千景は、先日約束した例のブツを届けに行こうと、106号室を訪れた。
中には成人男性の気配がするから、恐らく左京一人がいるのだろう。
ノックしようとして、千景は不意に悪戯心が湧いた。こっそり忍び込んで、左京を驚かせてみたいと思ったのだ。
左京は劇団の中でも特に気配に敏感だからバレる可能性の方が大きいとも思ったが、それはそれで……と、千景は小さく笑みを浮かべながら、静かにドアノブを回した。無音で開いた扉の向こうには、椅子に腰かけ、何やら手元を見ている左京の背中が見える。千景はそのまま気配を絶って、ゆっくりと部屋に入る。足元の埃すら立たせない慎重さで、一足一足ゆっくりと左京に近付く。そして、悟られるであろうギリギリの距離まで来ると、静かに左京の様子を見守った。
左京の手元から、プチ、プチ、と小さな空気の破裂音が響く。なるほど、丁度プチプチを堪能している最中のようだた。
「……」
千景は、左京の背中を見つめながら、その気配が緩んでいるのを感じ取って、必死に笑いを堪える。劇団内では質素節制倹約の鬼として泣く子も黙る経理係が、幼い子供のようにプチプチに夢中になっているのだから……それは可愛いというほかないだろう。
思わず足が一歩出て、その瞬間、バッと左京が振り返ると同時に机から立ち上がる。そして、目の前にいる千景に目を見開き驚いた。
「!? 卯木っ?!」
「こんにちは、左京さん」
「お前?! いつからそこに……!?」
「ついさっきですよ」
「部屋に入る時はノックくらいしやがれ!」
「いやあ、邪魔しちゃ悪いと思って」
「無断で部屋に入る方が悪いだろ!」
左京と軽い言い合いをしながら、千景は扉を閉める。
「……それで。何の用だよ」
照れもあり、軽く睨みながら尋ねる左京に、千景はくすっと笑って一言。
「左京さんがプチプチをするのを愛でに」
「おい!」
「冗談ですよ」
「お前の冗談は解せねえんだよ……」
「あはは。まあまあ。本当は、こちらを」
そう言って、千景はプチプチでぐるぐる巻きにしたものを左京に手渡した。
「これ……この前の百人一首対決の時の……」
「はい、お礼です。あの時はありがとうございました。まさか引き分けとは」
「一勝一敗一分けだ。お前には勝った」
「それを言うなら、俺も左京さんに勝ちました」
勝敗はまさしく五分なのだから当然のことなのだが、なんとなく口にして己の勝利を主張する左京とそれに張り合う千景は、傍から見ると子供のようだった。
左京は千景からお礼のものを受け取り、破かないようにそっとプチプチを外す。
そして、中から出てきたものを見て、思わず口元を緩めた。
「――卯木。感謝する」
それは、左京が探していたとある英国の詩人の初版本であった。千景は以前その話を聞いて以来、海外出張先の古本屋でなんとなく探していたのだ。
左京の嬉しそうな顔に、千景もにっこりと笑う。
「いえいえ、椋のお土産探すついででしたし。でも、意外でした。左京さんがソネットを読むなんて」
「別にソネットが好きな訳じゃねえけど、この詩人はリズムが好きだったんだ。英詩は得意じゃねえから、手元でゆっくり読みたくてな」
「本は紙派でしたね」と笑う千景に、左京は「古臭くて悪かったな」と悪態で返した。
「いえいえ、誰もそんなこと言ってませんて」
「言いたそうな面してたぞ」
そう言って意地悪く笑った左京は、今しがた手にした、プレゼントの包装としてはいささか簡素すぎる、しかし左京にとっては何よりの包み・プチプチにも視線を落とす。ただのプチプチではなく、浮世絵が描かれた、珍しいプチプチだったのだ。
左京の視線に含まれる疼きに気付き、千景はそっと左京に寄り添って、耳元で囁く。
「それ……得意先から日本酒を頂いた時に包まれてたものなんです。絵が描いてあるなんて珍しいと思って、左京さんの為にとっておきました」
「…………これもまあ、感謝する」
沈黙の後、絞り出すように左京に言われたお礼に、千景はにっこりと笑う。
「それ、今からプチプチしてもいいんですよ?」
「……お前が楽しそうだから、絶対にやらん」
「えーそんなー」
「棒読みで嘆くな」
106号室で、こっそりじゃれるエリート眼鏡な2人であった。
○ ○ ○ ○
「さきょー」
「うおっ?!」
