<おれのかみながおじさん>
手紙形式のメールなんて初めてなので、様式とか知らないから、たくさん失礼なことを書いたりしてしまうと思うんだけれど、どう考えてもあなた以外に書く相手が俺には見つからなかった。
治療で勧められなければ書かなかった自信がある。
妹の未来はまだ、それほど読むのは上手くないし、書ける内容もとても限られてしまうのだから。
返事はいらない。
でも、俺はあなたの姿も名前も知らないのでどうしようかと考えた。
唯一の接点は、あなたが施設に寄付を申し出たあとに先生に呼ばれた俺が、あたりを見て気づいたところ。長い白髪が落ちていた。そんな髪の人はあそこにはいなかったし、朝はあれはなく、来訪者はあなただけ。共同生活が基本だから、掃除は得意な方でね。床に落ちているものにはすぐ気づくんだ。
メールアドレスも、その時の書類で先生が隠し損ねたところが見えた。
先生が「彼」と言っていたので、男性ということも重要な情報だろうか。
なので、総合した結果、『かみながおじさん』と勝手に決めた。未来が似たタイトルの児童文学を読んでいたので、使わせてもらった。『じいさん』にならなかっただけ感謝して欲しいくらいだね。
嫌かな? もう寄付なんてしたくないと思うかい? それならそれで構わないよ。
成績がいいから俺がその大半を使う形になっていたけれど、もうすぐ18歳だ。妹と二人で生きていくことは多分できる。
それでは。
さて、現在、二段ベッドの下で眠っている大学4年生、獅子王司からの最初のメールはこんな内容だった。
もらったのは、5年ほど前になる。
当時、俺はぴっかぴかの高校一年生。
中学時代の研究が、特許やら何やらでちょっとした金になり、研究資金いよっしゃ!と喜んでいたら、百夜に半額寄付させられた。俺に大甘なオヤジの強制的な行動は珍しいわけなのだけど、あの時、全額自由にできていたら、宇宙関連のものは後回しにして、金になる研究を優先していたかもしれないので、まあ悪い行動ではなかった。
結果的に、全然、感謝のクソもねぇ面白すぎるメールもこうやってもらえたしな。
面白すぎたので、その後もそれなりに継続して入る特許収入の一部を、勝手にアイツの口座番号をまあ、ちょっと大っぴらには推奨されない方法で入手し、月々に振り込めるように手続した。
あちらも勝手にメールアドレスを入手して、勝手な名前をつけたんだ。そのくらいしたってバチは当たらないだろう。
で、度々、愛想のないメールが来ると、そういうわけだったのだが、大学に入って、家は通学圏内なのであるが、もうとにかく近いところに住みたかった俺は寮に転がり込んだ。
そうして、メール相手の名前が同室者と気づいて、今に至る。
専門でない本を読むときは、総合図書館に行っている。
閲覧室で読んでいたら、千空とばったり会った。本よりデジタルが中心のようなので珍しい。
部屋で読まないのかと聞かれたので、前にここで書いたとおり、未来への読み聞かせの習慣が残ってしまっているから、一人だと声に出して読んでしまうから、と答えた。
だって、おかしいだろう?
ろくに話をしないルームメイトの前で朗読だけだなんて。おまけに、千空はいつだって作業しているか、寝ているかどっちかだ。絶対、ジャマになる。
別にジャマにならないと、言われた。
それならどうしようか。あえて仰々しく本格的に読んで、ふきださせるぐらいで試してみるのもいいかもしれない。
正直助かった。ここの図書館は、歴史があり過ぎて、照明はシャンデリアだし、階段は大理石と赤じゅうたんだしで、落ち着かなかったんだ。
『これらについて人や銀河や修羅や海胆は宇宙塵をたべ
または空気や塩水を呼吸しながら、それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが、それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは、記録されたそのとほりのこのけしきで。
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで、ある程度まではみんなに共通いたします』
司の朗読は、ふきだすような内容ではなかった。論文修正の作業のジャマになることもなく、聴きながら寝るとポリエステルの布団が、雨も玉にしてはじき返せる油分が残った上等の毛皮に錯覚されるような声だった。
専門外なので、読んでいるものが何かは俺にはわからない。
でも、今回のこれは『銀河』という単語が引っかかり、うっすら瞼を開けて司を見る。
デスクで支えられている本が小さく見える。そんなでかくて厚みのある手が、時々、破りもせずにページをめくる。ふしぎだ。大質量でのエネルギーに関して、物理法則と矛盾を感じる。
千空は忙しい。特に水曜日はほぼほぼ午前様だ。
一度、二段ベッドの上に向かうハシゴを踏み外して、すっころんでいたので、それじゃあ休まらないと、最善方法を討論することにした。
布団だけ床に下しておいてそこで。却下。硬くて休まらない。
寝袋。却下。理由は最初と同じ。
俺が上で寝る。却下。二段ベッドの耐荷重は800kg以上で物理的には何とかなるが、千空としては心理的に圧迫感があるらしい。
で、最終的に、俺のベッドでいっしょ、ということになってしまった。消去法とはおそろしい。
窮屈な水曜日だと思った。
司にとっては窮屈かもしれないが、俺は研究やフィールドワークで集団床寝は当たり前なので、雑魚寝も余裕だった。
よっこいしょと、ベッド柵をまたがって、布団を上げる。
ハードな学業の影響なのか、司は身じろぎもしない。起こしたくはないので、それでいいのだけれど。
寝顔、初めて見た。こわばってない。こういう作品、ダ・ヴィンチのオッサンが描いてそう。
前髪が口に入っていたので、それをのけて、耳後ろに流してやった。
「ん……」
吐息の隅に、声が漏れた。
なんて声出すんだ。生々しいが過ぎる。
やっぱ、やめるかと思ったところ、俺の指に髪が絡まった。行かないで、と言っているように錯覚された。そのまま、まんじりともせず、司の顔を見ていた。
朝、ばっちりクマができた俺に、司は実験、そんな大変なんだね、と事もなげに言った。
好きな人ができた。相談相手がいないので、ここで書くしかない。
その人は、やさしくて、落ち着いていて、心の底から尊敬できる人だ。気長なタイプでもある。俺がどんな対応をしても怒ることはなさそうだ。
スマホを落とした。
司に、好きな相手、だ、と。
誰だ? サークルには入ってないし、バイトも必要ないぐらい毎月俺が出している。同じ学部の仲間か?
いや、落ち着け。司だって恋をする権利くらいはある。俺はあくまで『かみながおじさん』。ぶっちゃけ金づるだ。まあ、好きな人の話をするくらいには信頼されているメール相手ではあるけど。
でも、ここで誰だと返信したら、今まで返事出してなかったのに今更? てなるし、どうしたものか……。
事実を教えるにしても、恋愛とは関係ない。それが何か?で終了、チャンチャン。下手したら、今まで隠してきたことを咎められて、いっしょのベッドで寝るルームメイトの関係もご破算だ。
「千空」
「ああ」
「君が好きだよ」
「ああ、って、え?」
それで晴れて千空と恋人同士になったわけなのだけれど。
実のところ、俺は皮膚感覚が鋭くてね。それは専門でも役に立ちそうな能力ではあるのだけれど。
だから、あの髪と、ベッドでの感触で気づいてしまったわけなんだ。
そろそろ、君も覚悟を決めて、真実を話してくれないか?
かみながおじさん、もとい、石神千空様。
獅子王司より。
FIN