「お母様は、いつも双子を生まれるるの」
 皇女は歌うように言った。薄絹の上からでも、陽気に微笑んでいるのがわかる。
「魔性の血が濃い子が特にお気に入り。生まれてすぐに食べてしまわれるのよ。もう少し長く生きていられそうな子は、各地に送って神官にするの。おととしの妹は、何処だったかしら? ……ああ、そう! 思い出したわ、珍しく頭が一つで、左右にとても大きかったから、賢者の象徴として輿でシバに行ったのよ!」
 その口ぶりは楽しげで、後ろ暗さなど微塵も感じていないようだった。
 時季を問わず、彼女はタイタス七世唯一の娘と呼ばれる皇女である。シバの大地で生まれ年の棺に入れられ、墓碑もなく眠る『子供』をきょうだいと呼ぶのは、おそらく彼女だけだろう。
「だからわたしも双子なの。だってたった半年で弟が生まれたの、不思議でしょう? 身体は二つになったけど、四つの腕に四つの足。二人合わせて目玉も四つ。間違いないわ、わたしたち、元はひとつだったのよ」
 そこで皇女はいたずらっぽい笑みを浮かべて、そっと頭を覆う薄絹を持ち上げて見せた。
 皇女の両の瞳は、孔雀の翼を思わせるグラデーションで一本一本彩られた長い睫毛に彩られている。それも赤い瞳の快活さを隠すには足りず、しかも、皇女が見せようとしたのはそのどちらでもないのだった。
「ダーマディウスさん! きょうだいが皆行ってしまうから、わたし、あなたが来てくれてとても嬉しいの。あなたとは何でも話すお友達になりたいわ!」
 彼女の額の中央はわずかに膨らんでいる。ぐいと顔を近づけられて、そこにほとんど産毛のような睫があることに、皇女に第三のまぶたがあることに、のけぞった男はようやく気づいた。
「お母様はご存知ないの。産婆には見えなかったのかしら。弟は、わたしが魔術を行う時に時たま開くと言うのだけれど……自分ではよくわからないわ……あら、どうされたの?」
 皇女の笑みが、ふと陰った。ダーマディウスの顔を、子供のような素直さでじっくりと見つめてから、しょんぼりとした様子で絹を被って身体を背ける。
「ごめんなさいね、わたしが話してばかりだわ。皆にも言われるのよ、弟の方がずっとおしとやかなの。弟は……ああ、ごめんなさい、またわたしったら!
 ねえ、ダーマディウス、あなたの話を聞かせてちょうだいな。きちんと聞くわ。お母上はどんな方? 棟梁はお父上なんでしたっけ? あなたにきょうだいはいらっしゃるの?」
 上目使いの皇女が、そう言い終えて口を噤むのが、その前から恐ろしかった。恐る恐ると言った様子になった微笑みが陰るところを、見たくないと感じた。
 とはいえ、ずっと彼女が話していても構わないと正直に述べるような教育も、ダーマディウスは受けていなかった。
 何を話せばいいのか、わからなかった。 
「…………弟が、ひとり」
 
 それは、もっとも口にしてはならないことだった。ダーマディウスと名付けられる前の少年は、そのように育てられていたはずだった。
「まあ、わたしと同じだわ! どんな方? あなたと同じに、真っ赤のおぐしなのかしら。四人でお話できたらとても素敵ね!」
 皇女がそう返すと期待して、言ったのかもしれない。それなのに、ダーマディウスはそれ以上答える言葉を持たなかった。 
 髪は赤かったかもしれない。少なくともそう見えた。知っているのは全身真っ赤の姿だけ。
「……死にました。生まれてすぐに」
「まあ……」
「……母は、見上げたヘイオの妻でありましたので、とても、気丈で……」
 皇女は男に近付いて、撫でさするのを躊躇わない性分だった。
 励ましのようであり、そのような色はまったく無いようでもあった。何もかも知っているかのように、皇女は言った。
「わたしたち、本当によく似ているわ。エラカ人のご母堂も、魔性の子供を食らうのね」
「みな、僕が死ぬのを待っている」
 通りすがりに町娘から、憧れに潤んだ瞳で花束と共に贈られた焼き菓子を、皇子は躊躇なく河に放り込んだ。
 歩みを止めない彼の後ろで、魚や、水鳥がいくたりか、生気を失って水面に浮かぶ。
「もう誰もその目で見たやつはいないくせに、男帝の縁起の悪さは折り紙付きだ。かといって自分の家督は息子に継がせたい連中は、男子を差し置いて女子を推すのは気が引けるらしい」
 川面の惨状を、皇子は見もしない。軽んじられることに慣れた者は、やがて軽んじることにも慣れるようになる。ちょうどそのような様子だった。
