森の中の小道をポップは滑るように進んで行く。雪こそほとんど降らないが、パプニカの冬はそれなりに寒い。木々の周りには薄く靄がかかり、足元には白い霜が降りていた。
 ヒュンケルは数歩遅れてポップの後を追う。軽やかに歩む合間、ポップはふと立ち止まってはヒュンケルにあれこれと話しかけた。大陸固有種の樹木の説明をしたり、早起きの野鳥が飛んでいるのを指差したり。機嫌良く語る弟弟子に、ヒュンケルは穏やかな笑みを返す。人気の無い森に二人の声がゆるりと溶けていった。
「この先に泉があるんだ」
 ポップは小道の前方を指差す。山裾の小さな村から約一キロほど延びているこの道は、泉への唯一の道なのだという。
「深い森の中だけど、泉の周りは開けててさ。今の時期は水仙が満開なんだよ」
「水仙か」
 ヒュンケルは小道の端に目を向けた。木々と靄に隠れて見えにくくなっていたが、二人が歩く道沿いにも白や黄色の水仙の花が咲いている。可憐な花片の中に喇叭のような筒が揺れている。冷たい空気の中にほのかに甘く花の香も感じる。
「やっと気づいたのかよ」
 ポップは呆れたように笑った。道の始まりからもうずいぶん歩いているというのに、ヒュンケルはポップの言葉を聞くまで足元で咲く花に全く目を向けていなかったのだ。
「お前のことだから、間違えて食っちまったらヤバい花、くらいにしか思ってなかったんだろう」
 図星を突かれヒュンケルは押し黙る。水仙の花や球根はある種の香味野菜によく似ている。野草を食卓に上げて食中毒を起こすのはよくある話だ。
「……香水の原料になることも知っているぞ」
 苦し紛れに言葉を返すとポップはけらけらと笑った。
「この水仙はさ、村の人達が植えたんだって。泉まで大した距離でもねえが、薄暗いところを歩くのって怖えだろ?道のりが少しでも明るく感じられるようにって。この頃じゃあ街から見物に来る人もいるんだってよ」
「そうなのか」
 今はようやっと夜が明けたところだ。森の中にはポップとヒュンケル二人の姿しかない。もう少し明るくなれば、村人たちもここへ来るのだろうか。静かな森の中でヒュンケルの心に不思議な焦りが生まれる。
「何故、オレをここに連れてきたんだ」
 浮かんだ疑問をそのまま口にした。夜明け前、ポップは突然にヒュンケルの元へとやってきた。借り受けている王城の部屋の窓を叩き、窓を開いたヒュンケルに「出かける用意をしろ」と言い放った。理由も目的地も聞かず、ヒュンケルは言われるまま最低限の準備をして彼の手を取った。どんなに唐突で無茶な要求でも、ポップのすることには必ず意味があると確信していたからだ。
 まさか、花咲く小道を歩くためだけに連れ出したのではあるまい。問いかけるヒュンケルの表情を見て、ポップは気まずそうに頭を掻く。
「何でって言われてもなあ……」
「泉や村に問題が起きた訳でもないのだな?」
 重ねて問う兄弟子に「うん」と頷き、ポップはますます困ったような顔をする。
「ちょっと前に村の井戸の修理手伝いに来て、この道のこと教えてもらったんだよ。水仙もそろそろ見頃ですよって言われて。……で、今朝ふっとそのこと思い出して。見に行きてえなあって、思って……」
「それで、オレを誘ったのか」
 うん、とポップは再び頷く。
「……何故、オレを」
 共に花を愛でるならもっと相応しい相手がいるだろう。何しろヒュンケルは美しい水仙も毒草としか認識していない朴念仁だ。こんなに寒い中を一緒に歩いて楽しい相手でも無かろうに。思うままに告げるヒュンケルに、ポップは唇を尖らせる。
「そんなん、おれだって分かんねえよ。何だか知らねえけど、おめえに見せたいなって思ったんだ」
「分からん、とは」
 どういうことだと更に問い詰めかけて、やめる。ここでポップの真意を探るのはとても不毛なことのように思えたからだ。ポップはヒュンケルにこの花の小道を見せたいと思った。理由は分からないが今はそれだけでいいのかもしれない。ヒュンケルはそう納得することにした。
「まあ、いい。泉まで行こう。もっと水仙が咲いているのだろう?」
「ん? おう。行くか」
 二人は歩みを進める。日が少しずつ昇り、靄が晴れてきた。泉に到着する頃には明るい日差しが二人を迎えてくれるだろう。
「……美しい場所だな」
 深い森と揺れる水仙。霜の降りた小道。兄弟子の小さな呟きに、ポップは嬉しそうに振り返る。
「来て良かったろ?」
「ああ、そうだな。……ありがとう、ポップ。オレをここに誘ってくれて」
 素直な感謝の言葉にポップはほんのりと頬を染め「雨でも降るんじゃねえの」と軽口を叩いた。冬の朝を照らす太陽の光を受け、白い水仙がきらきらと輝いていた。
 
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