「お姉ちゃん、そのウニ取ってくれへん。その一番大きかの」
この島に上陸してから早5日。東京では触れることのできない日常で驚きの連続だったが、ようやく島での暮らしに慣れてきた。今は海音ちゃんと夕飯用のサザエやウニを取りに浜辺に海岸に来ている。
本土ではいくら浅瀬だからと言っても無断で海産物を取ったら密漁となってしまうのだろうが、この島では
本土でこんなことをすれば密漁となってすぐに逮捕されるのだろうが、この島では海の生物はどの家庭でも取っていいことになっており、浅瀬にいるサザエやウニは各自持ち帰っていいことになっているらしい。
明音は手のひらサイズのサザエをトラバサミでつかみ、家から持ってきたバケツの中へと入れる。
島の環境を守るためにも海産物や山菜は必要な分だけ取って、次の人のために取って置く。海音ちゃんが言うには、それがこの島で生活していくための鉄則らしかった。
「さ、こんぐらいあれば大丈夫そやね。ちょっとトラバサミ貸してもろうてもええ? さすがにウニを素手で触るのは少し痛いんよ」
「そりゃ痛いでしょうね……。何してるの」
「昨日、風間のおばちゃんから漬物もろうたけんね、そのお返しよ。風間さんはサザエ好きやからちょっと多めに入れてあげんとね」
海音ちゃんはバケツの中にトラバサミを突っ込み、慣れた手つきでサザエやウニをビニール袋の中へと分けていく。
風間さんといえばあたしが初めてこの島に来た時に診療所で会ったことがあるのだが、腰を少し痛めていて茶色柄の杖を持っている人だった気がする。
明音は基本的に人の顔を覚えるのが苦手なタイプではあるのだが、島を歩いていたらすれ違う人は基本的にいつもと同じ人なので、この島に来て5日目にして次第に覚えられるようになってきた。
「そういえば海音ちゃんに一つ聞きたいことがあるんだけどさ、この島であまり人が近づかない場所とかあったりする? それか一部の人しか知らない秘密の場所とか」
「んー、そんなところあるやろか。秘密の場所言うてもこの島小さいし、基本みんな知っとるんよ。
……あー、けど島の人が寄り付けない場所ならあるよ。海に小さな洞窟みたいな場所があるんやけど、そこは基本誰も行かんかも。まだ日も暮れてないし、そこまで案内ばしよか?」
「ならお願いしてもいいかな。ごめんね、いつもわがまま行って」
「ええんよ。おっかあからもお姉ちゃんのお仕事には協力してあげなさいって言われとるし、晩御飯までに帰れればええやろ」
この島で生活をしていく上で、一つ分かったことがある。
他の方たちにも話を聞く機会が増えてきたのでここ最近の島事情を色々聞いて回ったりしていたのだが、魔物が発生しそうな大きな事件は1年前の津波事件しか情報が得られなかった。
しかし、魔物の反応があったのはつい数週間前。事件が起きてから魔物が発生するまでの時間があまりにも長すぎる。
一度、津波事件と魔物の発生は無関係であるという風に考え、この島の人でも知らないような何かがあったのではないかと、別角度から見て捜査を続けることにしていた。
「……え、ここを降りるの?」
「そ。岩に貝がへばりついとるから手を切らんように気を付けてね。塩水やから怪我したらだいぶ痛かよ」
そう言って海音ちゃんはウニやサザエが入ったバケツをその辺の岩陰に置き、岩を手でつかみながら器用に降りて足のくるぶしまで海水に浸かる。
子供の海音ちゃんにはこの崖を上り下りするのは朝飯前なのかしれないが、大人のあたしにとっては自分の体重を腕2本で支えるのは至難の業であり、いつ足を滑らせかねないか分からない。
明音は内心ヒヤヒヤしながら壁を伝っていき、海音ちゃんに応援されながら少しずつ降りて行ってようやく岩場に立つことができた。
「……小さな洞窟ではあるけど、だいぶ奥が深そうやね。この洞窟はどれだけ奥に続いとるん」
「分からん、うちも中までは入ったことがないんよ。この中には入っちゃいけないってみんないいよるけんね」
海音ちゃんに案内されたのは海辺にある小さな洞窟で、先ほどまでサザエを取っていた場所からそう遠くない場所にあった。
ここはこの島でも有名な秘密基地なんよと言っているが、確かにここは陸から見えづらいし、崖から降りる必要があるので島の人がここに近づくことはできないだろう。
確かにあまり人が寄り付かない場所を案内してほしいとは言ったが、それは人から恐れられていたり無意識のうちに近づかないようにしている場所に案内してほしいという意味で、物理的に近づきづらい場所に案内してほしいという意味ではないはずだった。