「だから皆、姉上を独り子にしたいのさ」皇子はようやく足を止めて、振り向いた。「お前も可哀想に。僕に付いてもくれてやれるものは何もないぞ、人質よ」
 そう言って、無感動に花束を投げつける。こちらには『御用達』の菓子店の包み紙はなく、ただの花束だった。彩りを配慮して、香りも相性が良いように、丁重に編まれた民草の善意であった。
「……皇帝陛下より、ダーマディウスの名を賜りました」
 足元に溜まっていく花々をよそに、ダーマディウスはそれだけ言った。答えとはおよそ言えない言葉であった。
「すばらしい発音だ」皇子は片唇を持ち上げて笑った。「良い名だ。母上の産み出したものはすべて正しい。この僕だけが、産まれたときから間違っていた」
「…………」
「さんざ嫌味を言われてきたんだ。姉上が知らなんだことも、僕は知っている。なあ、エラカの子。お前の故郷では、このように醜い赤子は育てぬのだろう?」
 皇子の髪は、姉同様に油で櫛けずられてはいるが、引き伸ばされた糸のように細く脆い。顔の左側を覆うように伸ばされているが、完全に隠す用は果たしていなかった。
 隻眼というよりは、単眼である。皇子の左の眼窩があるべき場所には何もない。彼が一歩歩くたび、風が吹くたび、作りかけの彫像めいた平たい頬が晒される。実際に、彼の顔半分は石のように固いのだ。
 歪んだ笑みしか浮かべられない一つ目の皇子が、はたしてどのような姿で生まれたのか、ダーマディウスは想像すら出来ない。
「……法学は未だ学徒の身ですが『神々と皇統を深く敬うべし』とは、存じております。あなたを貶める者こそが、正すべき瑕疵そのものだ」
「……言うじゃあないか」
 大して嬉しくもなさそうに、皇子は言った。
「そうとも、それがもっとも重要な法だ。母上が作られた罪は数あれど、それ以前の不変の法だ。百年も前、祖父さまは神々に背いて死んだ」
 口元が開ききらない皇子の声には、独特の聞きがたさがある。皇女の言った「おしとやか」とはこういうことだろうと、既に当たりが付いていた。耳元で姉に囁いた内容を、良く通る声でお歴々に復唱してもらう、そんな姉弟の図が目に見えるようだった。
 ますます聞き取りづらい、震える声で、彼が何か続けて言った気がした。
「……なら、僕はなぜ殺される」
 少なくとも、問いではなかった。それを言い訳に、ダーマディウスは彼のことばをはっきりと聞くことを拒絶したのだ。 
* * * 
 へその緒が右腕に絡まって、指先はもう黒くなっていた。
 それだけだった。
 息もして、盛んに泣いていた。抱かされた身体は暖かく、柔らかかった。
 母がどんな顔をしていたか、覚えていない。父がどんな顔で命じたのか、覚えていない。
 聞こえる鳴き声がだんだんと小さくなる。森の中を一人で帰っていくからだ。先頃生まれた親族の赤ん坊よりも大きな声で、耳で聞くだけではたいそう健康に感じられた。
 一度、振り向いた。帝国のものよりもずっと作りの粗い太刀は、成人の証に授けられたもので、あの頃は肌身離さず持ち歩いていた。
 まだ、声が聞こえる。 
* 
 皇帝の産み出した双頭の子供たちは、各地で静かに眠っている。
 棺を河に沈めれば、美しい睡蓮の花が咲く。その花弁は完全な八葉で、蜜に宿る芳香は秘術の用に足る。
 地に埋めれば、どんな枯れた土地も真っ赤に実る。呪術師が遠方より押しいただいて、農鬼の糧とする。
 年経た棺を掘り起こすこともある。神像の基部に、彼らの骨が埋まっていることもあるという。 
 同じ母の腹から生まれたものを、野に捨てろと命じられた。
 何もなかったと思えと命じられた。
「弟は、わたしに無いものをみな持っているの」と、皇女が謳う。
 あの時、たしかに何かを捨てたから、ダーマディウスの記憶には何もない。
(エラカのしきたりは、エラカ人を育てるためのもの)
 自分から何が欠け落ちたのか、おのずから知る術はない。
(おれは、肉親の情けを捨てろと教えられたのだ) 
* * * 
 産室から悲鳴が聞こえた。
 二度、三度。悲鳴がやがて明らかに争う物音になっても、ダーマディウスは動こうとしなかった。
 『それ』が、察しの付いていたことだったからだろうか? 違う。
 産室に男子は罷りならんとの教えを守っていたためだろうか? それが全てではない。 
 悲鳴が皇女のものではなかったためだ。 
