頭に浮かんだことばをひたすら書いていく。自由連想文ってやつをやります。目安の時間は10分。
今回のはじめのキーワードは「まろやか」。
久々に自由連想文。久々すぎてどうやって始めるのかよくわからなくて多少まごついてしまった。まごつくってどういう意味なんだろ。ニュアンスはわかるけどそれだけだ。ニュアンス以外はさっぱりわかんねーや。いやそもそもニュアンスもおれはきちんと理解できているのか?
まろやかってのもよくわかんねー。なんだよまろやかって。まろがやかなのか? まろってなんだよ。めちゃくちゃ強い公家か? すげーよねあの、なんだっけ、ほら、柳生一族の、あの、ほら、一条三位だっけ? やっべなんもわかんねーや。
よのなかわからんことばっかりです。自分の記憶だってわかんない。自分のことだってわなんない。全部あいまい。そもそも自分ってなんだよ。
自己と他者の境界はどこにありますか? そもそも私の自己認識は本当に正しいのでしょうか? 私は本当に私ですか?
己の意識の空隙に己以外の何者かが存在しないだなんて、いったい誰がそんなことを言えるのでしょうか。
最近久々にtanasinnのことを思い出してしまって、多少不安定になっているような気がします。いやそもそも最初から安定なぞしてなかったのではないか。常に揺れ動いていたな俺は。もっとしっかりとした芯を持ちなさい。揺れ動くことのない心の芯を。どすっと。しっかり。まずは一人称をはっきりと固めることから始めなくては。
たぶんn一番多いのが「おれ」ではなかろうか。次が「私」?「俺」かもしれない。「ぼく」と「僕」はわりとレアキャラ……本当に?
そう思っているのは自分だけではないのか。自分に対する自分自身の認識と、実際の自分と、その姿に全く差異がないわけがない。むしろ差異の方が大きい。おれごときに俺が認識できているとでも?
分裂症ごっこはやめなさい。そのうち本当にバラバラになっちまうぞ。おれはおれのままがいい。全部おれだもの。ここにいるおれ、全部、全部、全部。何もかもひっくるめて俺だから。
自分のことを否定したくない。ダメな部分も良い部分もどっちも自分。すべてそろってこそ今の自分がある。今の自分の感性を保っていられる。本当に?
このままつらつらと命を重ねていって、その結果私は最後に何になるのでしょうか。しらんがな。何もわからない。何も。何も。そんなのは嫌ですが。ちょっとくらいわかることはないんですか。おのれのことでも、他人のことでもいいけれど。おれ。おれ。あれ。
本当は何がしたいのでしょうか。こうやって無意味な羅列を続けることに意味はあるのでしょうか。意味のある羅列にも意味が? それを綴る行為には? おれは何かを本当に生み出せているのか? 生み出した先の世界そのものが空虚でないとどうして言えるのです?
空虚。本当はなにも存在しないのではないか。己の意識、実体、認識。どれひとつ照明などできない。いいやできるだろう。きっと。その方法はきっと誰もが分かっている。わかっているはずだ。きっと。
ああ、だめだ。何もかもダメだ。こんなに何も書けないとは思わなかった。だからちゃんと毎日書き続けなきゃ。書く奴が一番偉いんだよ。書かない文字書きに価値はねぇ。書け。書くんだ。修羅となって。