鳶色をした髪が、目の前でゆらゆらと揺れていた。
「あっつぅー……」
 ハルは心底うんざりした呻きを零しながら、元より半袖だった上着をさらに捲くり、手団扇と裾でほんのわずかばかりの涼を取っている。
 灼熱の外界からようやく帰って来たというのに、涼を求めていた私たちを待ち受けていたのはサウナ状態の部屋だった。ハル曰く、出る時に冷房の予約を忘れていたという。忘れていた方が悪いというのはさておき、呻くのもやむを得ないと言えよう。
 おかげで暑さのあまり二人してなにもする気が起きない。急いで室内を冷まそうとしているエアコンの駆動音と、硝子戸の向こうから漏れ聞こえる蝉のけたたましい鳴き声とが、部屋の中に響き渡り、そこに時折ハルの呻きが混ざる。
 一方の私は、ひたすらに無言だった。ハルと同様に手でかすかな風を起こすだけ。
 それはもちろん暑さにうんざりしていたのもあったけど、もう一つ、目の前の光景にも理由があった。
 あるのはなんの変哲もない、ハルの後ろ姿だけ。
 いつものようにハルは髪を一つにまとめ上げている。
 力なく垂れ下がる尻尾の奥から見え隠れするうなじ。そこからにじみ出た汗が、つぅと首筋を伝っていく。
 その光景に目を奪われていた。
 暑さで配慮が蒸発しているのだろう。ハルが振り返ってこないのをいいことに、遠慮の欠片もない視線をぶつけていた。
 それはある種、懐かしい衝動だった。
 ――鳶色に、一瞬だけ長い黒髪が重なる。
 当時はこうしてまじまじと見ることさえできなかった。この視線を悟られたら友達のままでいられなかっただろうから。……そして、私は彼女の特別になれなかったから。
 そこに焦がれるような衝動はもうない。ただの思い出。
 ただ、今のうだった頭の中にあるのは――目の前の鳶色に触れたい、という衝動だった。
 触れればいいだろう、という思いがなくはないのだが、私の二十年余培ってきた経験が、暑さにやられながらもストップをかける。
 つまるところ単純な話、私は身体的接触にまるで慣れていないのだ。
 人に触れるコミュニケーションを取ったことがまるでない。ほとんどは言葉であり、表情や仕草であり、心でコミュニケーションを交わしてきた。
 接触行為にコミュニケーション的な意味を見出したことはほとんどなく、だからこそ私にとって誰かに触れたいという衝動は、特別を意味するものだった。
 けれど、あまりにそういうことをしてきたことがなかったものだから、本当に触れていいものなのかと躊躇してしまう。
 どこまでやっていいんだろう。嫌がられないだろうか。嫌われないだろうか。そんないらぬ心配が浮かんでしまう。
 頭を撫でる程度だったら、そんなこと考えずに済むのに。自分でもどう違うのか分からないくらいだ。
 いくらか変わったところで、こういうところは変わらない。吐息も呆れの色が濃くなるというものだ。
 ……必要なのは、勇気。
 キスもしてるのにそんなことで、とどこかの後輩に笑われそうだけど、私にとっては真剣な話だ。慣れてないことには勇気がいる。
 そして、それを押してでも私は彼女に触れたかった。
 ん、と咽喉の奥で小さく声を出す。私は鳶色へと手を伸ばした。
「沙弥香先輩?」
 急に髪を触られて狼狽えた声が疑問を浮かべる。ハルは振り向きこそしないものの、ちらちらと後ろを窺おうとしていた。
「ちょっと、触りたくなったの」
 なんでもないように言いながら、指で梳く。
 少しクセがあるだろうか。けれど触り心地がいい。
 じわじわと、胸の内に充足感が満ちていく。
「汗かいてるよ」
 うー、という呻き。どうやら恥ずかしいらしい。
 嫌がられなかったことに内心ほっとした。
「いいのよ」
「せめて頭洗わせて……」
「だめ?」
 うー、と再び呻きが。今度は猫みたいな声だった。
 触っていた髪がエアコンの風に揺れて、手を擽る。部屋はすっかり涼しくなっていた。
カット
Latest / 73:57
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
やが君ワンライ59
初公開日: 2022年07月09日
最終更新日: 2022年07月09日
ブックマーク
スキ!
コメント
お題 ポニーテールor遊園地