 やがて、青くなった医師が転がるように駆け出してきた。ダーマディウスの姿をみとめると、息せききって、何事か言葉にしようとするが、上手く行かない。
 そのうちに。
「ダーマディウス、そいつを殺して!」
 皇女の声がして、男は太刀を振るった。医師の首は一撃で落ちて、大理石の床に転がった。 
 やがて、その床を裸足でひたりひたりと踏みしめて、半裸の皇女が現れた。
 通例、皇族の出産は公開で行われる。ここ数十年のものとはいえ、定期的に出産を占術にあつかう女帝のならわしは、彼女の絶対的な権力の目に見える象徴のひとつとなっていた。
 皇女がその例に漏れた理由は、いくつもある。
 それでも、皇統にふさわしい衣装をまとい、幾人もの付き人を連れて出産に臨んだはずだった。
 荒い息を吐く皇女の右手には、血に染まった針が握られている。貫頭衣を肩で止める華麗なブローチをもぎ取って、皇女は助産師たちの目を潰し、喉を突き、心臓を貫いて殺したのだ。
「……ありがとう、流石わたしのダーマディウス。……どうか、もう一つだけ頼まれて」
 血まみれのままそう言う皇女の顔色は悪い。震える指が、用を果たした針を落として、甲高い音がした。左の腰に抱えた衣服の残骸を開いて見せる――その前から、中身に察しが付いていた。
「見て。お母様にそっくりよ」
 状況を知らなければ、それは赤ん坊には見えなかった。片手は二股に分かれていて、ぐるりぐるりと互いに巻き付いている。その様だけが、かつて見た赤子を思い起こさせた。しかし、無情な母親の臍帯からはきっぱりと切り離されている。
 皇女が我が子を見て母親を連想したように、この赤子は、きっと見た者の恐怖の鏡となるのだ。
「この子を、どこかに……隠してほしいの」皇女の声は畏怖に震えていた。涙さえ流して彼女は言った。「お母様に、見つかったら、くわれてしまう」
 この日まで、ダーマディウスは皇女の恐れを知らなかった。考えてみれば、当たり前のことだ。狼の牙を逃れた兎は、残りの生涯を震えて暮らす。ひとたび人を殺した人間は、やはり生涯を怯えて暮らす。重大な秘密を持つ者ほど、隠し事などまるでしない人間であるかのように振舞うものだ。
「必ずお守りいたします」
 何の根拠もなく言った。祈りの言葉のように、するりと誓いの言葉が滑り落ちた。
 皇女がほほ笑んだのを見て、ひどく救われた心地になった。
「そう、隠して……わたしには、斎宮の権限があるはずよ。墓所を、開けますから……お母様に、見つからないところ……」
 ぽつり、ぽつりと、皇女は言った。力無い腕を引いて、彼女が手で、声で、指し示す方向に向かった。
 ダーマディウスは残酷であった。皇女がまもなく力尽きるであろうことを、なかば悟りながら、ただ彼女の導きに従っていた。
「……そうだわ、」
 だから、皇女の指先がするりと抜け落ちたとき、彼女が倒れ伏すものかと思って、助け起こすために振り向いたのだ。
 ダーマディウスは瞠目した。
「お母様の方が、お隠れになればどうなるかしら?」
 一転、皇女の言葉に活力が宿った。つい数歩後ろには血まみれの足跡が残っているのに、なぜか彼女の素肌は珠の輝きを取り戻していた。それが自分でも信じられないように、手のひらを見つめる――瞳が、三つ。
「――殿下、」
 どのように指摘したものか逡巡しているうちに、皇女は彼の言葉を制した。
「わからないの、いいえ、わかっているわ、大丈夫。……なぜかしら、ずっと気が付かなかったのが、不思議だわ。今ならなんでも出来る気がする、わたし、お母様の子ですもの……いいえ、」
 往時のようにとめどなく話し出す皇女は、一見したところ、健康と快活さを取り戻したようであった。しかしその仕草には、何やら妖気めいたものが漂って、さながら、出産の儀の皇帝その人に似て見える。
 ――『血の女帝』と後に称される者が、二人いる。
 一人は、帝国全土を己の色に染め上げた、我が子を食らう長命の魔女。
「わたし、タイタスの娘ですもの!」
 いま一人が自分の運命に気付かなかったころから、ダーマディウスは彼女を知っていた。
カット
Latest / 90:42
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
【おわり】弱肉強食禽獣之法(るいな二次)
初公開日: 2022年07月25日
最終更新日: 2022年07月25日
ブックマーク
スキ!
コメント
るいな