左京は屋根のヘリから不意に顔を出した三角に驚いて声を上げた。左京が驚くのは非常に珍しい。人の気配に聡い左京だが、三角だけは気配を察知する前に近付かれてしまうのだ。
「斑鳩! 用があるなら普通に出て来い!」
「ごめんなさーい」
三角は左京に怒られて、素直に屋根のヘリからシュタッと華麗に降りてきた。相変わらずの鮮やかな身のこなしに、左京は呆れつつため息をつく。
「ったく、その内怪我するかもしれねえから、気を付けろよ」
「はーい」
左京の素直な返事に左京はなんとなく拍子抜けする。なにせ秋組は反骨精神旺盛な者が多いから、こんな風に返事が返って来ることは滅多にないのだ。
「それで? 俺に用事だったのか?」
左京に話を振られ、三角は「あ! そうだった」と当初の目的を思い出す。
「あのね、さきょう。これから、時間ある?」
「ああ、まあ……今日は事務作業だけだが」
「じゃあ、ちょっとこっち来て!」
「おい!」
腕を引っ張られた左京は、顔を顰めながらも三角に付き合う。
三角は寮を出て、細い路地を抜け、商店街から少しずれた森の中へと左京を案内する。
「おい、どこ行くんだ?!」
「もうちょっとで着くよー」
返事になっているようないないような、とにかく前だけを見てまっすぐ歩いていく三角に左京は呆れながらもやはり静かについて行った。少しジジ臭い感想だとは思いながらも、若者が前だけを見て真っ直ぐ突き進む背中というのは、妙に清々しい、と思ったのだ。
「着いたー」
三角が案内したそこは、森の中の、少し開けた陽だまりのような場所だ。
そしてそこには、のんびりひなたぼっこをする猫たちの姿があった。
「ここは……猫の集会所か?」
猫たちにそういう性質があることは知っていたが、そういう場面を見るのは初めてな左京。三角は「集会所じゃなくて、休憩場所ー」と分かるような分からないような訂正を入れた。
「それで……どうして俺をここに連れてきたんだ?」
左京の尤もな疑問に、三角は「えっとねー」とキョロキョロ周囲を見回した。
すると、三角に呼ばれたかのように二匹の猫が三角と左京に近寄ってくる。
そして、左京にはその内の一匹、白い毛並みに片耳だけ黒のブチがある仔猫に見覚えがあった。
「お前は……この前エンジンルームにいた……」
左京は先日、車を動かす前、習慣になっているボンネット叩きをした。すると、エンジンルームから一匹の子猫が飛び出してきたのだ。それが、今目の前にいる仔猫だ。
左京のボンネット叩き(俗に言う猫バンバン)に驚いた仔猫は、エンジンルームから駐車場に駆け出し、そこを危うく入ってきた車に轢かれるところだった。それを左京が慌てて駆け寄り、間一髪で助けたのだ。仔猫は少しの間左京の手の中で震えていたが、ハッと我に返ると手の平から飛び降り、さっさと植え込みの影に逃げていった。
「この猫さんがねー、子供助けてくれてありがとうってさきょうに言いたいって、オレ頼まれてたんだー」
「……相変わらず妙なヤツだな」
三角がどうやら動物と会話できるらしい事は言動で何となく察していたが、正面きって真面目に話されると、どういう反応をしていいのか分からなくなる。
突っ立ったままの左京の足に、にゃあ、と身体を擦り寄せる母猫と仔猫。甘い鳴き声と共にこちらを見上げられれば、戸惑う左京の顔も緩むというものだ。
「猫さんたち、ありがとう、って」
三角が翻訳し、左京は「大した事はしてねえ」と返して、ハッと自分の口元を塞ぐ。これでは本当に猫と会話してるみたいだと勝手に照れて、しかし三角がごく当たり前のようにニコニコと笑ってるから、照れているのが馬鹿らしくなる。
「それと、これはオレからのお礼なんだけど……」
「?」
ニコニコ笑ったまま、三角は背後から「じゃーん!」という効果音と共にプチプチを取り出した。
「さきょうの好きな、プチプチさんかくバージョン!」
「!?」
それを聞いて、左京は驚く。
プチプチには遊び心で一万分の一の確率で△や♡の形をしたプチプチがあるのだが、さんかくの形で統一されたものは、きちんと購入しないと手元にない。つまり……
「わざわざ買ってくれたのか、斑鳩」
左京の言葉に、三角は一層柔らかく微笑む。
「だって、オレ、さきょうに喜んで欲しかったから!」
その微笑に左京もつられて微笑み、「……ああ、ありがとうな」と言った。
