「ふふ、それは災難でしたね武田先生。栗上先生は少しお固い所がありますからあまり気にしなくてもいいと思いますよ。私たちでさえ小言を言われることあるので」
 隣のクラスの担任をしている栗上先生が現れて教室内が一気に静まり返るハプニングがありつつも、一斉下校の時間になったので明音は生徒たちをそのまま下校させ、現在は他の先生たちと合流して絶賛見回り中である。
 ホームルームが終わってすぐ見回りに出たので栗上先生とはまだ顔を合わしていないが、見回りが終わって職員室に戻ったら大目玉を食らうのはまず間違いないだろう。
 街や人間を襲う魔物や野生の熊も怖いが、今の明音にとっては栗上先生と顔を合わせなければならないことがないよりも怖く感じられた。
「それにしても、武田先生のクラス変わりましたよね。本当は藤田先生のクラスですけど、武田先生が教育実習生としてこの学校に来てからすごく明るくなったような気がします。あとどのぐらいこの学校に居れるんでしたっけ」
「あと2週間もないですね。逆に私はこの学校に来る前のことを知らないんですけど、あのクラスってそんなに問題児ばっかりだったんだですか。そんなに問題を起こしそうな人いないと思いますけど」
「その逆ですよ、前はものすごく静かなクラスだったんです。感情を表に出す子が少なくて手を焼いてたんですけど、武田先生が来た途端にあれなんですもん。ほんと嫉妬しちゃいますよ」
 なんだか褒められているのか貶されているのかよく分からない言われようだが、嫌みを言われているわけではなさそうなので苦笑いで誤魔化しておく。
 いつもお淑やかに笑っていて生徒たちにも優しく接してくれるいい先生ではあるのだが、なんだか本当の表情を押し殺しているように思えて明音は立花先生に対して少し苦手意識を持っていた。
「さっ、生徒たちの姿も見えてきたことですしそろそろ別れましょうか。私は小川の方に立っておきますので武田先生は住宅街側をお願いします。なにかあったら連絡入れますので」
「分かりました。立花先生も気を付けてくださいね、普通の人間が熊に襲われたらひとたまりもありませんから」
「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから。では、私はこの辺で」
 そう言って、明音は立花先生と別れてそれぞれの持ち場へと着く。
 明音が担当することになっているのは人気の多い住宅街。この付近は最近建てられた建物が多いので必然的に子供の数も増えているが、熊も人気が多い場所を襲ってくることはないだろうしまず安全だろう。
 立花先生はその住宅街から少し外れた場所に立っているらしいが、ここからそう遠くない場所なのでそれほど気にしていない。いま明音が気にしているのは夏日が近づき始めている強い日差しと、これが終わったら怒られるかもしれないという恐怖だった。
「おーい、そこ。寄り道してないでさっさと帰る。暑いんだったら家に帰って冷房が効いている部屋でアイス食えー」
「あっ、先生やっほ。そうはおっしゃいますけどね先生、暑い日差しの下で食べるアイスって言うのもなんだか風じゃありません。なんだか青春してるみたいで」
「確かに……、って上手く丸め込もうとするな。今は熊騒動で忙しいんだから寄り道せずにさっさと帰る。私も暇じゃないんだからわざわざ注意させないでよ」
 見回り中に近所の駄菓子屋に入ろうとしていた生徒が居たので軽く注意し、そのまま家へと帰らせる。
 学校に残っている先生からはもう校内に誰も生徒が残っていないことを確認したとの連絡が来たし、生徒の数もまばらになり始めたのであと少ししたら切り上げてもいいだろう。
 明音は身体に伝った汗を腕で軽く拭い、もう少しで終わりそうなことを立花先生に伝えるためにスマホを取り出す。朝日ヶ丘中学の先生方と書かれたグループチャットを開き、立花先生の名前を見つけるのにそう時間はかからなかった。
「あ、もしもし武田ですけど。住宅街側は生徒の姿がだいぶまばらになってきたところです。念のためあと10分程度は見回り続けようと思ってるんですけど、大丈夫ですかね」
「えぇ、お願いできるかしら。さっき目の前を生徒が家に帰ってるのを見たけど、私の方もほとんど人が来なくなっている状況よ。私も武田先生と同じタイミングで上がらせてもらうから、終わる頃にまた声をかけて」
「分かりました。それでは、また後ほど」
 どうやら近くを見回っていた立花先生の方も特に変わった様子はないようで、淡々と業務連絡を済ませてもう少しで上がることを伝えて自分も見回りを再開しようとする。
 スマホを耳から話し、通話を終了するボタンを押そうとしたその時だった。
「あれはなにかしら……。!!? ちょっとそこの生徒、すぐこっちに来なさい!! 急いで!!!」
「立花先生? 立花先生! どうされたんですか、応答をお願いします!」
 一度耳から話したスマホからただならぬ声が聞こえてきたので慌てて耳に戻すが、何度呼び掛けても立花先生からの返答はない。あの慌てようからみてなにかあったと考える方が妥当だろう。 
 明音は周りに生徒がいないことを確認してから足に魔力を流し込み、立花先生が立っていたであろう小川の方へと向かって駆け出し始める。
 ただの杞憂で終わればよかったのだが、なぜこういう時の悪い予感というものは当たってしまうものなのだろうか。明音が駆けつけた頃には、野生の熊が立花先生たちを襲い掛かろうとしている所だった。
「立花先生!!」
 住宅街を抜けて小川の方に来てみると、そこには立花先生が親熊と見られる大柄な熊と正面から向き合っている姿が見えた。その後ろには腰が抜けて動けなくなっている生徒もいる。
 遠目から見て二人に怪我はないように見えるが、いつ野生の熊が襲い掛かってきてもおかしいくない。明音は道すがらに拾ってきた石を投げてなんとか気を引こうとするが、熊がこちらを向いてくれる気配はない。
 あれぐらいの大きさの熊であれば魔力の籠った拳で軽く殴るだけで撃退できるだろうが、彼女たちとの距離はまだ数十メートル残っている。このままでは二人の命が危ない。
 明音は全身の魔力を脚へと流して大きく地面を蹴るが、その足は二人の元へ向かうにつれて次第に重くなっていき、やがてその場から1歩たりとも動けなくなってしまう。
 それは熊や立花先生たちも同じようで、今にも襲い掛かってきそうなほど接近しているのにまるで時が止まっているかのようにその場から動こうとせず、むしろその場にへたり込んでいる。今なら彼女たちを助けられるかもしれない。
 身体は鉛のように重いが、魔法を使って身体を強化してしまえば突破できない程の拘束力ではない。
 明音は魔力を身体全体に流し込んで身体能力を極限まで向上させようとするが、なぜこんな状況になっているのかを先に考えなければならなかったのかもしれない。足が鉛のように重くなったと感じた時、何かに引っ張られているのではないかとすぐに気づくべきだった。
「隊長、暴れないで。ただでさえ熊の動きを止めてるのに隊長に暴れられたら魔力制御ができなくなる」
 明音は背後から聞こえてきたその声を聞いた途端、全てを理解して魔力を身体に流すのを辞めた。何かに引っ張られているのではないかと感じた時に気づくべきだったのかもしれない。
 背後から聞こえてきたその声の主は、黒バラという異名を持つ最強の魔法少女、羽賀かおりだった。
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