若葉が芽吹き爽やかな風が吹き抜ける初夏のころ。パプニカ王都の広場には花売りのワゴンが所狭しと並ぶ。愛する人に鈴蘭の花を贈り幸福を願うという古い風習を知ったレオナが、自国においてこれを復活させようと奔走した成果だ。ワゴンを出しているのは主に子ども達。自分だけのとっておきの場所で摘んできた鈴蘭を、ブーケにしたり素焼きのポットに入れて売り出している。この季節だけのいい小遣い稼ぎになっているようだ。街の商店でもそれぞれこの風習にちなんだ商品を売り出している。ポップはいつもどおり文具店で鈴蘭が描かれているカードの束を買った。あとは通りの奥にあるパティスリーで焼き菓子の詰め合わせを見繕う予定だ。
『愛する人』とは恋人や配偶者、恋い慕う相手に限らない。家族や友人、普段世話になっている人の幸福を祈ってささやかな贈り物をしてはどうか。そんなレオナの提案のおかげで、鈴蘭の花は恋の告白からちょっとした手土産にまで幅広く使われている。無論、双方に誤解が生じぬようメッセージカードなどで贈った意図を伝えることも肝要だ。最近は鈴蘭だけでなく同時期に咲く撫子の一種も贈り物として喜ばれているらしい。ありがたいことにこの時期は大忙しなのだと、先日鉢植えを買った花屋は笑っていた。
 無事に買い物を済ませたポップはパプニカ城で借り受けている部屋に戻った。ペンとインクを取り出し、一枚一枚カードにメッセージを綴る。先ほど買った焼き菓子の詰め合わせと共に贈るのだ。相手は実家の家族と大戦時に知り合った仲間達。花の絵のカードを使うなど最初は気恥ずかしく感じたものだ。しかしパプニカの経済を回すためと開き直って続けているうちにこの風習にもすっかり慣れた。今では贈った相手からもお返しとして簡単な手紙や菓子などが送られてくる。
『マァムへ』とペンを走らせたところで、ポップはふっと窓の外に目を向けた。少年の日、生命を懸け熱く胸を焦がした恋は結局叶うことはなかった。マァムは故郷の村に戻り、時折ロモスの兵らに武術指南をしているらしい。自分を振ったのであればヒュンケルを選ぶのだろう。ポップはそう確信していたのだが、彼女はどちらも選ばなかった。
「二人のことは大好き。でも、恋人になれるかというとそういう好きではないと思うの」
 ポップにそう告げ、「ごめんなさい」と深く頭を下げたマァム。謝ることではないとポップは笑顔を返した。恋が実らなかったことはもちろん哀しかったけれど、真正面から告白した想いに正直な答えをもらえたことでどこかすっきりした気持ちもあった。
 彼女が誰かと恋仲になったという話は聞かない。そういったことがあれば、この贈り物もやめるべきなのだろうが。そのときが来るまでは、深い絆で繋がった仲間として幸せを祈らせてほしい。初夏の空のように清々しい気持ちで、ポップはカードに言葉を綴る。
 マァムの次はメルルへ。彼女も今は故郷に戻り、祖母と暮らしている。文面は誰に対しても変わりないものとしている。『元気ですか。鈴蘭があなたに幸せを運んでくれますように』短い言葉に精いっぱいの気持ちを込めて、ポップは一枚一枚丁寧に文字を書いていく。皆の顔を思い浮かべると、自然に口元は弧を描いていた。
 最後の一枚になったところで、ポップの笑みはへの字口へと変わる。残っているのはヒュンケルに宛てるものだけだ。レオナが鈴蘭の日を提唱した最初の年、多くの者がヒュンケルに花を贈ろうとした。だが彼はそのことごとくを丁寧に断ったのだ。「仲間のみんなに贈っているから」とレオナが差し出したブーケさえ受け取らなかった。
「オレにはそのようなものを受け取る資格はありません」
 誰に対してもヒュンケルはそう返したそうだ。レオナは受け取り手がいなくなったブーケを執務室に飾り「振られちゃったわ」と笑っていた。全ての恋慕に応えるわけにいかないのは分かる。だが妹弟子の純粋な好意まで断ったヒュンケルにポップは怒りを覚えた。彼の部屋に押しかけ、用意していた焼き菓子を思いきり投げつけた。
「人数分買ったつもりが余ったんだよ! 腐ったら勿体ねえから食え! 捨てたり返してきたりしたら承知しねえぞ!」
 ヒュンケルが目を丸くしている間にその場を去り、押しつけはどうにか成功した。以来菓子だけは毎年渡している。毎回「余りだ」と言って投げつけるポップをヒュンケルはどう思っているのだろうか。毎年「念のために」と用意しては書かずに終わっているメッセージカードがあることを、彼は知っているだろうか。ポップは溜息をつき、カードを抽斗に片付けた。今年も菓子だけ渡してこよう。そう決めて席を立つ。そのとき、ドアをノックする音がした。
「どうぞー。鍵は開いてるぜ」
