
……静かだな。
当たり前の事実を確認しつつ、懐から取り出した缶コーヒーを開けて口を付けた。コーヒーの温かさが、吐き出した雲をより濃い物にする。
ほぅ、と。わたしはなにをするでもなく、柵に寄りかかって、ただ夜景の眩しさに目を細めていた。
誰と連れ立つこともなく、一人で。
……折り返し、かぁ。
燈子が公演のために家を空けてから一週間が経った。中々に先は遠い。
そういう時、わたしはこうやって夜のドライブをするようになった。燈子にはまだ打ち明けてない、趣味というよりも習慣みたいなもの。
言ったところで燈子、勝手に思い詰めたり予定をぶん投げたり卒倒してしまいそうだから言わないだけで。いやそこまではないとは思うけども。
大学を出て同棲を始めて二年ほど。その間も当然なんども同じことはあった。
なにか文句があるはずもない。燈子は燈子の人生を歩いてるんだから。同じ船に乗ってるんじゃなくて、別々の船で並走してるだけだもの。
でも、じゃあ寂しくはないのかというと、そういうことはなくて。寂しさ自体がなくなることはない。
二人の家に一人でい続けると、途端に広々と、寒々しく感じてしまう。
それでも二年も経てば寂しさとの付き合い方も分かって一人の時間に慣れてくるし、向こうだって一人で遠征するのを寂しく感じているのだと知っている。燈子は特に寂しがり屋だから。……まぁ、わたしも人のことは言えないんだけど。
だけど、わたしは社会人になって、燈子はプロの役者。一緒にいられる時間は学生の時よりも長いものの、予定なんかを立てにくくなった。以前みたいにドタキャンされるようなことこそなくなったけれど、それは燈子のスケジュールが詰まってる裏返しだ。
忙しい中でも燈子は無理矢理わたしとの時間を作ってくれてるけれど、遠方での公演だと家を二週間空けることもちょくちょくある。そういう時は毎日メッセージを飛ばしてくるし、電話もかけてくる。
だからその分、家でゆっくりできる時は、互いにだいぶわがままを言ってくっ付いてたりする。あるいはそれは、本人が前にいないとわがままもできない反動なのかもしれないけれど。
それはもちろん嬉しいことだ。一人と一人が共に生きていくのがどれほど大変か、一緒に暮らしてるから分かる。
ただ。
……羨ましいなぁ。
したいことがあるのって。
わたしは燈子やこよみみたいに打ち込めるものが特別あるわけじゃない。この歳になってもそういうところは相変わらずだ。
いや、やりたいことがまるでないわけじゃない。
がんばる燈子を支えたい……そういうことがやりたいという思いは当然あるけれど、なんかちょっと違う気がする。だって燈子のマネージャーや裏方なんて選択肢もあったのに、就活の時のわたしはそれを考えた上で選ばなかったから。
なんていうか……すごく誤解されるような言い方ではあるけれど、語弊を恐れずに言うとすれば……燈子とは関係のないものを欲してる気がする。
それはきっと、燈子が舞台に打ち込んでるのを見てるから。
燈子みたいに、なりたいわたしを見つけたいから。
……難しい。
あの頃欲しかった星は、すでに手の中にある。
ただ人は恋愛だけで生きていくんじゃないわけで……それを手にしてしまったわたしは、今そこに直面してるんだと思う。
学生時分はまだ同棲もしてなかったからそこに気付けなかったけれど。
わたしにとって、あれほど欲しかった「好き」は、一側面でしかないのだと。燈子を見て知ったから。
つまり結局のところなにが言いたいのかというと、燈子がこうやって留守にしてる間、わたしは暇だということだ。
ゲームは時間こそ潰せるけど熱中するほどじゃないし、本は熱中できるけども社会人になるとまとまった時間を取りにくいし。
せめて一人でできる趣味とかあればいいのかもしれない。
そうして始めた一つが、夜のドライブだった。
趣味、と言えるのかどうか、まだ分からないけれど。
まぁ悪くはない。運転すること自体は好きだし。
……さて。コーヒーも飲み干してしまったし、体も冷えてきた。そろそろ戻ろう。
そう踵を返しかけたところでわたしは足を止めて、スマホを取り出す。
振り返って見える街並みは、別に名勝でもなんでもないごく普通の夜景。
それをわたしは撮って燈子に送ってから、車へと戻る。
エンジンをかける。車を動かし始めたところで、スマホが震える。
画面を見たわたしは一度車を停めて、スピーカーモードにしてから電話に出た。
「もしもし燈子?」
再びアクセルを踏む。車が夜を疾走する。
車内はまだ寒いままだけれど、体だけは声を聞いてる内に温まってくる。
一人だけのドライブはいつしか、二人になっていた。