いつかきっとこうなるだろうという予感は、今振り返れば薄々としていたのだと思う。
 私はそれから目を背けていた。きっとそれは、私の気のせいなんだと。思い過ごしなんだと。
 そうであればよかったのに。
 現実は無慈悲にも、いつのかのように私の前に現れるのだ。
「……う、そ、でしょ……」
 震える声は、自室の冷えた空気に溶けて消える。
 ――お腹と手にどれだけ力を入れても重なることのないスカートのホックは、無情なまでに隙間をさらしていた。
 /
「ダイエットするわ」
「……はい?」
 ハルの部屋にお邪魔するなりそう宣言した私に、ハルは首を傾げた。
 それもそうだろうとは思う。説明もなにもなく結論だけ宣言したのだから。あまりに突然だという自覚はある。
 でも勢いで言わないと私は結局言いそびれてしまうという確信があった。実のところ、こうして打ち明けるのだってかなり迷ったことだし。
 だって、自慢の彼女が太っただなんて、普通いやなんじゃない?
 だからハルには黙っておこうとも思った。
 それでも私は最終的に、ハルには宣言しておくべきだと考えたのだ。
「……ダイエット?」
「そう」
 反対側に首を倒し、オウムのように繰り返したハルに頷く。
 わずかな沈黙。にわかに込み上がる緊張。
 不意に、伸ばされたハルの手が、むにと私のお腹を抓んだ。
「なにするの」
 思わずその手を叩き落とす。
「うわたっ。いや、そんな言うほどかなーって」
 そう言いながら未だに諦めていない様子で、わきわきと隙あらば私のお腹を抓もうとしてくる。当然のように私はガードを固めた。
 なんて不逞な恋人なんだろう。いや、とりあえずいやがられなかったみたいだから、それはよかったのだけれど。
「いいわよねハルは。スマートで」
「あのさ、沙弥香先輩に言われても褒められてる気がしないんだけど?」
「褒めてるわよ」
 いつも慌ただしく動いてるからなんだろうけど、ハルはどこにも贅肉が見当たらない細身だった。かと言って痩せぎすってわけでもなく、きちんと肉が付いてて柔らかい、女性らしい体付きをしている。正直羨ましい。
「くそぅ、このむちむちぼでーめ!」
「ちょっと!」
 しかし私の称賛のなにが不満だったのか、ハルはやけくそみたいに執拗にお腹を責め立ててきた。
「この、ハルっ」
 あんまりこういうじゃれ合いに慣れていないのもあって、全部の攻撃を防ぎ切れず、私のお腹はむにむにと蹂躙されてしまう。
「うーん、でもいいと思うけどなーこれはこれで」
「う、嬉しくない……っ」
 こんな私でもいいと言ってくれたことへの嬉しさより、恥ずかしい部分を肯定されたことへの羞恥が、ふつふつと胸の奥を擽る。
 だってこれは弛みの塊なのだ。私の心の弛み。
 これまで自分を律せてきていた自分が、ハルという恋人ができて浮かれてしまい、律し切れなくなったという証。
 それが悪いとまでは思わない。けど、弛んだままをよしとするような性分じゃない。
 ……いつだったか、あの子と付き合ったばかりの燈子をからかった言葉がこんな形で返ってくるなんて。
「とにかく! そういうわけだから!」
 必死の抵抗で魔の手から抜け出す。
 再び防御態勢に入るけれど、思う存分揉みしだいたからなのか、ハルからの追撃はなかった。
「えーっと、なんの話だったっけ?」
「ダイエット!」
「あー」
 そんなに何度も言わせないで欲しい。恥ずかしいんだから。
 と、不意にハルはなにを思ったのか、ついさっきまであんなに笑っていた表情を翳らせた。
「てことは、その、お昼は」
 ……全く。この子は。
 そうやって寂しがりそうだったから、恥を忍んで言ったというのに。
「……ダイエットにいいのを頼むわ」
 安心させるように笑いながら伝えると、ハルの表情は一転して見る見ると晴れやかになっていった。
「! 分かった、たくさん作るから!」
「人の話聞いてた?」
 「聞いてる聞いてる!」とハル。
 どうだろう。ちょっと不安だ。
 ……結局、根本的な解決ではないと分かってはいるけれど。仕方ない。
 だって、私の胃袋はとっくに掴まれてるんだから。
 まぁ、そのおかげでこんなことになったわけだけど。
 そうそう。それともう一つ。
「それとハル」
「なに?」
「あと、一緒にランニングとか散歩とか付き合ってくれたら、嬉しい、かな」
 あなたは歩いたり走ったりするのが好きみたいだから。
 同じことを、あなたが好きなことを、一緒にしてみたい。
 こんな口実で、とは自分でも思うけれど。
「……分かった!」
 まぁ、そんな風に笑ってくれれば、それでいい。
 あなたのその笑顔が、私は好きなんだもの。
 /
「それで、ダイエット食ってどんなのがあるの?」
「豆腐とかはよく聞くかな。でも結局はバランスの取れた食事がいいらしいけど」
「じゃあ、明日からはお願いね」
「りょうかーい。色々あるけどどうしよっかなー、餡かけとか豆腐ハンバーグとか」
「豆腐はお肉じゃないわよ?」
「え?」
「え?」
「先輩?」
「あ、大豆は畑のお肉って冗談?」
「沙弥香先輩?」
 ……無知をさらした翌日、提供された豆腐ハンバーグは、やっぱり美味しかった。
 ところでハル。小糸さんにこの話をしたのは、一体誰なのかしらね?
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やが君ワンライ⑳
初公開日: 2021年10月02日
最終更新日: 2021年10月02日
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お題 スカートor豆腐