洞穴の奇跡の水は、硝酸であると確認した後と何一つ変わっていなかった。ツボの中は、千空がしりとりを提案した時と同じ程度で液体がたまっている。そうだ、三人でいたときから数晩過ぎたのだ。三人から四人、そしてまた三人。
 一滴が落下した音そのものは小さくも、ツボ縁の反響でそれは十分聞こえるものになった。生き物がものを食い、呼吸して、それからの産出物。それがまた人を殖やす。有機物が無機物へ、その無機物が有機物。循環する物質は、輪廻にも似て、自然現象というには生々しい。
 近くにあった空の替えツボと交換して、研究所に向かった。
 ツリーハウス内は破壊して出奔したことは知っている。だけど、こちらは手付かずだった。科学に嘘がつけない男は、自分が作ったものを裏切ることもしなかったのだ。
 一番大きな土器は、研究所入口におかれていて、ちょうど俺の胸ほどの高さにあった。滑り台のように排出口がでっぱっている。中身はなかったが刺激臭でわかる。消毒薬と似たもの。これがアルコールの蒸留器だろう。換気の良いところに置かれていたところも裏付ける。もっと複雑な化学物質の可能性はなくもないが、そうだったらこの場で千空なら武器を作っていたはずだ。
 ワインの置き場所の推測は、それ以上に楽だった。旧時代でもここに保管している機会は多かっただろう。地下セラーだ。この新世界の場合は、重機がないので単なる穴になるが。
 一度掘られて柔らかい土の感触でわかった。裸足の利点だ。手を使うよりこちらが効率的だろうと、ウサギのように蹴り掘ったらすぐ目当てのものは露出した。土器のツボ。注ぎ口は樹皮が詰まっている。コルクの代わりというところか。
 誘われた経験はあるが、飲んだことはなかった。そうしたらスキを見せることになり、またあの情報化社会の中で晒されれば、活動不能になり未来の維持だっておぼつかなくなる。こうなってしまえばそれは無意味なあがきだったかもしれないが、かと言って酒に溺れてあの呼称さえも思い出したくない有機物のかたまりと同列になるのはごめんだ。
 樹皮をほじり出し、ワインを蒸留器に注ぐ。火を熾し、分けて点ける。木が爆ぜる。けむい。千空がモルタルを作った炉ではこんな煤けた匂いはしなかったが、どんな火でも熱せられる結果は同じだろう。それがこれほど黒いものでも。
 酒臭い。最悪だ。目にも染みる。それはアルコールのせいなのか、火のせいなのかもわからない。前髪を集めて、目の上に下す。獣脂がついていてベタベタだけどこの方がまだマシだ。煤や刺激物も吸着してくれるかもしれない。
 泣いてもいいだろうか。
 こんなに浸みるのだもの。眼球の表に、この蒸留器からの何もかもが刺さってくるのだもの。生きているから。生き物だから。目を開いて、結果を見て、そうして涙で何もかも洗い流して。ほら、瞬きをしろ。そのコンマ一秒で、目をうるませて、鼻腔から通っていく刺激も理由にしたっていい。
 咳き込む。ますます、俺の身体に入る。千空の残した科学の残滓が。抽出された成果物が。
 まつ毛が重い。なのに防御してくれない。俺を裏切って、刺さろうとしてるんじゃないのか。
 気持ちが悪い。変なところがびりびりする。
 頭が痛い。きっと神経の電気信号がだめになっている。
 胸のあたりがむかむかする。最悪。つんつんで、ちくちくで。
 でも、何もかも真っ黒だ。
 だから、だから……泣いてもいいだろうか。
 テーブルクロスの上には、小さな前菜に切子ガラスが添えられていた。ナプキンのレースが細かい。これは花嫁の自作であると聞いている。
 大樹と杠と縁深い未来をエスコートするために、俺は二日間連続で参列することになった。誰かの慶事に立ち会うのは初めての経験ではあるが、実のところ二日目の方が友人代表でスピーチをしなければいけないので荷が重い。せめてもで一番後ろのテーブルを希望したら、それは大樹の親族席だった。
 せめてもの救いは、本日の友人代表スピーチ担当者が、ほぼほぼ大樹の親族としてそこに座っていること。
「杠のオヤジ、大樹とクリソツじゃね? あ゛ー、何もかも謎が解けたわ。すっきりしたとこで、テメーもとっとと食前酒、始めろよ」
 ブロンズ色がたゆたう切子ガラスを掲げながら、こちらを見てほくそ笑んでくる。
「それは?」
「電気ブラン。一番科学的なネーミングのカクテルってのと、アイツらの初デート浅草だったんだよ。大樹が秋葉原に俺の買い出し、杠が浅草橋に手芸用品買うののタイミングを俺が合わせてやってな。あと、復活液のワインからのブランデーベースってことで」
「そうなんだ」
「ちょっとビリビリするが甘めだからイケんぞ、っておい、だからっつって一気に行くヤツが……」
 ああ、本当だ。千空の言う通りだ。ビリビリする。だから。
──ハンカチとか俺ぁ持ってねぇからこれで悪りぃな。
 真っ白なレースのナプキンが、俺の目じりに当てられた。
 
 
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未電気ブラン
初公開日: 2023年03月25日
最終更新日: 2023年03月25日
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 千司ワンドロライ お題「お酒」
 箱根後の司が、復活液作りのためにアルコール精製するお話
この道 彼(か)の旅
千司ワンドロライ お題「旅路」  飛行士試験に向かうため、千空の世界旅行の後を辿る司。
カツミアオイ
2023/03/11
千司ワンドロライ お題「さくら」
カツミアオイ