「ま、せっかくここまで案内してくれたんだし中まで探索してみようか。あたしでも屈んだらなんとか中に入れないこともないかな」
「いや、でもダメなんよ。ここ満ちが引いているときしか入ることができんくて、そろそろ入り口が塞がれるほ。はよ陸に上がらんと上半身までびちょびちょになってしまうんよ」
海音ちゃんに言われて足元を見ていると、先ほどまでくるぶしまでしかなかったはずが脛ぐらいまで水位が上がっている。
洞窟の上の方を見てみると、先ほど降りてきた岩の所と同じように貝がびっしりと詰まっているので、海が満ちているときはここまで水位が上がってくるのだろう。
満潮になるまであと何時間かかるのかは分からないが、この先どんな道になっているか分からないし、島の人が決して入ってはいけないと言っているのもうなずけた。
「この洞窟って他にも入り口があったりするの? できれば中の方まで探索してみたいんやけど」
「さぁ、うちが知らんからたぶんないと思うよ。どうせ中まで行ってもなにもなかよ。さ、早上がらんとうちらもおぼれ死ぬで」
中がどのようになっているのかは少し気になるが、少なくとも魔物の気配は一切しないので、中に魔物が潜んでいるとは考えにくい。命の危険を冒してまでただの洞窟であることを確認しに行く必要はないだろう。
今日も魔物に関する有力な情報はゼロ。このままではいつ終わるか分からない。
いくら任務の終了時期が決められていないとしても、この島に来てから全く魔物の情報を掴めていない明音は一種の焦りを感じていた。
「案内してくれてありがとね。じゃ、戻ろっか」
明音と海音は来た道を戻り、岩陰に置いていたバケツを持って帰り支度をすませる。
二人とも長靴を履いてきていたので靴に水が染みることはなかったが、長靴の中に水が入ってきて少し気持ち悪い。長靴をひっくり返して水を出したら砂も一緒に出てくるし、もう最悪だ。
足を海で洗ってきても長靴を履いたら砂のざらざら感が伝わってきて、早く家に帰って足だけでも洗わせてもらいたい気分だった。
「お姉ちゃんは先に家に帰っとってくれへん。うちはこのサザエとかを風間さんに渡してくるし、ついでにおっとおのお墓参りも済ませておきたいんよ」
「おっけー。他の荷物はうちが家に持って帰っといてあげるから貸して。帰って料理のお手伝いをしとくわ」
「ありがと。じゃ、また後でなー」
そう言って、海音ちゃんはビニール袋を持って元気に駆け出していく。朝からあれだけ動いていたのに、島で育った子供はたくましすぎる。
明音はバケツ一杯のサザエやウニを手にぶら下げながら、今日は一体どんなご馳走を頂けるのだろうかと、任務のことは忘れて今日のご馳走のことについて考えていた。
「遅くなってごめんな。今日はとびっきり美味しいご馳走を持ってきたけん、それで許してくれへん」
海音はビニールの袋からウニを数匹取り出し、近くにあった石で勢いよく叩き割って平らな石の上に中身を出す。いつもは野菜とかをあげていたのでサザエを食べてくれるかは自信なかったが、どうやら気に入ってくれたらしい。恐る恐る近づいていったかと思ったら、ぺろぺろと食べ始めた。
「クロはいい子やね。ごめんね、いつもだったらお野菜とかも持ってきてたんやけど、今日はこれしか持ってきてなかったんよ。次はお魚持ってくるけん、明日まで我慢な」
海音はクロと呼んでいる生き物の頭をなで、ウニを食べ終わるのを見守る。
どうやらまだお腹が空いていたようで、ビニール袋の中を漁ってサザエを殻ごと食べてしまった。中身だけ取り出すのも難しいなと思って出さなかったのだが、美味しく食べてくれるのであればそれで良しである。風間さんにはまた別のお土産を持っていこう。
「あっ、そろそろ日が暮れ始めてるたい。うちはそろそろ帰らんと。それじゃ、また来るけんね。それまでいい子にしとるんよ」
気が付いたらもう日が暗くなり始めているので、海音は井戸の近くで見つけたその生き物に対して手を振って別れを告げる。
明音は海音に対して魔物がどのようにして産まれるのか、そしてどれだけ危険な生物なのかは説明していた。しかし、明音の過ちは海音に魔物の見た目を伝えていなかったことだろう。
海音がウニやサザエを分け与え、野良犬のように飼っているその生物は、サイズは小さくても魔物そのものだった。