そしてそのまま三角に誘われ、猫たちの休憩場所でプチプチを始めたのだが――正直、猫たちの目と三角の目が気になって、なかなか落ち着けなった。
やはりプチプチは、一人でするに限るな、とこっそり思った左京であった。
○  ○  ○
そんな左京にも、例外は存在する。
コンコン、と軽くノックされ、106号室の左京は顔も上げずに「おう」と言った。
何百回と聞き慣れたノックの叩き方に、顔を上げなくても誰だか分かる。
「失礼します。左京さん、コーヒー持ってきました」
そこには、同じ秋組の伏見臣がお盆に珈琲とアーモンドガナッシュが2人分乗せられていた。
「お前……何か作ってるかと思ったら、茶菓子も持ってきたのか」
左京が顔を上げ臣の手元を見て、僅かに眉を顰める。臣は朗らかに笑いながら「息抜きですよ」と言って共有スペースにあるちゃぶ台にお盆を置き、左京の隣に腰を下ろす。
「朝も早くからキッチンで働き通しだったから休めと言ったのに……休む為に菓子作ってたら世話ぁねえだろ」
「明日から出張でちょっと寮を留守にしますし、カントクのカレーの付け合わせにも副菜が多い方がいいでしょ。それに、俺にとっては菓子作りも休憩みたいなものですよ」
「でも、またこんな手の込んだものを……」
「いやいや、そうでもないですよ。元々アーモンドプラリネペーストは作り置きがあったので、あとは溶かしたチョコの中に絞り入れるだけで……」
「俺には十分手間に聞こえる」
左京は呆れながら、珈琲と共にアーモンドガナッシュに手を伸ばした。アーモンドの香ばしさと濃厚な甘さが、珈琲の苦みによく合う。昔は珈琲にお菓子を添える発想なんてなかったが、今ではないと少し寂しく感じてしまうのだから、随分臣に馴らされたものだと、左京は自分で呆れて笑った。
「? どうかしました?」
口元が緩んだのを、臣に見つかってしまった。左京は「なんでもない。菓子が美味いと思っただけだ」と言うと、臣は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「良かった。左京さんに持って行く用に、コーティングのチョコは高カカオチョコにしてみたんです」
中のプラリネペーストはかなり甘めで作ったので、と頬をかきながら言う臣。十座を筆頭に、甘党用で調合してたのだろう。だからバランスが取れて美味しかったのか、と思い、好みまでバッチリ把握されている自分を左京は内心(やっぱり馴らされてるな)と再び笑った。
「……じゃあ、このガナッシュの礼に、伏見のワガママ1つ聞いてやる」
「え?」
左京の唐突な言葉に、臣は目を丸くし、それから顔を赤くして視線を彷徨わせた。あまりに長い沈黙に、(なんか変な事頼むんじゃねえよな?)と不安になり始めた左京。やっぱり、と左京が言いかけた時、臣が意を決したようにワガママを口にした。
「じゃあ、あの……プチプチやってる左京さんの隣で、カメラ触ってても、いいですか?」
「……は?」
そのワガママのあまりのささやかさに思わず目が点になる左京だが、臣は恥ずかしそうに、でも期待を込めた目をして顔を赤くしている。本気らしい。左京は「はあ」とため息をついて、臣の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「わわっ?!」
驚く臣に、左京は意地悪く笑いながら告げた。
「その程度、ワガママに入んねえよ。また考えとけ」
「え、でも……」
「あと、カメラ持って来い。休憩がてら、リラックスするぞ」
「! はい!」
目を輝かせた臣はすぐさまカメラを取ってきた。取って
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【愛され左京さん】プチプチする左京さんと ★
初公開日: 2023年11月09日
最終更新日: 2023年11月23日
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コメント
プチプチする左京さんに寄り添う各組+α
春:こっそり近付く千景
夏:△プチプチあげる三角
秋:106で一緒に好きな事する臣と莇
冬:プチプチで釣る東
銀泉会:隠れて見てるのがバレる迫田