 ポップの言葉を聞いて部屋に入ってきたのはヒュンケルその人だった。タイミングがいいのか悪いのか、つい眉をしかめてしまうポップに「都合が悪かったか」とヒュンケルは問う。
「いや、別に。どうしたよ」
 素っ気なく返すポップを気にする様子もなく、ヒュンケルは手にしているものを掲げてみせた。
「ああ。これをお前にと思って」
 それは白いポットに入った鈴蘭の花だった。ヒュンケルのあまりに意外な行動にポップはあんぐりと口を開ける。
「おれにって……これ、鈴蘭だぞ?」
「ああ」
「ああ、ってお前……」
 お前が誰からも受け取らなかった花じゃないか。仲間として幸せを願うことすら拒んだんじゃないか。その花をおれに? お前が? 意味が分からずポップは言葉を失う。
「街で花売りのワゴンを見たんだ」
 呆然としているポップに向けて、ヒュンケルは語り始める。
「小さな子ども達が売り声をあげているのを聞いて……以前、お前が部屋に花を飾っていたことを思い出した」
 春先にビオラを買ってきたときのことだろうか。花屋の手伝いをしてた子ども達のことをヒュンケルに話した記憶がある。
「花屋の前にもワゴンが出ていた。お前の話していた子ども達が売り出しをしていた。自分で摘んできたのだという鈴蘭は他のワゴンのものより大きくて綺麗だった」
「で、それを買ってきたのか?」
 ポップの問いに、いいや、とヒュンケルは首を横に振る。
「自分で摘んだものを渡したいので、花が咲いている場所を教えてほしいと頼んだ」
「はあぁ!?」
 思わず大きな声を出してしまったポップに「謝礼は渡したぞ」とヒュンケルは見当違いな言葉を返す。
「場所を誰にも教えないという条件で一つだけ摘ませてもらった。それがこの花だ。お前の話していたとおり、とても良い子達だった」
 穏やかな笑みを浮かべてヒュンケルは語る。ポップはどう返していいか分からぬまま、ポットの中の鈴蘭を見つめた。花は大ぶりで葉も生き生きとしている。さすが花屋の子ども達は良い場所を知っているものだと感心するのは現実逃避になるだろうか。
「……何でおれに?」
 数分間鈴蘭を見つめて、最初に訊くべきだったことをようやく訊けた。ヒュンケルは小首を傾げて答える。
「鈴蘭は幸せを願う相手に贈るものなのだろう?」
「そうだけど! お前今まで全部断ってきただろ!? それを何でいきなりおれに――」
「ポップの幸福を願いたい、と思ったからだが」
 ヒュンケルの言葉は真っ直ぐで、その表情からは一切の嘘偽りを感じられない。ぽかんとしているポップの手に鈴蘭のポットを握らせて、ヒュンケルは優しく微笑む。
「以前、オレを水仙の咲く小道に誘ってくれただろう? 花の美しさを楽しむことを教えてくれたお前に、どうしても礼がしたくなったのだ」
「あ、ああ……礼、ね」
 数ヶ月前のことをヒュンケルはずっと気に留めていたらしい。それにしたって鈴蘭をわざわざ自分で摘んでくるとは。兄弟子の突然の行動にポップは上手く言葉が返せない。
「不要ならば持って帰る」
 ポップの無言を拒否と受け取ったのか、ヒュンケルは少し眉を下げた。慌ててポップは手中のポットを強く握りしめる。
「いらねえなんて言ってねえだろ! ……その、びっくりしたけど嬉しいよ。ありがと」
 小さな声で礼を言うと、ヒュンケルはまた嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ……これ、いつもの」
 ちょうどいいと焼き菓子の詰め合わせをヒュンケルに手渡す。いつもどおりメッセージカードは書けずじまいだが、例年よりはずっとましな形で贈れた。
「ああ、いつもありがとう」
 そうういえば礼を言われたのも初めてだ。いつも部屋に投げつけてさっさと立ち去っていたから。「美味かった」という言葉をもらったことはあるが、「おれが選んだんだから当たり前だろ」なんて可愛くない返ししかしてこなかった。
「では、失礼する」
 用を済ませたヒュンケルは晴れ晴れとした顔で部屋を出て行く。残されたポップはへなへなと椅子に座り込んだ。頬がどんどん熱くなるのを感じる。これはただの礼。あいつに他意なんてあるわけない。そう考えたいのに、頭はいつまでたっても冷静に動いてくれない。
「何でだよ……何でおれに?」
 問いかけに返ってくる言葉はない。代わりに手の中の鈴蘭がふるりと揺れる。儚げに咲くこの花を長くもたせるにはどう手入れをしてやったらよいのだろう。そんなことを考えてしまっている自分に気づいて、ポップはますます頬を赤らめた。
 
 
 
 
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