「おーい、準備運動を始める前に一回集合してくれー。みんなに話しておかなければならないことがあるんだ」
週が明け、明音はスポーツ用品店で半額セールをしていた時に買ったお古のジャージを身に着け、長谷川先生の授業にお邪魔することになった。
学校の近くに野生の熊が出没する異常事態が起きたのでしばらく学校は休校になるかと思われたが、問題となっていた熊は羽賀の力によって捕らえられ、しばらく辺りを捜索しても他の熊がいた形跡がないことから、翌週から授業は再開されることになった。
生徒たちになにも被害が出なかったことは喜ばしいことだが、連合に届いた予告状では1週間後に魔物を送り込むと書かれていたのに未だに魔物が現れる気配がないことは一つの懸念事項である。
単純にあの予告状はいたずらでこの学校に魔物が現れることはないと考えて安心していいのか、それともただ時期を見計らっているだけなのか、今後の学校生活を通していく中で判断していく必要があった。
「えー、もう知っている人も多いかもしれないけど一応自己紹介しておきます。教育実習生としてこの学校にお世話になることになりました、武田明音です。よろしくお願いします」
教育実習はもう後半に差し掛かっているのでこの学校にはあと1週間少ししかいられないが、その間に魔物が現れないのであれば後は他の魔法少女達に任せることになるだろう。
簡単な挨拶を終えると生徒たちはまばらな拍手を送ってくれているが、その生徒たちの中に見知った顔が見える。
魔法少女『フラワーズ』のメンバーで、近接戦闘を得意としている幸田久美と岸田花。そして、現魔法少女の中で最強と呼ばれ、先週の熊騒動でも尽力してくれた羽賀かおり。
羽賀は平日休日問わずに任務が入ることが多いので学校に来ることはあまりないと聞いていたのだが、今日はたまたま学校に来れたらしい。魔法少女達の教官としても、この学校の教育実習生としても喜ばしいことである。
ただ、幸田と岸田は隣に座ってこちらを見ながらこそこそと噂話をしているし、他の生徒も仲のいい子たちと集まって話を聞いているのに対し、羽賀だけは列の後ろでぽつんと座っていることだけが気になっていた。
「なぁ、羽賀って魔法少女だったのか。俺、この前羽賀が空を飛んでいること見たぞ」
武田教官(ここでは武田先生と呼ぶべきなのかもしれない)の挨拶が終わり、長谷川先生の小話も終わったので身体を動かしながら軽くウォーミングアップをしていると、クラスのお調子者らしき人に絡まれてしまった。
私には任務があるので学校にはあまり来れていないし、特に興味がないので顔は覚えていないのだが、何度か教室内ですれ違ったような気もする。
どうやら先日の熊騒動の一件で私が魔法少女をやっているということがクラスメイトにバレたみたいだが、別に隠す必要もないので適当に肯定しておく。
幸田さんや岸田さんたちは自分たちが魔法少女であることを学校に言っていないみたいだが、常に任務に追われていて学校を休みがちな私にとっては学校に事情を説明しておいた方が都合がいいし、この人たちがそれを知らないのはただたに説明するのが面倒だという理由だけだった。
「へー、やっぱそうだったんだね。ならさ、少しでいいから魔法見せてくれね。他の奴らには秘密にするからさ」
「あのね、魔法ってそう簡単に他の人に見せちゃいけないものなの。連合でも必要性のない時の魔法の使用は禁止されてるんだから」
「れんごう? よく分かんねぇけど、別に減るもんじゃないしいいじゃねぇか。この前は遠目でしか見れなかったんだよ。お願いだから、な」
な。と言われても連合から必要のない魔法の使用が禁止されているのは本当だし、わざわざこいつのために大切な魔力を消費してあげる気もない。羽賀は無意識のうちに首から下げているペンダントの上に手を置く。
このペンダントは魔法少女たちの魔力を吸収する素材でできていて、無意識に魔法が発動しないようになっているのだが、このペンダントを取るには連合からの許可が必要になる。
あまりにもしつこく絡まれるし、準備運動も終わったので羽賀はその場を後にしようとしたのだが、彼から発せられた一言で羽賀はそのペンダントを引きちぎりそうになっていた。
「…………いま、なんて?」
「いや! えっと。なんも、なにも言ってない。羽賀の聞き間違えじゃないかな、はは」
彼は、私が空を飛んでいる所を見たから私が魔法少女なのではないかという結論に至ったと言っていた。つまり、彼は私を下から見上げていたことになる。
そして私は…………その時スカートを履いていた。
「こっっの!」
羽賀は頭の先まで茹で上がり、近くに落ちていたバスケットボールを拾い上げる。問題の彼はしまったというような顔をしているがもう遅い。
羽賀が放ったそのボールは既に手から離れており、その男子に向かって一直線に放たれていた。
「はーい、そこまで。なんでこんなところで喧嘩してんの。もう授業始まってるんだけど」
だが、そのボールは男子の元に届くことなく、誰かの手によって止められる。驚いてそのボールを止めた人の顔を見ていると、そこには怒った顔をした武田先生が立っていた。
「今は体育の授業中なんだから、喧嘩をするならスポーツを通してやりな。何も言わずにいきなりボールを投げつけるのはスポーツマンシップに乗っ取ってるとは言えないよ」
「先生、違うんです。これは俺が変なことを言ってしまったからで、別に羽賀が悪いわけでは……」
てっきり私が彼に向ってボールを投げたことに対して怒られるのかと思ったら、いきなり相手に向かってボールを投げつけていることに対して怒っているらしい。なら相手に許可を取ってからならやってもいいのかと聞いたらそれなら許すと言われた。謎である。
どうやら私に話しかけてきた彼も悪気があったわけではなかったらしく、すぐ私に謝ってくれたのだが、その謝罪は私じゃなくて武田先生が拒否していた。
武田先生とはこれまでに何度か共に任務をこなしてきた仲であり、ある程度は武田先生が何を考えているのかは分かっているつもりでいたのだが、今日の武田先生の行動はあまりにも不可解すぎて全く分からなかった。
「えっと、君は……。松本くんね、ちょっと話したいことがあるからこっちに来てくれるかな」
「? はい、分かりました」
武田先生は彼の名前をズボンに刺繍された文字で確認し、私に聞こえないように距離を取ってからなにやら二人で話し込んでいる。
その横顔を見ていると武田先生が何かしら悪だくみをしているのが丸わかりで、嫌な予感しかしなかった。
「羽賀、やっぱり俺はお前を許すことはできない。当たらなかったからいいが、さっきのボールが俺の顔面に当たっていたらただでは済まなかったと思う」
「…………は?」
その予感は的中したというか、もはや確約されているようなもので、私の元に戻ってきた彼はいきなり喧嘩の続きを始めてしまった。
確かにさっきの行いについては私にも非があるし、謝らなければならないことなのだが、武田先生に対して事情を説明して謝ろうとしてくれていた彼とは全く別人のようである。
武田先生が何を企んでいるかは知らないが、そのにやにや顔を見ていると心底腹が立った。
「それじゃ、松本君もこう言っていることだし、この喧嘩はバスケットボールで決めるってことでいいかな。ちょうど今日の体育はバスケをやる予定だったみたいでし」
「いいかなって、勝手に決めないでくださいよ。私だって謝ってるじゃないですか」
「そんな投げやりな謝り方じゃ相手に誠意が伝わらないでしょ。ルールは5vs5、先に10点入れた方が勝ち。勝負は10分後に始めるから、それまでに人を集めておいて」
武田先生は私の言うことに対して全く聞く耳を持とうとせず、勝手に話を進めていって長谷川先生に許可を取りに行く。長谷川先生は筋肉馬鹿だし、試合形式で練習をしたいから体育館の半分を使わせてくれと言ったら喜んで差し出してくるだろう。
事情を読み込めずに松本と呼ばれていた彼に謝罪をしに行くが、断られるわりには何故か正々堂々と勝負してくれと私を応援してくる始末。
結局、全く聞く耳を持とうとしない武田先生や松本くんに対して諦めを覚え、羽賀はこのくだらない茶番に付き合ってくれそうな人を集めに周るしかなかった。